衝撃…なんと、フランスワインが壊滅寸前に追い込まれた原因は「小さな虫」…なぜ、欧州ブドウは滅びかけたのか?
一滴の雫に満たされている、数千年にわたる叡智……。
もはや国民的な飲み物の一つとなったワイン。近年、日本産ワインも急成長していることはご存知の方も多いと思いますが、さらに注目を集め始めているビオワイン、オレンジワインはご存知でしょうか。
ワインは、単なる嗜好品にとどまらず、人類が長い時間をかけて磨き上げてきた文化の産物として多くの人々を魅了し続けています。しかし、グラス一杯の背後には、ブドウ樹の生理、発酵微生物の働き、 果汁やワインに含まれる化合物の化学反応、といった、さまざまな科学的要素が複雑に絡み合っています。
ワインの原料となるブドウの最新の栽培技術、醸造技術から、おいしさ、香り、健康効果はもちろん、温暖化によるブドウ栽培の変化など、ワインの魅力を科学の言葉で説明した『最新 ワインの科学』(講談社・ブルーバックス)。本記事シリーズでは、この書から、興味深いトピックを選りすぐってご紹介していきます。
今回は、フランスワインが壊滅寸前に追い込まれた衝撃の大事件と、その「意外な理由」をご紹介します。
*本記事は、『最新 ワインの科学 芳醇な香りと味わいはどのように生まれるのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
なぜ欧州ブドウは滅びかけたのか?
ブドウ科ブドウ属の化石は、地質学的には始新世にあたる約5500万年前の地層から多く発見されています。さらに、最古のものとしては、白亜紀末期にあたる約6600万年前の化石がインドで報告されています(図「白亜紀末期の世界最古のブドウの化石」)。

インド・マフルザリ産のIndovitis chitaleyae(世界最古の化石ブドウの学名)の果実スケールバー:1 mmManchester et al. (2013)Figure 2 から抜粋 図「白亜紀末期の世界最古のブドウの化石」
注目すべきは、ユーラシア大陸とアメリカ大陸の完全分断後の環境適応戦略の違いです。
現存する多くの害虫・病原菌はアメリカ大陸で生まれたといわれています。アメリカ大陸では、害虫・病原菌とブドウの共進化が起こり、ヴィティス・ラブラスカ(Vitis labrusca)、ヴィティス・リパリア(Vitis riparia)、ヴィティス・ルペストリス(Vitis rupestris)といった病害に対して強力な防御機構を獲得したブドウたちが生存競争を勝ち抜きました(図「ブドウ(Vitis)属の系統分類と現存種の分布」)。

図「ブドウ(Vitis)属の系統分類と現存種の分布」
一方、ユーラシア大陸では、アルプス山脈の形成による地理的隔離が、ヴィティス・ヴィニフェラ(Vitis vinifera)という冷涼な気候を好む独自種の進化を導きました。
しかし、このアメリカ大陸との物理的な隔離により、ヴィティス・ヴィニフェラは病害に対する防御機構を獲得する機会を失いました。これが1870年代のフランスで起こったフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)危機の本質的な原因となります。
ヴィティス・ヴィニフェラは、病害防御機構をもたないため、アメリカから持ち込まれた苗木に潜んでいたフィロキセラに対して全くの無防備でした。1875年、8万キロリットルのワイン生産量であったものが、1879年には3分の1まで激減しました。
一方、この出来事は、ヴィティス・リパリアやヴィティス・ルペストリスなどを台木としてヴィティス・ヴィニフェラを接ぎ木する、現代の「接ぎ木栽培」の発展という農業革新をもたらすことになります。
じつは「人類」と「ネアンデルタール人」級に違う!
現代のブドウ品種は、その用途によって異なる進化の方向性を示しています。ワイン用品種は小粒で高い糖度と酸含量を特徴とし、生食用品種は大粒で食味に優れるという形質を獲得しました。これは人為選択による方向性のある進化の典型例といえます。

食用と比べ、小粒で高い糖度と酸含量が特徴の「ワイン用品種」 (photo by iStock)
ワイン用は、主にヴィティス・ヴィニフェラ、生食用は、ヴィティス・ラブラスカとその交雑種で、両者は種のレベルで異なっています(ヴィティス・ヴィニフェラなら、ヴィティスが属、ヴィニフェラが種)。
生物学的な種の違いを理解する際、ヒト科の進化がわかりやすい例となります。現代人(ホモ・サピエンス)、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)、原人(ホモ・エレクトス)がホモ属の異なる「種」であるように、ワイン用ブドウと生食用ブドウは生物学的に全く異なる「種」なのです。

ワイン用ブドウと生食用ブドウは生物学的に全く異なる。写真は大粒で食味に優れる「生食用品種」 (photo by iStock)
ブドウの驚くべき多様性は、その品種の豊かさに如実に表れています。世界中で推定8000~1万種という膨大な品種群の存在は、長い年月をかけた自然の営みと人間の巧みな介入による、まさにブドウの進化を壮大に物語っています。
これらの品種は、自然界に起こる偶発的な遺伝的変異(突然変異)、品種間の自然交配、そして人間による意図的な品種改良の複合的な結果として生み出されました。
このように、ブドウは環境適応による自然選択と栽培化による人為選択の相互作用を通じて、今日の多様な品種群を形成するに至ったのです。
*
では、新しいブドウの品種は、どのようなプロセスを経て誕生するのでしょうか。自然の偶然と人の手による選抜に加え、近年ではバイオテクノロジーを用いた新しい品種づくりの可能性も模索されています。次回は、現在のブドウ研究の最前線について、詳しく見ていきます。