「10年で必要のなくなる大会」は次章へ…益子直美さんらが授かった宝物【取材帳】

編集委員 田中富士雄

 元バレーボール女子日本代表の益子直美さん(59)は、子どもへの体罰や暴言を伴う指導の撲滅を願い、ジュニアクラブ指導者の北川新二さん(55)、 美陽子(みよこ) さん(56)夫婦と小学生バレーで「監督が怒ってはいけない大会」をスタートさせた。2015年1月の発足当初に思い描いたのが、社会の理解促進に伴う「10年で必要のなくなる大会」。東京都葛飾区で生まれた「下町のマコちゃん」は、厳しい現実に直面しながらも奮闘した結果、かけがえのない宝物を授かったことに気づいているだろうか。

嫌いでも、しがみつくしかなかった「居場所」

嫌いでも、しがみつくしかなかった「居場所」, 仲間と励まし合う子どもたちの姿に感激, 10年のの区切り、そして「来年も来るね!」, スポハラ相談、被害の48%は小学生

子どもの選手宣誓に耳を傾ける益子直美さん(中央)。子どもの輪の中が「指定席」だ

 その監督は大きく両足を広げ、反り返るような姿勢でイスに腰かけていた。突然、鋭い声が上がる。「何やってんだよ!」。視線の先はサーブを拾い損ねた小学生だ。ある大会での一コマに、益子さんの顔が曇った。「あれはアウトだわ」。選手のチャレンジ精神を育てる目的で、プレーのミスに対する 叱責(しっせき) は厳禁。警告に向かおうとする益子さんの膝は、小刻みに震えていた。「行くの、怖いな……。でも、子どもが全く楽しそうじゃない。あんなバレーは見たくない」とつぶやいて歩き出す。深呼吸は、おそらく、勇気を奮い起こすための合図だった。

 中学時代に始めたバレーは、強豪高校に進んで続け、国内屈指のプレーヤーに成長したものの「どなられたり、たたかれたりと、怒られてばかり。一度も『楽しい』と感じませんでした」。実業団チームに加入して「途方に暮れました。やらされるバレーしか知らず、自分で上達する方法が分からなくて」。一時代を築いたアタッカーは「バレーも、『空っぽな自分』も大嫌いなまま」25歳で現役生活に別れを告げた。

 なぜ、もっと早くやめなかったのか――。なぜ、引退後もシッティングバレーのサポートなどで競技にかかわっていたのか――。頻繁に投げかけられる問いへ、益子さんは「我ながら不思議」と答えていた。ところが、「おととしの年末だったかな。自分の過去をたどる心理ワークショップでテストを受け、思い出したことがあるんです」と明かす。「つら過ぎる記憶だから、『封印』していたみたい」。小学3年生当時の光景が鮮明によみがえった。

 クラスは席替えの真っ最中。担任教師が男女それぞれの学級委員からリレー方式で「隣の席に座る子」を指名させ、空席は次々に埋まっていく。なかなか名前が呼ばれない。「仲がいいと思っていた級友も別の子を選んじゃって」。むごい手法は益子さんを最後の一人として残し、絶望のふちに追いやった。「私は不要な存在だって、学校に私の『居場所』はないって思いました」。自らを信じる心は泡となって消えた。

 「つまり、中学で出会ったバレーが私にとって唯一の『居場所』だったんです。苦しかろうが、嫌いだろうが、しがみつくしかなかったんだと思います」

仲間と励まし合う子どもたちの姿に感激

嫌いでも、しがみつくしかなかった「居場所」, 仲間と励まし合う子どもたちの姿に感激, 10年のの区切り、そして「来年も来るね!」, スポハラ相談、被害の48%は小学生

控え選手もスポーツマンシップを理解し、仲間を全力で応援する

 益子さんの言う「ひっそりと、細々と始めた『監督が怒ってはいけない大会』の活動」は、21年4月の一般社団法人化で拡大し、加速していく。沖縄県の高校で同年1月、運動部活動の男子生徒が顧問からの過度な指導に追い詰められる形で自殺しており、北川さん夫婦も含む3人は「理念の普及を急がなければ」と危機感を募らせていた。「お前も、そうやって育ったんだろうよ」「お世話になった先生を裏切るのか」といった批判や中傷が少なからずぶつけられ、くじける寸前だったけれど、手を取り合って踏ん張った。

 自身が不妊治療の末に妊娠、出産を諦めた事情もあって、若者に関する悲しいニュースを耳にするたび、益子さんは「子どもに『居場所』があれば、自ら死を選択することはないはず」と目を潤ませる。一方で、大会参加者の笑顔に触れ、仲間と励まし合う姿を目の当たりにすると、「何てステキなんだろう」と涙ぐむ。苦痛だらけでも、大嫌いでも、しがみつくしかなかった益子さんの「居場所」。それは、いつしか使命感を体現する舞台になり、同時に幸せをかみ締める世界へ変わっていた。

10年のの区切り、そして「来年も来るね!」

嫌いでも、しがみつくしかなかった「居場所」, 仲間と励まし合う子どもたちの姿に感激, 10年のの区切り、そして「来年も来るね!」, スポハラ相談、被害の48%は小学生

大会スタート10年を記念し、関係者から花束を贈られた益子さん

 「10年で必要のなくなる大会」を目指し、「10年の区切りを迎えるまで頑張ろう」を合言葉に掲げて走り続けた。節目の今年1月、福岡県 宗像(むなかた) 市で開かれた第10回福岡大会の関係者は、どこか寂しげなムードを醸し出していた。これで終わっちゃうかも――。

 閉会式に登場した益子さんは、子どもたちを前に「楽しかったかな」とマイクで呼びかけ、元気な返事を浴びて「またやりたい人は?」と挙手を求めた。感傷に浸りかけていた関係者が、いぶかしげな表情を浮かべる。益子さん、迷うそぶりも見せずに宣言した。

 「来年も来るね!」

 拍手と歓声と、スタッフらの好意に満ちた苦笑いがアリーナいっぱいに広がる中で、さっそく11年目の一ページがめくられた。

スポハラ相談、被害の48%は小学生

嫌いでも、しがみつくしかなかった「居場所」, 仲間と励まし合う子どもたちの姿に感激, 10年のの区切り、そして「来年も来るね!」, スポハラ相談、被害の48%は小学生

 スポーツ指導者による暴力や暴言などの「スポーツ・ハラスメント」をめぐって、日本スポーツ協会(JSPO)の窓口に寄せられる相談件数は年々、増加傾向にある。新型コロナウイルスの流行も影響したのか一時的に減少したが、2021年度から4年連続で増え、24年度は過去最多の536件だった。

 被害者の48%が小学生で、18%が中学生、12%が高校生。内容は、「バカ」「アホ」などの暴言が最も多く、スポーツ少年団で退団を強要されたケースなどもあったという。

 相談件数の増加について、撲滅に尽力しているJSPOは「スポハラに対する意識が高まっている」「相談しやすい環境が構築されてきている」などとする一方、「不適切な行為を受けても声を上げづらい立場にいる子どもたちが、被害者になるケースが多い」との見方を示している。

「取材帳」は記者が取材帳に書き留めた情報をもとに、独自の視点でテーマを深掘りします。