すべてが〝鉄道遺構博物館〟 今はなき信越線碓氷峠の旧熊ノ平駅
【汐留鉄道倶楽部】北陸新幹線開業とともに廃線となったJR信越線の横川(群馬県)―軽井沢(長野県)間には、かつて旧線と新線の時代を超えた二つの路線があった。旧線は1893年(明治26年)に開通、この区間にある碓氷峠の急勾配を越えるため歯車を利用したアプト式を採用した。1963年(昭和38年)にはほぼ並行して新線が建設され、パワーを得るため補助の電気機関車を連結した電車が走るようになり、旧線は廃止された。その新線も1997年(平成9年)の新幹線開業とともに廃止となった。既に役目を終えた二つの路線は多くのトンネルや鉄橋などが壊されることなく、ほとんどが今も廃止当時のまま残っている。2世代で計104年の歴史を刻んだ鉄道跡が消えずに存在する、とても稀有(けう)で貴重な遺構だ。

旧熊ノ平駅から軽井沢方面のトンネルに吸い込まれる新線のさびた線路
6月上旬にアプト時代に使われていた旧熊ノ平駅に行った。ここは横川から軽井沢に向かって登り続ける中でほぼ中間、わずかな平坦区間になっていて、旧線と新線が出合う地点。旧線は線路こそなかったが、草に覆われたホームがそのままの形で残っている。一方、新線の線路は廃止時と変わらず見事に残っていた。もちろん真っ茶色にさびて草やクモの巣がまとわり、30年近くたった廃線跡らしい姿をしていた。さらに信号機や架線柱などの設備もそのままで、方向を変えるポイントやそれを操作するレバーもあった。
旧線、新線ともにこの合流する空間こそが、峠越えに挑んだ鉄道の歴史を確認できる最適な場所といえるのではないか。目にするすべてが〝遺構博物館〟という感じだった。

線路でいただく碓氷峠のおなじみ駅弁「峠の釜めし」
そういえば、新線がまだ活躍していたころに何度も特急「あさま」に乗った。横川を出るとやがてスピードが落ちて、いくつものトンネルを抜けると、ある地点で突然勾配が緩くなり周囲がぱっと開ける場所があった。今思うとそこが熊ノ平だったのだと思う。やがてまたトンネルが続き峠を越えて軽井沢に向かうのだった。廃線後、変化のない新線跡にたたずむと「あさま」が電気機関車に押されて目の前に近づいてきそうな錯覚に襲われた。

美しく雄大なれんが造りのアーチ橋めがね橋。アプト式機関車が走っていた
ちょうど昼時を迎えた。碓氷峠の定番駅弁、荻野屋の「峠の釜めし」を食べる。土釜は通常とは異なり底が青色だった。これは珍しい。掛け紙もオリジナルだった。東京駅でも買える弁当だが、高地で、それもさびた線路の上で食べると澄んだ空気も手伝って一段と味わい深かった。楽しい駅弁。益子焼の土釜は昔から持ち帰ることにしている。

旧線のトンネルの先にはまたトンネルが…
熊ノ平を後にしてアプト式が走っていためがね橋(国の重要文化財)へ。あまりに有名で、美しくも雄大な4連のれんが作りのアーチ橋が明治時代からずっと残り続けていることに感動した。いくつものトンネルを抜けて横川方面へ歩いて旅を終えた。

新幹線開通で信越線は横川駅でぷっつりと途絶えた
今回の旅は「アプトの道散策」ツアーに参加、熊ノ平やめがね橋はバスで訪問し、その後は群馬県安中市観光機構の案内で「アプトの道」と名付けられた旧線をヘルメットに懐中電灯姿でトンネルや橋梁(きょうりょう)をいくつも抜けて横川方面まで歩いて下るコースだった。担当者は碓氷峠をめぐる信越線について「この遺産を守り、次の世代に語り継ぐことが大切」と話す。草刈りやトンネル内整備など管理も大変なようだ。旧線だけでなく新線でもツアーを実施しているみたいで、いつか横川―軽井沢間の全ルートを歩いてみたい。
☆共同通信・植村昌則