上皇さまと美智子さまに背を向け、こぶしを突き上げた英国人の元捕虜たち 英王室ジャーナリストが見つめた戦後 #戦争の記憶

戦後80年の夏がやってきた。日本の皇室と英王室の関係をたどると、時の流れを経て変化した両国の関係が浮かび上がる。
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1998年、天皇陛下と美智子さまご夫妻(現在の上皇さまご夫妻)がイギリス王室から国賓として招かれ訪英した。お二人は、ロンドンのバッキンガム宮殿まで続く「ザ・マル」という大通りを馬車で進むという。私が取材に向かうと、沿道にはすでに多くの人たちが立ち並んでいた。人々の中には、故郷から来る上皇ご夫妻を一目見ようとする在留日本人の姿も目立った。
馬のひづめの音が次第に近づき、やがて豪華な屋根付きの馬車が目の前を通った。美智子さまが腰を浮かすようにして窓に顔を寄せ、私たちに手を振られているのが目に入った。
■日本に対して謝罪と賠償金を要求
そのときだった。それまで穏やかに談笑していた10人ほどのイギリス人の高齢男性たちがくるりと馬車に背中を向けたかと思うと、一斉に真っ赤な手袋をつけたこぶしを突き上げたのだ。みな、軍服に勲章をつけベレー帽をかぶっている。その人たちが一言も発することなく、ただ力いっぱい空に向かってこぶしを上げたのだ。
衝撃的なパフォーマンスを行った彼らは、第2次世界大戦中、旧日本軍の捕虜になりミャンマー(当時のビルマ)などで過酷な労働に従事させられた面々だった。劣悪な環境のもとマラリアや事故に倒れる人も少なくない凄惨な日々。生き残った彼らは「forgive, but never forget(許すが、決して忘れない)」を合言葉に、日本に対して謝罪と賠償金を要求していた。

振り返ると1971年、故エリザベス女王は昭和天皇が訪英された折に晩餐会で、「過去に日英の関係がいつも平和であったわけではありません」と率直に語った。そして「しかし、その経験こそが二度と同じことが起こってはならないと誓わせるものなのです」と続けた。この歴史に残る名スピーチが示すように、終戦後は日英共に互いに戦争の傷をいやすことに追われてきた。

■多くのハードルを乗り越え実現した訪英
それらの記憶があったので、昨年6月の天皇陛下と雅子さまによるイギリス訪問は驚くことばかりだった。チャールズ国王と天皇陛下は、馬車でバッキンガム宮殿に向かったが、その馬車は屋根のないオープン型だった。沿道から卵でも飛んでくれば十分に届いただろう。
また、この訪英がいくつものハードルを乗り越えて実現したことも感慨深かった。天皇陛下が19年5月に即位されたことを祝い、招待してくれたのはエリザベス女王だったが、コロナ禍で訪問が叶わないまま、残念ながら22年に逝去された。その後、チャールズ国王とキャサリン妃が相次いでがんと診断されて療養生活が始まっていた。

■天皇陛下に会いたがったチャールズ国王
それでもチャールズ国王は天皇陛下に会いたがった。エリザベス女王の逝去、コロナ禍、そして自身のがん。それらを乗り越え、タイミングを探り続けた。そして実現した訪英は、国内で総選挙が迫る時期だったことから、より一層、国王の強い想いを感じることとなった。
実際、天皇陛下への親しみはほほえましいほどだった。晩餐会でのチャールズ国王のスピーチは、「(イギリスへ)オカエリナサイ」という日本語で始まった。天皇陛下も雅子さまもイギリス留学の経験があることを踏まえ、まるで兄のような温かさにあふれた言葉掛け。さらに続けて「ポケモン」などの言葉が飛び出し、日本のカルチャーをほめたたえると、そこにいた誰もが笑顔になった。
天皇陛下もまた招待に厚く感謝しながらも、ユーモアにあふれたスピーチを行った。雅子さまと二人で、「滞在中にオックスフォード大学を訪ねることを楽しみにしている」と話したとき、「チャールズ国王が卒業されたケンブリッジ大学ではないのは残念ですが」とアドリブで付け足した。それは、かつて国王が皇太子時代に来日した際に国会で行ったスピーチで、「自分の母校ケンブリッジ大学ではなくて、オックスフォードに留学されたのが残念です」と述べたことへのお返しだった。国王はすぐにそれに気づいて大きく笑い、40年ほども前の言葉を天皇陛下が覚えていたことを喜んだのだった。国王と天皇陛下が時間を超えて強く結ばれた友情を確かめ合った瞬間だった。
■日英両国が抱える課題が変化
お別れのときは、国王はいかにも名残惜しそうで、雅子さまの頬にキスをして別れを惜しんだ。目を赤くした国王は、傍らのカミラ王妃に背中を軽くたたかれて慰めてもらったほどだった。
もう戦争の話題はメインのテーマにはならなかった。戦争への反省を踏まえながらも見据える先はともに未来。いかにして若い世代に平和のバトンをつないでいくか、これこそが今回の訪英のメインテーマだった。
戦後80年の節目に、日英両国が抱える課題が変化してきたことを感じている。それは、日本の皇室とイギリス王室が、世代交代を経ても互いへの信頼を高め、温かな友情で結ばれてきたからこそだろう。今後ますますそのソフトパワーが重要になることは間違いないと思う。
(ジャーナリスト・多賀幹子)