石破首相が心の内に秘めていたのは「自民党・歴史修正主義者」との闘いだった 最後に「戦後80年談話」を出すことで使命を果たす 古賀茂明

 9月7日に首相を辞任する意向を表明した石破茂首相。「もう戦いは終わった」と少し肩の荷を下ろした気持ちなのかもしれない。

 その「戦い」にはいろいろなものがあっただろう。

 中でも、石破首相が、自分に課せられた最大の使命だと感じていたのが、実は、自民党を蝕む歴史修正主義者との「戦い」に勝利することだった。

 私は、8月26日に1時間弱(正確には53分)石破首相と話したが、その時の最大のテーマが「歴史修正主義」だった。ただし、石破首相は、決してこの思いを口にすることはなかったので、これを知っている人は極めて少ないかもしれない。

 石破氏は、結局、自民党の政治家として、自民党を壊すことはできないと考え、辞任を決意したが、残った自民党が、歴史修正主義者に乗っ取られてしまったら、自民党を守ったことが、日本のためにはならない決断だったということになってしまう。

 そこで、私は、石破首相にもう一度だけ勝負をしてもらいたいと考え、9月10日にXに投稿した。(写真)

 それは、9月下旬の国連総会出席の前に戦後80年談話を出して、そのポイントを総会でのスピーチに盛り込むことだ。

 歴史修正主義者との戦いが自らの最大の使命だと自認していたにもかかわらず、石破首相は、首相の座を守るために、終戦の日の8月15日も、降伏文書に調印した9月2日も結局談話発表を見送った。不戦敗だ。

 石破首相辞任後、歴史修正主義者が自民党を支配するようなことになる危険性は非常に高い。高市早苗総裁ならもちろん、小泉進次郎総裁でも林芳正総裁でも、その可能性は決して低くはないだろう。

 日本の中では、日本が植民地支配をしていたことや太平洋戦争で他国を侵略したという事実すら知らない人が増えている。それどころか、植民地支配は、その国の民族のためだったとか、侵略行為は一切なく、そのため、日本軍が進出した国では市民に歓迎を受けたとか、とんでもない歪められたフェイク情報を信じる人も増えている。

 このような歴史修正主義は、世界中から非難を浴びるのは確実だが、内に籠った日本人は、そんなことは想像すらできない。

 そこで、石破首相が国連の場を使って、日本の危険な現状を紹介しつつ、日本政府は、植民地支配や侵略行為を真摯に反省し、その被害者たちに心から謝罪してきたことを伝え、その気持ちはいささかも変わっていないこと、そして、その反省の上に立って、二度と戦争を起こさないと誓い、平和主義を守っていくつもりであること、さらには、歴史修正主義者たちと正面から戦っていくことを宣言し、それに対する世界の評価を問うことを提案したい。その内容は村山談話に沿ったもので良いだろう。

■「差別」と「ヘイト」と戦ってほしい

 村山談話のポイントは、日本が「国策を誤り、戦争への道を歩ん」だこと、「植民地支配と侵略」によって、とりわけアジア諸国の人々に対して「多大の損害と苦痛」を与えたこと、この歴史の「事実を謙虚に受け止め」ること、「痛切な反省」の意を表し、「心からのお詫び」の気持ちを表明すること、すべての犠牲者に「深い哀悼の念」を捧げること、「核兵器の究極の廃絶を目指し」「国際的な軍縮を積極的に推進」することなどだ。

 石破首相の80年談話には、これらの要素を漏れなく盛り込むことが必要だ。

 それとともに、河野談話で認めた慰安婦問題についての責任、さらには徴用工問題に関する責任についても触れるべきである。

 それだけの内容を盛り込めば、十分に大きな意味を持つが、石破氏には、二つの新しい要素を加えることを提案したい。

 一つは、「差別」の問題だ。これまで、日本政府は、数々の過ちについて、それを認め謝罪の意を表明してきたが、これらの過ちの根底にあった、日本人によるアジア諸国の人々に対する「差別」意識について公に認めたことはない。

 しかし、戦前はもちろん、戦後においても、朝鮮や中国の人々に対してさまざまな差別が存在していた。現在もまだそれが残っていることは明らかだ。「差別」は、昔に比べればはるかに少なくなったように見える。それが悪いことであるという規範も明確になっているのも事実だ。しかし、残念なことに、最近では、再び、アジア人差別の風潮が高まっている。

 戦前において、「神国思想」や「国家神道」とも結びついたアジア人差別は、植民地支配や侵略を正当化するために利用された。慰安婦や徴用工の問題も、その根底には「差別」意識があったことは確かだろう。

「差別」はヘイトとなり、何かのきっかけがあれば、容易に侵略、戦争、虐殺につながる。

 石破氏には、日本人が持っていた差別意識が植民地支配や侵略の一つの原因であることを認め、日本は、これからその「差別」、そして「ヘイト」と戦うことを約束してほしい。

 差別意識は、どんな人の心の中にもある。外国人に対するものだけではない。日本人同士の中にもある。差別意識を持っていること自体は、決して恥ずかしいことではない。恥ずべきは、差別意識を否定せず、あるいは正当化し、言葉や行動に出すこと、また差別による過ちを犯した時にその過ちを否定し、自らが潔白であると強弁する姿勢だ。

 差別により、これまでにも世界中で悲惨な出来事はたくさん起きた。ホロコーストはその代表例だ。

 日本では、関東大震災の時に、多くの朝鮮人、そして中国人、さらには一部の日本人が、虐殺された。その原因の根底には「差別」があった。政府はこの虐殺の事実を認めることを拒否し続けているが、80年談話では、この事実を認め謝罪することを盛り込むことを強く希望する。

■国辱的スピーチとなる「石破ドクトリン」

 もう一つ盛り込むべき事項は、核問題だ。

 今日、核戦争のリスクが非常に高まっている。被爆国の日本の中でさえ、核共有の議論がタブーでなくなり、核兵器を保有すべしと主張する国会議員すら誕生している。

 こうした現状に対して、日本は、引き続き非核三原則を堅持することに加え、核兵器禁止条約にオブザーバー参加し、将来の批准について検討すること、そして、核兵器の先制不使用を米国を含め全ての核保有国に求めることを表明してはどうか。

 以上の内容を総合的に「石破ドクトリン」と名付けることを提案したい。

 おそらく、この「石破ドクトリン」のポイントが盛り込まれたスピーチを聞いた大多数の諸国から「石破ドクトリン」が高く評価されることになるだろう。

 もちろん、石破首相が辞任直前であることは各国とも理解しているので、日本が本当に「石破ドクトリン」どおりの道を歩むのかどうかについては、疑問符が付けられるが、このスピーチを出すことで、世界の目が、「日本の平和主義」の行方に向けられることになる。

 一方、これが大きく報じられれば報じられるほど、自民党内の歴史修正主義者たちが、「国辱的スピーチ」として、石破攻撃をすることが予想される。

 国連総会で石破首相がスピーチするのは、自民党の総裁選が告示される9月22日の直後になるはずだ。

 その総裁選では、「新たな」物価高対策、「新たな」成長戦略、「新たな」社会保障政策、「新たな」子育て政策などで国民の歓心を買おうとする論戦が行われるだろう。しかし、そこには「新たな」話などなく、これまでの自民党の経済政策の焼き直しにとどまってしまうのは確実だ。

 また、外交・安保政策については、安倍政権から岸田政権まで続いた、対米追従軍拡路線がそのまま継続する公約が並ぶことになるだろう。

 そんな中で、「石破ドクトリン」が世界の注目を浴び、自民の右翼層がこれに反発して大騒ぎを始めれば、マスコミはこれを面白おかしく取り上げるだろう。

 そして、記者会見などで、各候補者に「石破ドクトリン」についての考え方を質問するはずだ。

 もちろん、高市氏や小林鷹之氏などは、これに真っ向から反論するだろう。他の候補も、自民党内の右翼層のことを考えれば、石破氏の言動を批判しなければならないと考える可能性は高い。

 仮に候補者がそのような立場を取ると、海外のメディアからは、石破氏の言葉を使って、「歴史修正主義者」というレッテルを貼られることになる。

 そうなると、仮に総裁選で勝利し、運良く首相になれたとしても、中国や韓国の反発は極めて大きくなる。他のアジア諸国でも「歴史修正主義」というレッテルが貼られた日本の首相は信頼できないという風潮が高まるだろう。欧米諸国との関係でも、歴史修正主義者だということになれば、警戒感が高まる。こうしたことは、首相就任後の外交上の大きなハンディとなるのは確実だ。

■右傾化した国民を変える最後のチャンス

 それを考えると、各候補者は、非常に難しい立場に追い込まれる。いわば、踏み絵を踏まされるのだ。

 「石破ドクトリン」により、総裁選で「歴史修正主義」が大きな論点になれば、国民の関心が高まり、これについて、知りたいという人が増えるだろう。

 これまで一方的にフェイクニュースを流したりして攻勢を続けていた歴史修正主義者たちに、石破氏などが、冷静かつ説得力のある言葉で、反論し、日本の平和主義の原点について国民に語りかけるという環境ができるはずだ。

 いま、日本がいかに大きな岐路に立たされているのか、すなわち、戦争への道を進むのか、もう一度平和主義への道に戻るのかを問われているということを訴えて、国民的議論を巻き起こすことが可能となる。

 それによって、右傾化した国民の意識を変える。言葉を変えれば、洗脳から解き放って覚醒させることが可能になるかもしれない。いわば、最後のチャンスだ。

 そうなれば、石破首相は、最後の最後に、歴史修正主義者との戦いで一矢を報いたということになるのではないだろうか。

 石破首相は、これまで80年談話について考え続けてきたはずだ。内容もほとんど固まり、最後の調整が残るだけという段階かもしれない。あとは、どこまで勇気があるかということだ。

 辞任すると決まっている首相が、日本を代表して、自民党内で異論の強い内容の談話を出して良いものかというような、石破首相にありがちな「生真面目な自重」はもう止めるべきだ。

 「自民党の分裂を避ける」という首相が最後に見せた「真面目な自民党議員」の思考パターンも捨てるべきだ。

 国民がずっと求めていたのは、石破首相が正しいと思ったことをまっすぐ実行することだった。もうこれが最後だからこそ、悪あがきと言われようとも、可能性があれば、チャレンジしてほしい。

 そうすれば、国民は必ず、石破首相を支持するだろう。

 石破首相に今最も求められていることは、「国民を信じること」なのだ。