「さよなら人類」大ヒット、ランニングのバンドマン…顔覚えられなくても気楽で自由にライブ活動の日々

 ♪今日人類がはじめて木星についたよ――。非日常的な歌詞にボーカルの優しい歌声。間髪を入れず、パーカッション担当の石川浩司さん(64)=当時28歳=がランニングシャツ姿で叫ぶ。

 「ついたーーー」

 どこか気の抜けたような雰囲気を漂わせて、4人組バンド「たま」は平成が始まったばかりの日本に現れた。1990年5月、デビュー曲「さよなら人類」がオリコン1位を獲得。瞬く間に狂乱の渦に巻き込まれていく。

アングラな歌で「イカ天」出演 翌年には紅白へ , 解散後ソロに、「この人誰?」, 「ついたー」皆に覚えられ , ブラピの記事「自分も同じだ」, 気楽に自由に「いまぐらいが一番いい」

 次はテレビ、次はラジオ、次は取材と追い立てられた。「自分がどこにいるのか、いま何をしているのか全然分からない」。街行く人には顔を指さされ、大勢のスタッフに囲まれてライブも重ねた。ジェットコースターのような毎日の中で、石川さんは思っていた。「あれ、この人って誰だっけ?」(社会部 駒崎雄大)

 思い返せば、幼い頃から、人の顔を覚えるのが苦手だった気がする。久々に会う友だちだと、誰か分からないことが結構あった。そうは言っても、少し「顔忘れ」が多いかなと思うくらい。そこまで深刻には捉えていなかった。

 顔は覚えられないけれど、街を歩けばみんなが自分の顔を知っている。4人組バンド「たま」のメンバーだった石川浩司さん(64)に、そんな日々が突然訪れたのは28歳の時だった。

アングラな歌で「イカ天」出演 翌年には紅白へ 

 1989年11月、TBSが放送した「三宅裕司のいかすバンド天国(イカ天)」に、「たま」が初めて出演した。空前のバンドブームを 牽引(けんいん) していたアマチュアバンドの対決番組への挑戦だった。

 披露したのは、哀愁漂う、金魚をめぐる物語をうたった「らんちう」。「どうせ勝ち抜けないから、自分たちらしい『アングラ』な歌を」と選んだつもり。どう考えても、大衆受けするような明るい曲ではない。

 が、これがスタジオの度肝を抜いた。まずは1週勝ち抜き。審査員が言った。「もしかしたらすごいかも。涙が出てきて、同時に笑いも出てきた」

 お茶の間に衝撃を与えた「たま」の日常は、一夜ですべて変わった。

 放送後、石川さんが駅で電車を待っていると、「あそこにいる!」と若者たちに追いかけられた。電車に乗れば、「昨日のイカ天見た?」「すごかったよね」という女子高生たちの会話。電車を降りると、ホームにいた男性がこちらの顔を見て「うわーっ」と奇声をあげ、握手を求めてきた。レコード店でも洋服屋でも、客の全員が自分の顔を見ている。「まるでシンデレラ」。一人で街を歩くことは、もうできなくなった。

 61年に東京で生まれた。何かを表現するのが楽しくて高校では演劇部に入ってみたが、「ぐうたらだったから、何度も稽古するのがめんどくさい」。ギターの弾き語りを始めたのは、何ものにも縛られずに、肩の力を抜いて好きなことだけやりたかったから。どこまでも自由な性格だった。

アングラな歌で「イカ天」出演 翌年には紅白へ , 解散後ソロに、「この人誰?」, 「ついたー」皆に覚えられ , ブラピの記事「自分も同じだ」, 気楽に自由に「いまぐらいが一番いい」

「たま」のメンバー。(右から時計回りに)石川浩司さん、柳原陽一郎さん、知久寿焼さん、滝本晃司さん(1992年12月)

 だから、大ヒット曲を作ってスターになりたい……なんて気持ちは全くなく、「好きな音楽をのんびりできればいい」。高校卒業後、81年から一人暮らしを始め、84年、ライブハウスで知り合った 知久(ちく)寿焼(としあき) さん(60)、柳原陽一郎さん(63)と「たま」を結成。86年に滝本晃司さん(63)が加わった。

 イカ天への出演にはメンバー間で温度差があった。石川さんは「出た方がいい」派。一方で、「ブームに乗っかっているみたいで格好悪い」派もいて、4人は結論を出せずにいた。

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桐生あかねさん

 煮え切らない様子にしびれを切らしたのが、ライブの手伝いをしていた音楽仲間の桐生あかねさん(62)だった。「いい音楽だから、たくさんの人に聴いてほしい。善は急げ」と、4人に黙って、曲を録音したカセットテープをTBSに送ったことから全てが始まった。

 「らんちう」に続いて、2週目には「さよなら人類」を演奏。あれよあれよという間に5週勝ち抜き、殿堂入りの称号を得た。他のバンドとは一線を画す、演劇的な空気をまとった音楽はとても異質かつ斬新で、バブル景気のさなかに、ふと日常を忘れさせてくれる力があった。

 90年の大みそかは、狂乱の一年を象徴する一日だった。

 TBSのレコード大賞への出演が終わると、「早く、早く」の声にせき立てられて日本武道館からハイヤーで一路、渋谷のNHKへ。「ただただ慌ただしいということしか記憶にない」。ピンク・レディーのメドレーに続いて「さよなら人類」を演奏し、無事に紅白歌合戦をやり切った。

 だが、この頃の石川さんは、どこへ行っても声をかけられ、注目される生活にうんざりしていた。ほんの1年前まで小さなライブハウスが主戦場だった自分たち。「どうせテレビなんて一過性のものだ」「のぼせ上がるのはやめようぜ」。4人はお互いを 牽制(けんせい) し合い、冷静でいようと努めていた。

 紅白を終えて都内の貸しスタジオで開いた打ち上げは、パイプ椅子に腰掛け、コンビニで買ったビールにスルメがつまみ。「もう少し豪華にできなかったのか」と苦笑しながら、石川さんはこうも思った。「そうだよな、しょせん俺たちはこういう所が似合っているよな」

解散後ソロに、「この人誰?」

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その人気が社会現象となった「たま」は「現代用語の基礎知識1991」(自由国民社)にも掲載された

 「一過性」の予想は的中する。世間の熱狂は次第に冷め、CDの売り上げは少しずつ落ちた。「ソロ活動に力を入れたい」。95年、「さよなら人類」のリードボーカルだった柳原さんが脱退。最大の代表曲を演奏することもなくなり、残った3人は2003年、「たま」解散を決めた。

 石川さんが一人で音楽活動をするようになると、あの「問題」が困り事として頭をもたげてきた。

 解散してまもなく。ソロライブで訪れた北海道の空港に、現地の女性スタッフが迎えに来てくれた。車に乗り込み、会場に向かう。到着後、居並ぶスタッフたちに「はじめまして」と順番にあいさつしていくと、一人がけげんな表情を浮かべている。「さっきまで一緒にいましたよ」。空港に来てくれた女性だった。

 「たま」の頃は、「この人、誰?」と思っても、他のメンバーが「○○さんだよ」と教えてくれた。だが、これからは一人で活動していかなければいけない。

 人の顔が覚えられない僕が見ている世界、それは――。たとえば、長髪で眼鏡をかけヒゲを生やしたAさんと道端で会ったとする。ところが、その場で「Aさんだ」と認識したとしても、別の場所で会うと「長髪・眼鏡・ヒゲ」の他の人と見分けられなくなる。実家ではなく、知らない土地で親きょうだいとすれ違っても、身内とは気づかないかもしれない。

 イカ天に出て顔が広く知れ渡ったことで、拍車がかかったとも思う。自分だと気づかれないよう意識して人の顔を見ないようになり、「覚える力」が奪われていったような気がする。

 知り合いだと思ってしゃべりかけた人が全くの別人だったり、お世話になっているスタッフとライブで顔を合わせても誰だか分からなかったり。日常で恥をかいた失敗は数え切れない。道ですれ違っても無視してしまい、「冷たいやつ」と思われたら嫌だ。自分を覚えていてくれる人に会うのが申し訳ないとさえ感じるようになっていた。

「ついたー」皆に覚えられ 

 片や、周囲の人はいつまでも石川さんの顔を記憶し、その存在に魅せられていた。

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大林宣彦さん

 10年、映画監督の大林宣彦さん(20年に82歳で死去)は、新潟県長岡市の花火大会を題材にした映画制作に乗り出した。そこで、貼り絵「長岡の花火」を代表作とする放浪の画家・山下清を登場させることを決めた。

アングラな歌で「イカ天」出演 翌年には紅白へ , 解散後ソロに、「この人誰?」, 「ついたー」皆に覚えられ , ブラピの記事「自分も同じだ」, 気楽に自由に「いまぐらいが一番いい」

大林千茱萸さん

 「その役ならば、石川さんにお願いするべきだ」。そう提案したのは、大林さんの娘で、自身も映画監督を務める 千茱萸(ちぐみ) さん(61)だった。

 「さよなら人類」の大ヒットから20年がたっても、「ついたー」と叫ぶ姿が鮮明に焼き付いていた。「既製品ではない、本能の塊のような人だ」。その印象が色あせることはなく、父の了承を得た千茱萸さんは石川さんのライブを訪れ、出演を直談判したのだった。

 12年に公開された「この空の花―長岡花火物語」は「大林的戦争三部作」の一つとして高く評価され、石川さんの魅力に触れた大林さんは千茱萸さんとともに、家族ぐるみでライブに足を運ぶようになった。

ブラピの記事「自分も同じだ」

 顔を覚えられないのは「しょうがない」と思えるようになったのは、あるニュースがきっかけだ。

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ブラッド・ピットさん

 「会話をした相手の顔を忘れてしまう」。13年、雑誌のインタビューで、米俳優ブラッド・ピットさん(61)がそう告白していた。単なる物忘れではなく、「 相貌(そうぼう) 失認」というらしい。「自分も同じだ」と気づき、これまでのことが胸にストンと落ちた。「ブラピと同じだから、次会った時に分からないかもしれない」「失礼があったらごめんなさい」。周囲に素直に伝えるようになった。

 石川さんの音楽活動にとって、「忘れてしまうこと」は決してマイナスばかりではない。むしろ、日頃から音楽の新鮮さを保つために「忘却力」を強くすることを意識している。

 パーカッションを即興で演奏する時は、「こうたたけばいいとシミュレーションせずに、初めて聴いた時のように反応したい」。だから事前に覚えすぎないように心がける。「ついたー」も実は即興で生まれた産物だった。

アングラな歌で「イカ天」出演 翌年には紅白へ , 解散後ソロに、「この人誰?」, 「ついたー」皆に覚えられ , ブラピの記事「自分も同じだ」, 気楽に自由に「いまぐらいが一番いい」

ロケット・マツさん

 今は、13人編成の楽団「パスカルズ」の一員として国内外でライブを重ね、ソロ活動では今年7月にアルバム「ラザニア」を発売。サントリーのCM曲も歌う。パスカルズのバンドマスター、ロケット・マツさん(68)は「浩司は新鮮さや驚きを大事に、人を楽しませる演奏をしてくれる」と話す。

気楽に自由に「いまぐらいが一番いい」

 デビューから35年、解散から22年がたった。

 「さよなら人類」が売れたことは「宝くじに当たったようなもの」。あの1曲のおかげで音楽以外の仕事をせずに暮らせている一方、人の顔を一層覚えられなくなったとも思う。医療機関の診断を受けたわけではないが、特性はこれからも続くだろう。それでも石川さんは思う。「結局、人の脳みそなんて、どこかがへこんでいて、どこかが伸びていて、へこんでいる部分が僕の場合は『顔が覚えられない』ということ。だけど、他の人ができない音楽ができている」

 誰にでも苦手なものはある。だけど、自分が得意な分野を見つけることで、楽しい日々が開けていく。「もうあんなに売れたくないです。いまぐらいの感じが一番いい」。そう笑う姿はどこまでも自然で、気楽で、そして自由だ。

  こまざき・たかひろ  2009年に入社し、現在は東京社会部で調査報道を担当。元「たま」の他の3人への取材はかなわなかったが、「良い記事になりますように」との言葉をかけてくれたメンバーもいて、絆を感じた。40歳。