いまも「平民」になり切れていない 南北朝時代から続く家「お墓の管理が結構大変です」

伏見博明氏=7月17日(相川直輝撮影)
《妻から「うちでは厳しい、冷たい」と指摘された家庭について聞いた》
結婚したのは昭和35年です。おふくろ(朝子(ときこ)さん)が「こういう女性はどうか」といろいろと相手を探してくれました。僕はお見合いに興味がなかったので全部却下して、自分で妻を見つけました。
紀尾井町の家に妻を迎えて、3人の子供もそこで育ちました。39年の東京オリンピックを見に行きました。おふくろが亡くなったのは46年。ホテルニュージャパン(赤坂見附交差点の近くにあった)の火災(57年2月)を間近で見ました。そのときまでは紀尾井町の家に暮らしていたはずです…。

かつての伏見宮邸を背景に=7月17日(相川直輝撮影)
子供は全員娘です。長女は僕と一緒に住んでいます。早く亡くなった妻の代わりに僕の面倒を見てくれています。次女と三女は結婚して、三女は都内に住んでいます。次女が暮らしているのはハワイ。僕がアメリカへ渡航する途中に現地の日系人らから「伏見宮さま」と歓待されたところです。
孫は次女が産んだ男の子2人です。上の子はコロラド(米西部)の大学で獣医をしています。たいそう忙しいようで、ハワイに帰ろうとしたのを大学側から「帰らないでくれ」と言われているそうです。下の子はハワイ大学の大学院に通いながら助教授をしています。富士山より高いマウナケア山(標高4205メートル)の頂上に天文台があり、世界一でかい望遠鏡で宇宙を飛び交う電波の研究をしています。

9月29日に開催された公益財団法人伏見記念財団の理事会。左から2人目が伏見氏=東京都内
次女は家庭の中ではできるだけ日本語で会話するようにしてきたようです。上の子は日本語がペラペラです。下の子はちょっと苦手かな。日本に来たときに僕がつい英語をしゃべってしまい、気分を良くして英語で話しましたね。
《南北朝時代から続く家として苦労していることがある》
お墓の管理が結構大変です。京都市の相国寺の隣に多数あり、さらに東京(豊島岡墓地)にも10基ほどあります。東京のお墓はひいおじいさん(貞愛(さだなる)親王)以降のがあって、その前のご先祖のは京都にあります。
お墓の敷地は宮内庁の所有なのですが、個々のお墓の管理は戦後にそれぞれの家がやることになりました。これだけの数のお墓があると、ご先祖に関する祭祀(さいし)も多く、それだけでも忙しい。皇室の行事も多数あり、なかなか「平民」になり切れていないですよね。
《令和3年、公益財団法人伏見記念財団を設立した》
僕は伏見宮という宮家に生まれました。伏見宮家は世襲親王家として何百年もの間、天皇家をお支えするのを務めとしていました。そして、日本はいろいろな苦難を乗り越えながら伝統と文化を守ってきました。
歴史学を志す若い学生たちに新たな資料の発掘や検証を行ってもらい、日本の伝統と文化を次世代へ継承してほしい。そういう学生を応援する目的でつくりました。
《最後に、旧皇族と皇室とのかかわりについては》
皇族に復帰したら、こうして皆さんと簡単に会うことが難しくなるし、自由に行きたい所に行けなくなる。臣籍降下の後に生まれた人たちは、急にみんなが宮さまになれと言われても、言葉遣いや皇族としての生き方を覚えるのに大変でしょう。
旧皇族は、今でも宮中祭祀など皇室の行事に招待されているので、皇室とのかかわりは続くのです。今後も『旧皇族』というタイトルで十分です。もっとも、国の方針でどうなるか。それは、分かりません。(聞き手 今堀守通)=明日からラグビー元日本代表、松尾雄治さん