まさかの「自公連立崩壊」を招いた"真犯人"は誰か

自公党首会談に臨む公明党の斉藤鉄夫代表。この後、斉藤氏は「連立離脱」を自民党に告げた(写真:時事)
「今日は午後7時から全国県代表会議、午後9時から中央幹事会が開かれる。1日に2度も幹事会が開かれるなんて、これまでになかったことだ」
【写真あり】登場人物、全員“犯人”? その中でも「連立離脱」のダメ押しとなったのは誰か
ある公明党の議員秘書は10月9日午後、議員会館でため息をつきながらこう漏らした。すでに午前に中央幹事会が開かれており、同関係者は「このとき、『代表に一任』ということになったが、その判断の前に地方の声を聞くということだろう」と述べた。
そして翌10日午後に開かれた2度目の自公党首会談で、1999年に成立した自公連立の“終焉”が決定した。
関係者「萩生田氏だけが問題ではない」
「とても首班指名で『高市早苗』と書くことはできない、と申し上げたところであります」
1時間半に及んだ首脳会談の後、公明党の斉藤鉄夫代表はこう語った。今後の選挙についても、「(自民党候補の)推薦をしない、(自民党に)推薦を求めない」と明言。斉藤氏が「いったん白紙に戻す」と言った自公関係は、二度と復活しない可能性もある。
公明党はなぜ今、26年間の自公関係を終わらせたのか――。
自民党の新たな執行部の人事が発表された7日、高市総裁と斉藤代表は自公連立政権の継続に向けた政策協議を行った。このとき、斉藤氏は高市氏に①「政治とカネ」の問題、②靖国参拝を含む歴史認識、③過度な外国人排斥という3点について懸念を伝えた。
斉藤氏は②と③について「認識を共有できたところもたくさんあった」と述べたが、完全合意に至らなかったことに含みを残した。さらに①について、公明党側は企業団体献金先を政党本部と都道府県単位の組織に限定することを提案したが、自民党側は「それでは地方支部の活動に支障が出る」として拒否。10日の党首会談では高市氏が「党に持ち帰らせてくれ」と言ったが、公明党側が拒否している。
“裏金議員”への対処についても、双方の意見は対立した。高市氏は総裁選で「党の処分を受け、選挙で禊(みそぎ)も受けている」として、“裏金議員”の登用を容認。党人事では、2728万円の裏金問題で党から処分を受け、昨年の衆議院選挙で公認を得られなかった萩生田光一衆院議員を幹事長代行に抜擢した。これが公明党の離反の“トリガー”となったのかもしれない。

幹事長代行に抜擢された萩生田光一衆院議員(写真:ブルームバーグ)
萩生田氏には裏金問題のみならず、旧統一教会との関係や、公明党が切望した衆院東京28区をめぐる確執もあるからだ。だが、「萩生田氏だけが問題ではない」と、ある関係者は言う。「自公関係は萩生田氏1人の問題で決裂するほど単純なものではない」――。
26年間の自公連立がたどってきた紆余曲折
「26年間の自公連立」といっても、双方はつねに良好な関係だったわけではない。09年8月から12年12月までの民主党政権時の自公関係は、大して緊密なものではなかった。この期間、公明党は党大会に自民党の谷垣禎一総裁(当時)を招待せず、メッセージだけが読み上げられた。
「連立与党」という言葉はあっても、「連立野党」という言葉がないというのが、公明党側の言い分だった。この時期の自公関係は、少なくとも公明党にとっては“クール”なものといえた。
その原因を作ったのが、麻生太郎元首相だ。麻生氏は福田康夫元首相の突然の辞任を受け、08年9月に首相に就任。当初は翌月に衆議院を解散するはずだったが、早々に勃発したリーマンショックへの対応に追われるうちに「麻生降ろし」が勃発した。追い込まれた末に解散へとなだれ込み、自公は下野せざるをえなかった。
ある公明党関係者は、「当時の苦しさは忘れない。“戦犯”は間違いなく麻生元首相だ」と苦々しげに言い放つ。
麻生氏は自民党内で、公明党から“最も遠い存在”といえる。自身が選挙に強いために、組織票を持つ公明党に配慮する必要はないからだ。
23年に行った講演で麻生氏は、前年の安保関連3文書の閣議決定をめぐって山口那津男代表や北側一雄副代表(いずれも当時)ら公明党幹部を「いちばん動かなかった“がん”だった」と名指しで批判し、問題となった。

麻生元首相(左)や茂木元幹事長(右)など、高市執行部では公明党と距離のある人物が重用され、これが公明党の反発を招いたとみられる(写真:ブルームバーグ)
高市内閣が成立した場合は外相に就任するとみられる茂木敏充元幹事長も、公明党の支援を必要としない。そのためか、昨年の衆院選で新設された衆院東京28区をめぐって公明党と鋭く対立し、石井啓一幹事長(当時)をして「自公関係は地に落ちた」と言わしめたことがある。
「“われわれと話せる人”がいない」
こうして公明党に好意的ではない人たちが高市氏の脇を固めることに、公明党は不安を抱いた。前出の公明党関係者は次のように語る。
「これまで自公が連携をとることができたのは、互いにパイプがあったからだ。トップ同士の相性が決してよくなかった第2次安倍政権のときでさえ、自民党側は公明党と話ができる二階俊博幹事長(当時)がいたし、こちらにも漆原良夫元国対委員長など自民党との“窓口”があった。だが、現在の高市執行部には、“われわれと話せる人”がいない」
民主党から政権を奪還して以来、自公は故・安倍晋三元首相、菅義偉元首相、岸田文雄前首相、石破茂首相と政策協定を結んできた。いずれも衆参両院で自公が過半数を占めていたため、与党の地位は盤石。「連立離脱」など想像すらできなかった。
ところが、今回の政策協定は衆参両院で自公は過半数を維持できない状態で、与党の地位すら危うくなっており、与党でいたい公明党を引き寄せる要素はほとんどない。しかも、支持母体である創価学会から「連立離脱」の圧力がのしかかった。
そもそも以前から同党内部からは「自民党との選挙協力は割に合わない」という批判の声が上がっていた。衆院小選挙区での候補擁立は、自民党のほうがはるかに多いからだ。その“見返り”が与党の地位と国土交通相のポストだが、自民党候補に尽くすエネルギ―に比べたら、少ない報酬といえるだろう。
しかも、党勢は年々衰えつつある。24年の衆院選比例区での得票は596万4415票で、とうとう600万票を割り込んだ。だから公明党は「政治とカネ」の問題を一向に解決しようとしない自民党と組んでいても、先細るだけだと判断したのだろう。
高市・玉木会談の先行でも心証が悪化

公明党との会談に先駆けて、高市総裁が国民民主党の玉木代表と会談したことも、公明党の心証を悪くしたようだ(写真:ブルームバーグ)
なおかつ、自公で政策協定を結ぶ前に、高市氏は国民民主党の玉木雄一郎代表に面会。高市氏は自公連立を「1丁目1番地」と発言してきたが、「連立の拡大か」と話題になった。
しかし、自自公連立から00年に自由党が離脱した例を見るまでもなく、3党連立となれば後から合流した政党の立場が強くなりやすく、公明党の立場は弱くなる。
自公連立の離脱を宣言した公明党は、さっそく野党協議への参加に意欲を見せている。また、自民党とすみ分けしてきた小選挙区の一部からの撤退についても検討し始めた。
一方で自民党は、公明党の候補が立つ選挙区に“刺客”を送り込むことを検討。公明党の離反により岩盤保守層が戻ってくることを期待するが、これまで得てきた公明票より多くの票を、自民党が獲得できるかどうか。安倍政権に象徴される「一強多弱」時代は終わり、群雄割拠時代が始まるのかもしれない。