「入学式はみんな特攻服」…サッカー元日本代表・岡野雅行が作ったサッカー部、今は選手権の常連校に

 J1・浦和レッズで活躍し、日本代表ではワールドカップ(W杯)初出場をつかんだ「ジョホールバルの歓喜」で決勝ゴールを決めた岡野雅行さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演。サッカー部を自らつくってチームを強化した高校生活の思い出を、番組MCで元日本代表の槙野智章さんと語った。

ピッチサイド 日本サッカーここだけの話

島根県の全寮制の高校へ

 岡野さんは横浜市出身で市内の小・中学校を卒業したが、高校は島根県の松江日本大学高校(現・立正大学淞南高校)に進学した。

 「小学校からサッカーを始めて選抜にも選ばれ、中学校でもサッカーをやっていた」

 「僕らの時代はプロ(Jリーグ)がなくて、学校の先生からはサッカーをやってもお金にならないし、将来がないと言われていた」

岡野さん

 実際に中学でサッカーをやめていく仲間も多く、岡野さんも彼らと遊ぶことに気持ちが流れていったという。

 「サッカーがおろそかになっているのに気づいてないわけ。みんなに足の速さも負けて抜かされちゃったの。気づいたら中3で、勉強もちゃんとしてこなかったから受かる高校がほぼない。サッカー推薦もない」

 高校でもサッカーを続けたかった岡野さんは、親戚のすすめで松江日大高への進学を決意する。

 「全寮制でサッカー部があるということだった。島根県なら高校数が少ないから、全国高校サッカー選手権に行けると思って」

 しかし、入学したら肝心のサッカー部がなかった。

サッカー部をつくって強化

 「入学式、みんな特攻服だよ。(不良を)更生させる学校だったわけ」

 岡野さんはサッカー部を自らつくり、「不良生徒」たちとの曲折を経ながらチームを強化していった。

 「最初は22-0で負けたんだよ。それが1年後は県で4強になった。(生徒たちは)根性があるからやるとなったらとことんやる。すごいスピードで強くなった」

左から槙野さん、岡野さん、中川絵美里さん

 高校最後の全国高校サッカー選手権大会の島根県大会は、注目校にも挙げられたという。しかし、県大会はPK戦で敗退した。

 「俺が最後のキッカーで外した。俺がサッカー部をつくって、俺が教えたわけじゃん。で、俺がPKを外した。(チームメートに)何て言おうと思ったら、みんなが『(外したのが)お前で良かった。俺らは絶対に外せなかった』って」

 松江日大高はその後、2001年に現在の立正大学淞南高校に改称。サッカー部は高校選手権の常連校になり、2010年にはベスト4入りも果たした。

プロフィル

岡野雅行(おかの・まさゆき)

南葛SC・事業本部長。浦和レッズ・ブランドアンバサダー。1994年に浦和レッズに加入し、96年にはJリーグベストイレブン。日本が初めてW杯に出場したフランス大会のアジア最終予選・アジア第3代表決定戦「ジョホールバルの歓喜」で決勝ゴールを決めた。2009年からはガイナーレ鳥取でプレーし、13年に現役を引退。引退後もガイナーレに残り、24年に代表取締役GMを退いた。1972年生まれ。神奈川県出身。