1強時代へ「彼しかいない」貴乃花が大の里に送る熱視線の理由は… 平成の大横綱、負けて覚える相撲は存在しない

横綱大の里への期待を語る貴乃花さん=9月下旬撮影

 大相撲で「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花光司さんは2025年8月に53歳となった。1990年代に兄の3代目若乃花(元横綱)と空前の「若貴ブーム」を巻き起こし、史上6位の優勝22度を記録した。日本相撲協会を退職したのは2018年秋。角界を離れた今、往年のスターはどんな思いで令和の土俵を見ているのか。(共同通信=田井弘幸、竹内元)

1995年1月、新年の奉納土俵入りを披露する新横綱貴乃花(右)=明治神宮

▽「彼には人生運がある」

 2025年9月の秋場所は大の里と豊昇龍の両横綱が優勝決定戦で熱戦。9日からは福岡国際センターで九州場所が始まる。貴乃花さんは横綱初制覇を遂げた25歳の大の里に熱い視線を送る。

 「まず大きいのよ。その体で前に出るという感じ。相撲の取り方が素直。背丈があって、しなるような体つきをしている。筋肉が柔らかい。相手にすぽんとはまるような感じで右を差し、どどどっと出ていく。四つ相撲ではなく、差す相撲。押し相撲でもない。あの取り口で横綱にまで駆け上がるのは不可能なはずなのに、それでも勝てるから。横綱2場所目で少し落ち着いて、本来のものが出てきたんでしょう」

 

 貴乃花さんは19歳5カ月で初優勝するなど数々の最年少記録を樹立。初土俵からわずか13場所で頂点に立った大の里のスピード出世を独特の視点で表現した。

 「彼には人生運がある。大学(日体大)から入って横綱になるのは珍しいが、入った部屋が良かった。稽古場で胸を出しながら相撲を取ってくれる師匠(二所ノ関親方=元横綱稀勢の里)に恵まれた。運も実力のうちというけど、そういう巡り合わせはある。目に見えない力や運が、ちゃんとついている」

1991年5月の夏場所で18歳の貴花田(左、当時)は横綱千代の富士に勝利=両国国技館

▽五感を研ぎ澄ませて

 大の里は日本出身横綱として君臨し、今後は一時代を築くことが期待される。貴乃花さんはその素材に太鼓判を押す。

 「普通にやれば、大の里の1強時代になるでしょう。彼しかいないし、君臨してくれないと困る。秋場所の相撲を見ると、追随する者はそうはいないのではないか。変な言い方だけど、できるうちに優勝しまくったらいい。そのための実力は常に付けていかないといけない。人間、衰えなんかすぐに来るから」

 先輩横綱として、これから大の里に求められるものは何か。

 「この取り口で横綱になりました。それでなったら、こういう相撲も取れるんじゃないかと欲めいた考え方が出る。でも、そんなのは通用しないから。上がった時の力を継続して鍛えない限り、横綱は務まらない。会社の社長も一緒で、経済的に成長した時にソフトを変えることに依存すると会社も傾くから」 

 「だから大の里は右を差して攻める相撲をとことん追求するべきだろう。ここから知力を付けていけば技術も普通に磨かれていく。土俵の中で学ぶこと、感じること。自問自答しながら五感を研ぎ澄ませてほしい。横綱になってしまうと、誰かのものを参考にできない。自分自身にしか分からない領域に入るのが、いわゆる横綱という存在かもしれない。逆に横綱というものをしっかりと務めれば、どの業種の大御所とも渡り合って話せるのではないか」

1995年1月、新横綱優勝の初場所で貴乃花は横綱曙を寄り切る=両国国技館

▽「お天道さまに選ばれた」

 貴乃花さんは22歳で横綱に昇進。最初の3年間は18場所で優勝11度と盤石の強さを誇った。

 「幕内に上がった時、親方(当時藤島=元大関貴ノ花)の息子だからサラブレッドと言われたが、それは関係ない。横一線の幕内から横綱になるというのは、何かお天道さまに選ばれているのかな。『おまえはなるんだ』みたいなね。道を外れそうになっても勝手に戻してくれる感じがした」

 「上がったらもう落ちるところがないから、3年くらいは伸び伸びやれる。その3年が過ぎると緊張感やプレッシャーが出てくる。体の各関節にひずみが出てきて衰えに向かう。頭で分かっていても体が動かない。けがは小さいところでとどめて、大きなけがを防ぐという感じだろうね」

 昇進4年目で25歳の頃から休場が増え、2年以上も優勝に届かなかった。早くも進退を考えたのは、この時期だという。

 「上がって3年、20代中頃を過ぎると、だんだん考え出した。普通に鍛えている人間では横綱になれないし、若い頃からの積み重ねがあってこそなれる。だから(ダメージが)ちょこちょこ出てくる。大相撲は体重無差別でのぶつかり合いで、上にいけばいくほど壊し合いになるから」

横綱の地位の重みを力説する貴乃花さん=9月下旬撮影

▽目に見えないもの

 まさしく壮絶な闘い。横綱在位中は重圧に押しつぶされなかったのか。

 「上に立つというのは孤独な証拠。地位でいえば1枚しか違わないが、大関は負け越しても次に勝ち越せばいい。でも横綱の勝ち越しは最低でも12番と私は言われてきた。できなければ下がるところがないから、辞めればいいだけの話。そういう重圧を感じながらやると潔さを覚える。あの地位は本当に孤独だ」

 「相撲は本当に先が見えない勝負で、足の裏以外が土俵に付いたら負ける競技。他のスポーツとは全く違う。緊迫感が違う。その世界で横綱になると悩むし、押しつぶされる。でも、そこからが本領発揮だ。開き直りの精神が大事になり、昔から日本人が大切にしてきた『なるようになれ』みたいな気持ちかな」

 2001年初場所では14場所ぶり21度目の復活優勝。横綱武蔵丸との優勝決定戦を制した。本割で敗れて支度部屋に戻ると、てっぽう柱に直行し、ひたむきに打って勝負の土俵に向かった。「強くなりたい一心のころを思い出していた」という当時の言葉が印象的だった。

 「てっぽう柱はいわゆるご神木でしょう。打ちながら神様に聞かないと分からない。目に見えるものを信じたくなるけど、目に見えないものが世の中にはたくさんあるから。打っていると気持ちも動く。人生なんて答えがないんだから、見つけようとしたら駄目。信じるものは何かを見つけ出さないといけない。そしてあの当時、武蔵丸さんが今までにないくらいに地力をつけていて、そこに挑むという気持ちが自分を支えていた」

 2場所後の01年夏場所千秋楽は前日に右膝の大けがを負いながら強行出場。武蔵丸との優勝決定戦に勝った一番は大相撲史に残る名場面だった。同時にその代償は大きく、翌場所から7場所連続全休に追い込まれた。後悔はなかったのか。

 「全く後悔していない。逆に言えば、これがきっかけで引退できるという感じだった。(負傷して敗れた14日目の一番は)若い時の相撲なら完全に勝っている形だが、神様は人間に試練を与える。『怪我』という字は『我に怪しい』と書くでしょう。だから自分が怪しいということ。もう一回、確認しろよと。(寄った場面は)引退間際だから若い時みたいに体がすーっといかない。言い訳無用。けがをするんだから、自分が悪い」

2001年5月の夏場所で右膝の大けがを押して強行出場の横綱貴乃花は優勝決定戦で横綱武蔵丸を破る=両国国技館

▽成功しなければ…

 長期休場から一度は復活を遂げた。再起へと向かう決意は揺らがなかったのだろうか。

 「休場して3カ月くらいは何も考えなかった。あのまま引退している感覚の方が大きかったし、引退の時期をどうするかなと思っていた」 「それが『いつまで休んでいるんだ』といったような記事が出て、自分は立ち上がっていかなければなと思った。優勝回数を上乗せしていくとか、そういう感覚は全くなかった。休場から6カ月くらいたつと、もう復帰することしか考えていなかった」

 一時はフィーバーとも形容された大相撲人気を引っ張り、頂点を極めて相撲道を追い求めた。そこには独自の観点があった。「横綱貴乃花」の勝負への信念とは。

 「負けて悔しいと思うだけでは、その先にいけない。どんな世界でも、成功しなければ仕事のやり方は絶対に覚えない。負けた時は負けた悔しさを覚えるだけ。特に若い時期は勝って覚えて、場数を踏まないと何も分からない。負けて覚える相撲なんて、この世の中に存在しない」