「震度7の揺れ」が立て続けに…「観測史上初」の衝撃だった「熊本地震」はどのように起きたのか

列島誕生以来、地震・噴火・津波などの自然災害の脅威に絶え間なくさらされてきた災害大国・日本。いくつもの巨大災害が、日本史上にその名を残してきた。平安時代を揺るがした「貞観の大津波」、近世では「宝永の富士山噴火」や「安政南海地震」、近現代では「関東大震災」や「阪神淡路大震災」、そして「東日本大震災」……。歴史を大きく塗り替えた自然災害はなぜ発生し、日本にどのような影響を与えてきたのか。浮かび上がる「歴史の法則」とは――壮大なスケールで日本史を捉えなおす新連載!

「震度7の揺れ」が立て続けに…「観測史上初」の衝撃だった「熊本地震」はどのように起きたのか

本記事は、『日本史を地学から読みなおす』(鎌田浩毅・著)を一部抜粋・再編集したものです。

震度7の揺れが立て続けに襲った熊本地震

2016年(平成28年)4月14日午後9時26分、熊本県でM6.5の地震が発生し、熊本県益城町で震度7の激しい揺れが観測されます。「本震」と思われたこの地震は、実は「前震」に過ぎませんでした。

2日後の4月16日午前1時25分、M7.3のさらに大きな規模の地震(本震)が発生したのです。この本震でも熊本県益城町や西原村が震度7の揺れに襲われました。これが「熊本地震」です。

熊本地震は、九州を斜めに横断する「日奈久断層帯」と「布田川断層帯」が連動して立て続けにずれ動いたことで発生した内陸(直下型)地震です(図「熊本地震の震源断層」)。1949年に震度7が設定されて以来、同一地域で震度7の地震が連続して発生したのは初めてのことでした。

熊本地震の震源断層(産業技術総合研究所地質調査総合センターウェブサイトを基に作成)

熊本県と大分県では、その後も多くの余震が発生し、地震(前震)発生からの5日間で、有感地震は2000回に達しました。余震の規模も大きく、5日間で震度6の揺れが5回、震度5の揺れが5回も観測されました。大きな余震が何度も発生し、ほかの地震とくらべて、時間が経っても余震の数があまり減らない(地震が収まらない)というのが、熊本地震の大きな特徴でした。

激しい揺れに襲われて多くの建物が倒壊しました。しかも熊本地震では強い揺れが繰り返し襲ったため、建物にダメージが蓄積していき、何度目かの揺れで耐えきれずに倒壊するような例が数多く見られました。

全壊した家屋は約8000戸にのぼり、半壊家屋は約3万4000戸、一部損壊家屋に至っては約15万3000戸に達します。各地で土砂災害も発生しました。大規模な土砂崩れによって「阿蘇大橋」が崩落し、橋を走行中だった乗用車が崩落に巻き込まれました。

強い余震がなかなか収まらないという状況は、避難生活にも大きな影響をおよぼします。建物内にいることに不安をおぼえた多くの避難者が、各地で車中泊やテント泊をおこないました。熊本県や大分県で、最大18万人をこえる人たちが避難生活を送りました。熊本地震では、家屋の倒壊や土砂災害、避難生活のストレスなどによって、270人以上の死者が出ました。

前震・本震・余震

一連の地震活動の中で最も大きな地震を「本震」、その後に発生する(本震よりは)小さな地震を「余震」といいます。本震の発生前に、本震よりも小さな地震が発生することがあり、それを「前震」とよびます。

前震・本震・余震は、基本的に同じ震源域で発生します。最初の地震が発生したときに、それが前震か本震か(今後もっと大きな地震がやって来るか)は、現状では判断することはできません。

熊本地震では、M6.5の巨大な地震が発生した2日後に、M7.3のもっと大きな地震が発生しました。最初の地震は前震に過ぎなかったのです。

とくに巨大な地震が発生したあとには、本震の震源域からはなれた場所で地震が誘発されることがあります。昭和初期に日本を襲った「昭和三陸地震」も、誘発地震の典型的な例のひとつです。

明治三陸地震と昭和三陸地震の震源(JAMSTECウェブサイトを基に作成)

ある地震が誘発地震であるか、独立して発生した地震であるかは、その地震の前に発生した地震によってどれくらいの影響を受けたか(地盤にかかる力の変化など)を総合的に考えて、判断されることになります。

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本連載では、地球科学者が100万年スケールで激動の日本列島を描き、歴史から学ぶべき教訓をお伝えしていく。