手の震え、頭痛…家族4人がなぜか急に体調不良に 原因は「おいしい地下水」に混入していた毒だった…製造したのは旧日本軍、半世紀を超えてなぜここに?(後編)

防護服に防じんマスクで、高濃度の有機ヒ素汚染地点の掘削の準備作業をする作業員ら=2004年12月、茨城県神栖町(現神栖市)
2001年10月、当時6歳だった青塚梨奈さん(30)は、両親と生後1カ月の弟と一緒に茨城県神栖市木崎地区の平屋に引っ越してきた。田畑と住宅が混在するのどかな地域。地下水が豊富で、住民の多くは飲料水を含めた生活用水に井戸水を利用していた。
蛇口をひねれば、地下水が出てくる。井戸に備え付けた電動の「くみ上げポンプ」で住宅の水道に送り込まれるためだ。父・慎一さんは、この水で割った焼酎を「おいしい」と感じた。弟の琉時さんもこの水で溶いたミルクで育てられた。
しかし、この「おいしい地下水」が、梨奈さんの家族をはじめ地域の人々に災厄をもたらす原因になるとは、そしてその原因が60年以上前の戦時中に製造されたある兵器だったとは、この時は想像もできなかった。(共同通信=辰巳知二)

自宅近所を散歩する青塚さん一家=8月、茨城県神栖市
▽「原因不明の脳性まひ」
異変は約2カ月後の2002年1月頃から出始めた。生後3カ月の琉時さんが連日のように発熱し、けいれんを起こし始めた。梨奈さんや慎一さん、さらに母親の美幸さんも手に震えが出たほか、頭痛などに襲われるようになった。
琉時さんの生後半年健診では、診た医師が「原因不明の脳性まひ」と診断。さらにこうも言われた。
「一生歩けないかもしれない」
美幸さんは呼吸困難や不眠など悪化する息子の症状を目の当たりにした。「琉時は長く生きられないのかもしれない」
原因は病院でも分からない。両親は子どもたちの面倒を見るのに手いっぱいとなり、自らの体調を気にする余裕もなかった。

▽環境基準450倍のヒ素検出
翌年3月のある夜、青塚さん宅に大勢の警察官がやって来た。鑑識係もいる。驚く青塚さんの前で、警察官たちは蛇口から井戸水を採取した。
神栖の複数の住民を診察した筑波大付属病院の医師が、多くの人が似たような神経症状を訴えたことを疑問に思い、患者を通じて潮来保健所に連絡したことがきっかけに、井戸水の調査が始まったのだ。
地元行政は井戸水を飲まないように住民に要請。周辺の地下水からは水質環境基準の450倍のヒ素が検出された。一家は転居を余儀なくされた。

ヒ素が検出された地下水をくみ上げていた井戸ポンプ(潮来保健所提供)
原因となる物質は4月に判明した。有機ヒ素化合物「ジフェニルアルシン酸」が検出されたのだ。この物質は自然界に存在しない。唯一、旧陸軍が広島県竹原市忠海沖の大久野島にあった秘密毒ガス工場で生産した「あか剤」(ジフェニルシアンアルシン酸)の原料としてのみ使われていた。
このため茨城県は「旧日本軍が製造した毒ガスの成分が分解したものとみられる」との見立てを発表。
問題は、なぜこの地域から検出されたのか。地元の行政機関が疑ったのは、戦時中に神栖にあった旧日本軍施設。ここに毒ガス兵器が埋められていた可能性を考慮し、周辺の地下水を徹底的に調べた。しかし、ジフェニルアルシン酸は検出されなかった。
政府は旧日本軍の毒ガス原料が原因であることを重く見た。環境省が掘削調査や地下水汚染シミュレーションなどを実施する一方、住民の健康被害対策に乗り出した。

潮来保健所長で医師の緒方剛氏(2025年8月1日茨城県潮来市で撮影・村山幸親)
神栖は混乱と動揺の極みにあった。「住民に安心してもらうには医療手当の支給が欠かせない」。最前列で住民と対話した緒方剛・潮来保健所長は、地元の状況を政府に訴えた。医師の緒方氏は厚生省(現厚生労働省)や環境省で勤務経験があり、熊本県で水俣病への対応に当たったこともある。政府は2003年6月、居住地の井戸水と爪や髪の毛などからヒ素が検出された青塚さん家族を含む住民計157人に医療手帳を交付し、医療費などの公費負担を開始した。
汚染源を特定するための大がかりなボーリング調査は難航したが、2005年1月になって青塚さん宅から90メートル地点の地中でコンクリートの塊を発見。高濃度の毒ガス原料のジフェニルアルシン酸を含んでいることが判明した。
この塊は、87トン毒ガス原料は290キロと見積もられた。コンクリートの中には飲料製品の缶も残り、その製造年月日は1993年6月28日と刻印されていた。つまり、それ以降に毒ガス原料を混ぜたコンクリートが、何者かによって地中に流し込まれたことになる。

地下約2㍍から掘り出されたコンクリート状の塊=2005年1月、茨城県神栖町(現神栖市)(環境省提供)
▽真相はやぶの中
被害を受けた住民のうち34人が2005年7月、国の公害等調整委員会に申請し、後に別の5人が加わった。委員会は約7年にわたる調査、証拠調べ、審理などを経て2012年5月に「責任裁定」を下し、茨城県の賠償責任を認めた。理由の要旨は次の通り。
「1999年にも近隣で高濃度のヒ素が検出されていた。しかし、それを周辺住民に広報せず、さらに検出されたヒ素を自然由来と判断し、さらなる原因究明のために必要な調査をしなかったのは違法だ」
一方で、国の責任は認めなかった。
茨城県はこの結果を受け、住民側に計6千万円を支払う和解案を提示した。それでも、青塚琉時さんの母、美幸さんにとって、この結果は納得できるものではなかった。
「国は戦争を起こした上、毒ガス原料の管理を怠った。その責任を裁判で追及したかった」
ただ、裁判を起こしたとしても、琉時さんの世話をしながら闘う道のりはとても長く険しいものになる。周囲からも説得され、裁定を受け入れざるを得なかった。
委員会の裁定書は、原因となった毒ガス原料の由来について、気になる情報を記していた。

現在も大久野島に残る毒ガス貯蔵庫跡=6月、広島県竹原市
「1966年に大久野島由来の毒ガス原料ジフェニルアルシン酸が入ったドラム缶1200缶(約120トン)が広島市内の民間会社の空き地に放置された。所有権が放棄されたことから、広島県は近隣の港湾整備事業埋め立て地にコンクリート槽を建設し、ドラム缶を埋設したという記録がある」
そうすると、神栖市の毒ガス原料は、戦後に入手した何者かが持て余し神栖市に運んだのではないかという想像もできる。茨城県警は捜査したが、真相は究明されなかった。

自宅で談笑する青塚琉時さん(左)と父の慎一さん=7月、茨城県神栖市
▽「戦争知らない世代がなぜ」
成長した琉時さんは、問題なく歩行できるようになったものの、重度の知的障害を患った。パニックになると自己抑制が利かなくなり、自宅2階のベランダから飛び降りたり、多くの車が行き交う通りに飛び出したりした。
「鹿島の海で何度心中しようかと考えたことか」
美幸さんは琉時さんの将来を悲観し、思い詰めたこともあった。

家族が原因不明の症状に見舞われた当時の状況を語る青塚美幸さん=8月、茨城県神栖市
2020年春に地元の特別支援学校高等部を卒業。状態に多少の落ち着きは見られるものの、今でも思い通りにならないと激しく暴れることがあり、受け入れてくれる職業支援施設はほとんどない。自立は見込めず、周囲によるケアが不可欠だ。
姉の梨奈さんは結婚し、2児の母親になった。3年前に介護施設に転職し、資格取得を目指している。
「いずれ両親はいなくなる。弟の面倒を一生見られる支援施設を自分の手で設立したい」
美幸さんも介護施設で働き始めた。父の慎一さんは、ヒ素中毒の影響とみられる重い目の病気を抱えながら、琉時さんの世話に専念している。現在の自宅は、サッカーJ1の鹿島アントラーズの本拠地まで、車で30分ほどの距離。琉時さんはチームの熱烈なサポーターだ。慎一さんは、可能な限り多くのアントラーズの試合を琉時さんと一緒に観戦している。末っ子の妹も琉時さんの世話には協力的だ。
梨奈さんは家族が苦しんだ当時を振り返る。
「ヒ素汚染が分かった時、私は小学校低学年で小さかったので、大人たちは何に騒いでいるのだろうと思った程度で、誰かに対し怒りの感情を持つということはなかった」
美幸さんは息子への思いをこう語った。「琉時は本当にかわいい。『息子さんの世話で大変ね』と言われることがあるが、全く大変とは思っていない」
ただ、毒ガス兵器を生み出した戦争への怒りは収まらない。「戦争を知らない世代が、なぜ戦争の被害に遭うのか」
【前編はこちら】
「家族にも言えない」女学生160人が集められたのは、地図にない島だった…15歳で背負わされた加害責任、60年後の“発覚”(前編)
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