衆議院の解散が「首相の専権事項」って本当? 実は最高裁判所は、合憲か違憲か判断を示していない…できれば、議員が裁判をしてはっきりさせてほしい

自民党総裁の高市早苗首相と日本維新の会の吉村洋文代表らの街頭演説会場で、衆院解散に抗議する人=2026年1月27日、東京・秋葉原
8日に投開票される衆院選では、高市早苗首相による衆院解散の是非も争点の一つになっている。野党からは、通常国会で議論せずに解散したことを「自分ファーストの解散」(中道改革連合の斉藤鉄夫共同代表)と批判された。
ところで、解散は「首相の専権事項」と言われ、歴代の首相の決断で解散されてきたが、それはなぜなのか。根拠はあるのか。国家権力の仕組みは憲法が規定しているが、実は、最高裁も違憲か合憲か判断を示しておらず、この問題は放置されてきた。
今回の解散で失職した衆院議員は、ぜひ裁判を起こしてはっきりさせてほしいとさえ思う。(共同通信編集委員=竹田昌弘)

衆院解散のニュースを伝える街頭テレビ=1月23日午後、東京・有楽町
▽首相が天皇への助言と承認を通して決定、「7条解散」24回
歴代の政府の多くは、憲法7条を根拠に解散してきた。
7条は、天皇による形式的、儀礼的な国事行為が「内閣の助言と承認」の下、国民のために行うとされ、具体的な国事行為が列挙されている。その中に「衆議院を解散すること」(3号)がある。しかし、天皇は国政に関われないので、誰が解散を決定するのかが問題となる。
そこで政府はこんな解釈をして解散を続けてきた。
①天皇の国事行為に助言と承認を行う内閣が実質的に衆院の解散権を持つ
②どんなときに解散するかについて憲法に規定はなく、内閣がその政治的責任で決める
内閣の意思は、首相と全大臣で構成する閣議で決定される。さらに、憲法68条によって首相には大臣を任命、罷免する権限がある。閣議で解散に反対する大臣がいたときは罷免できる。このため、解散は実質的に首相が決定する「専権事項」となっている。
実際、2005年に小泉純一郎首相が解散を決めた際、島村宜伸農相が閣議で反対し、罷免されている。
一方で、憲法は69条でも衆院解散について規定している。衆院で内閣不信任の決議案を可決されたときなどには、内閣は衆院を解散できる。
ただ、こちらを根拠にした解散は4回だけ(48年、53年、80年、93年)。一方、「7条解散」は24回に上る。

衆院が解散され、万歳する議員(左側)ら=1月23日午後、衆院本会議場
▽GHQは7条解散認めず、「69条に限る」
ところで、7条解散はいつから始まったのか。憲法施行後、最初の衆院解散は1948年12月23日。同年10月に成立した第2次吉田茂内閣は衆院で少数与党のため、首相の吉田は7条解散をしようとした。当時の日本は、アメリカを中心とする連合国軍に占領されていたので、吉田内閣は、現在まで踏襲されている政府解釈を連合国軍総司令部(GHQ)に伝えた。
ところが、GHQは解散を認めない。理由は主に、次の2点だった。
①憲法の規定上、解散は69条の場合に限ると解釈するほかない
②憲法73条は内閣の職務と権限を定めているが、衆院の解散はそこに規定されていない
議論は平行線が続いたが、やがてGHQからこんな妥協案が示された。
「野党に内閣不信任決議案を提出してもらい、可決して69条に基づいて解散する」
結局、野党も合意してこの形で解散。「なれ合い解散」と呼ばれている。
吉田は、GHQがいなくなった1952年に初めての7条解散を行った。「抜き打ち解散」と言われる。今回のように議場ではなく、衆院の議長応接室で解散詔書が読み上げられた。これに対し、野党改進党の衆院議員だった苫米地義三がこう反発し、裁判を2件起こす。
「7条に基づく衆院解散は憲法違反だ。これを有効と認める憲法解釈が行われるとすれば、やがて首相専横の基礎となり、国家の運命は一首相の手に握られ、旧憲法(大日本帝国憲法)時代よりも恐ろしい結果を生じる」
こうして7条解散の是非は司法の場に移った。

「抜き打ち解散」と言われる初めての7条解散を行い、自由党議員総会で万歳をする吉田茂首相=1952年8月28日、国会
▽旧憲法時代の「惰性」と指摘した裁判官
裁判2件のうち、違憲の解散は無効と確認するよう求めた裁判は、地裁や高裁を飛ばし、いきなり最高裁に起こす異例な展開となった。しかし、最高裁は1953年の判決で、この訴えを「不適法」として却下。ただ、このとき1人の裁判官がつけた補足意見が注目を集めた。
「7条は、内閣が衆議院を解散し得るかどうかの権限を定めたものでないことは、法文上極めて明白である…(権力の)抑制均衡の原則から言えば、衆議院を解散することは、69条の場合を除き、内閣の権限とされていない」(真野毅裁判官)
つまり、7条解散が憲法違反であることを示唆している。真野裁判官の指摘はさらに続く。要旨は次の通り。
「例えば、罪を犯した人の刑罰を全部または一部消滅させる恩赦は憲法上、内閣が決定するという規定(73条7号)と天皇が国事行為としてそれを証明するという規定(7条6号)があるが、衆院の解散は内閣が決定するという規定がないことも7条解散ができない理由の一つ」。この点はGHQの指摘と同じだ。
さらに、天皇の命令だとして何度も解散された旧憲法時代に言及した。
「この惰性から来る、内閣は衆議院を解散し得るという考え方は、新憲法の下では断然払拭しなければならない」

「7条解散」は違憲、違法として提訴した苫米地義三(左)。民主党委員長時代、サンフランシスコ講和会議出席が決まり喜びの表情を見せた=1951年8月18日、国会
▽「極めて政治性の高い行為」と判断回避
苫米地が起こしたもう1件の裁判では、最高裁が60年6月の判決で、違憲か合憲かを示さなかった。理由の要旨は次の通りだ。
「衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であって…その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にあ(る)」
最高裁は、司法判断を回避したのだ。回避したからこそ、その後は政府の解釈で7条解散が繰り返されたとも言える。

解散についての見解を文書にまとめた元衆院議長の保利茂。前は代表質問に答える元首相の大平正芳=1979年1月、衆院本会議場
▽有識者に聞いてみると…
では、有識者はどんな考え方をしているのか。有力なのは、制約付きで7条解散を認める考え方だ。一方、「憲法69条の場合に限られる」という考え方は少数派となっている。
1976~79年に衆院議長を務めた保利茂は、解散について見解をまとめた文書を残した。文書では、7条解散について、こんな線引きをしている。
「憲法上容認されるべきであるが…乱用は許されるべきではない…三権分立、議院内閣制のもとにおいてそうせざるを得ないような十分客観的な理由が必要」
予算案や内閣の公約である重要案件が否決されたときなど、69条と同一視すべき場合は解散できると指摘した。また選挙後に提起された重大な案件が争点となる場合も7条解散は可能とし「主権在民、議会制民主主義の観点からみて当然な一つの道筋であり、こうした手順がなければ、正常な国会運営も期しがたい」と記している。
憲法学者の芦部信喜元東京大教授は衆院の解散について、憲法69条の場合を除けば、
①衆院で内閣の重要案件(法律案、予算など)が否決されたり、審議未了となったりした
②政界再編などにより内閣の性格が基本的に変わった
③総選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題(立法、条約締結など)に対処する
④内閣が基本政策を根本的に変更する―などの場合に限られると説く。
その上で「内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は、不当である」と釘を刺している(著書「憲法 第八版」)。
長谷部恭男早稲田大教授(憲法)は、政府・与党にとって有利な時機に総選挙を行うという党派的利益に即した解散を禁止する上策は憲法改正だが、かなりの時間と労力を要するので、内閣による解散権の行使を制約する法律を制定してはどうかと述べている(著書「憲法学の虫眼鏡」)。
木村草太東京都立大教授(憲法)は、恣意的(しいてき)な解散が行われてきた要因の一つとして、首相が解散の理由について国民の代表から質問を受け、十分に説明する機会がないことを挙げる。衆院で首相に解散の理由を説明させ、衆院議員が質問する手続きを定めた法律を提案している(著書「木村草太の憲法の新手 3」)。
確かに首相の記者会見では、質問する記者を選べるし、時間が来たと言って打ち切ることもできる。解散で失職する衆院議員が理由を追及できるルールを作れば、内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散、党派的利益に即した解散、恣意的な解散に一定のブレーキはかけられるとみられる。
しかし、こうした法律はまだなく、首相が「自分ファースト解散」に及んだと考える有権者は、投票でその意思表示をするしかない。また衆院議員は任期を約2年9カ月残して失職した。苫米地のように、裁判所に解散の憲法判断を求めてはどうか。最高裁が再び判断を回避したら、司法の名がさらに廃るだろう。
(※2025年5月に衆院憲法審査会事務局が作成した「『衆議院の解散』に関する資料」、2件の最高裁判決書を参照した)