変わらなければならないのは、立憲ではなく公明だった…中道改革連合が「惨敗」した本当の理由

先日の衆院選で惨敗を喫した「中道改革連合」。

その敗因は単なる中心を担う顔ぶれの魅力不足ではない。立憲民主党と公明党の支持層が抱く意外な共通点と、連合の誤りなどについて、『新しい階級社会 最新データが明かす〈格差拡大の果て〉』の著者・橋本健二さんが独自のデータにより、これまでにない視点で分析する。

あらかじめ断わっておくが、私は中道改革連合を支持しない。先日の衆議院議員選挙では、小選挙区では消去法で中道の候補者に投票したが、比例代表選挙区では他の政党に投票した。中道は予想外に極端な惨敗を喫したが、ある程度までの惨敗は予想できた。「5爺」と揶揄されたように、その中心を担う顔ぶれがあまりに魅力を欠いていたことも理由のひとつだが、それ以上に重要な理由がある。それは、公明党の政策を丸呑みしたかのようなその政策が、これまでの支持層が望んでいた政策からかけ離れていたからである。

とはいえ、立憲民主党と公明党が連合することに必然性がなかったわけではない。それは両者の支持層の政治的スタンスに、共通点が多かったからである。どこに必然性があり、またどこが間違っていたのか、データに基づいて考えてみたい。

戦後日本における政治的対立の構図

詳しくは拙著『新しい階級社会 最新データが明かす〈格差拡大の果て〉』(講談社現代新書)に譲るが、現代日本には主要な政治的対立の軸が3つあると考えてよい。

第1の軸は、敗戦後から1960年の日米安保条約改定までの間に形成されたもので、いわゆる「保守」と「革新」の対立軸の中心だったものである。つまり、日米安保体制と再軍備を支持し、憲法を改正して戦前体制に回帰しようとする「保守」と、戦後民主主義を支持して旧体制を否定し、日米安保体制と再軍備に反対し、憲法を擁護する「革新」の二極対立である。

ところが1970年代に入ると、環境問題や社会福祉、政治腐敗と汚職などの新しい争点が生まれ、「福祉・参加・平等」が「保守-革新」の対立の新たな軸となった。つまり「福祉・参加・平等」を支持する革新と、必ずしも支持しない保守の対立である。その後、格差拡大によって日本が「格差社会」と呼ばれるようになってからは、格差拡大を容認するか、格差拡大を否定して所得再分配による格差縮小を目指すかが対立軸の中心となった。これが政治的対立の第2の軸である。

そして近年では、「保守」という言葉に、以前にはあまりみられなかった独特のニュアンスが付け加わるようになった。それは、在日中国人や在日コリアンを敵視し、移民の流入を嫌悪する、排外主義のニュアンスである。これが新たに生まれた政治的対立の第3の軸である。

つまり「右」に憲法改正、日米安保体制堅持、格差拡大容認、排外主義が位置し、「左」にこれと反対の立場が位置するというのが、現代日本における政治的対立の基本的な構図といってよい。

各党支持者の政治的位置

次のグラフは、これら3つの軸に関する6つの設問への回答と、支持政党の関係をみたものである。政党は自民、立憲、公明、維新の4党に、比較対象として共産を加えてある。データは、東京圏、名古屋圏、京阪神圏の住民4万3820人を対象に行った「2022年三大都市圏調査」から得られたものである。

変わらなければならないのは、立憲ではなく公明だった…中道改革連合が「惨敗」した本当の理由

(1)は憲法第9条改正に対する賛否を問う設問への回答である。支持政党による違いは明らかだろう。「そう思う」と改憲に賛成する人の比率は、自民支持者で34.4%、維新支持者で29.6%に上っており、これに容認ともいえる「どちらともいえない」を加えれば、いずれも6割を大きく超える。これに対して立憲と公明の支持者では、「そう思わない」と反対する人が65.3%、56.4%に上り、賛成する人は1割前後にとどまっている。

(2)は日米安保体制の基軸であり象徴ともいえる、沖縄への米軍基地の集中に対する賛否を問うものである。「そう思う」と答えた人は全体に多くはなく、立憲と公明の支持者では1割程度にとどまるが、自民と維新の支持者ではそれぞれ31.5%、25.3%に上っている。これに対して「そう思わない」と答えた人は立憲支持者で61.0%、公明支持者でも49.0%に上っている。政治的対立の第1の軸に関して、立憲と公明の支持者が左に、自民と維新の支持者が右に位置していることは明らかだろう。

(3)は競争によって貧富の格差が生まれることに対する賛否を問うものである。「とてもそう思う」と明確に答える人の比率は低いのだが、それでも自民と維新の支持者では1割を超えているのに対して、立憲支持者と公明支持者ではごくわずかにとどまっている。これに「ややそう思う」を加えれば、その比率は自民支持者と維新支持者でいずれも6割近くに達するのに対して、立憲支持者と公明支持者では4割前後にとどまる。

(4)は、政府による所得再分配によって、貧困層を支えることに対する賛否である。「理由はともかく」という前提がついているだけに「とてもそう思う」という人は少ないのだが、それでも立民と公明の支持者では10%を超えており、これに「ややそう思う」を加えれば5割を大きく超える。これに対して自民と維新の支持者では「まったくそう思わない」がいずれも16%台で、「あまりそう思わない」と合計するといずれも6割を超える。このように政治的対立の第2の軸についても、立憲と公明の支持者は左、自民と維新の支持者は右に位置している。

(5)は、外国人が増えると治安が乱れるという、典型的な排外主義の主張に対する賛否を問うものである。自民と維新の支持者では「とてもそう思う」の比率が10%台後半から20%近くに達しており、「ややそう思う」との合計では、いずれも3分の2近くに達する。これに対して立民と公明の支持者では「とてもそう思う」が1割あるいはそれ以下で、「ややそう思う」と合計しても5割台前半から半ばにとどまる。

(6)は、近所に外国人が増えてほしくないという外国人忌避の傾向をみるものである。自民党と維新の支持者では「そう思う」と「ややそう思う」の合計がほぼ5割に達している。これに対して立民と公明の支持者では、この合計が4割以下にとどまっている。つまり政治的対立の第3の軸に関しても、立憲と公明の支持者は左に、自民と維新の支持者が右に位置しているということができる。

立民-公明連合の必然性と誤り

このように支持者の政治的スタンスからみれば、自民と維新、立民と公明がそれぞれ連合を組むことには必然性がある。なぜなら政治的対立の軸の上で、自民と維新の支持者はいずれも右に、立民と公明の支持者はいずれも左に位置しているからである。ここからみると、自公が連立政権を組み、維新が野党だった頃の政党システムは、明らかに歪んでいた。支持層からみれば、維新は大阪における自民の代替物だったし、公明が自民と連立するのは明らかに間違っていた。おそらく大阪の保守層は、自民と政治的スタンスが共通であるにもかかわらず、東京へのライバル意識から維新を支持しているのだろう。また公明支持層は、自公政権の政策に不満を抱きながらも、信仰心、そして実利的な政策がいくらかでも実現していたことから、公明支持を続けたのだろう。

それではなぜ、立民と公明の連合は失敗したのか。それは、両党の支持基盤がいずれも「左」に位置するリベラル層であるにもかかわらず、自公連立当時の公明の立場を継承してリベラルなスタンスを捨て、憲法改正容認、安保法制容認、原発再稼働容認へと転換したからである。格差に関しては、ベーシックサービスの充実は掲げたものの、格差拡大を容認または促進してきた自公政権の政策に対して何の批判もせず、格差の問題を争点にしようとしなかった。このことが従来の支持層を失望させ、浮遊層に近い支持者の一部をして、他党への投票または棄権を選択させ、またおそらくは史上初の女性首相をリーダーとし、「日本列島を、強く豊かに」という空疎なスローガンを掲げるだけで争点を作らせなかった自民の方を「まだまし」と評価させるに至ったのだろう。

立民-公明連合に成功する可能性があったとすれば、それは公明が、これまで自民党の悪政の数々を支え容認してきたことを自己批判し、今後は主要な支持者であるリベラル層の要求に応えていくと明確にした上で連合することだった。立民はこの点で、断固として公明に譲歩を要求すべきだった。そもそも与党時代の公明には、政治資金の問題以外に、自民党との明確な対立点がなかった。その立場を維持したままで野党に転じるというのは、明らかに無理がある。政策を転換すべきなのは、立民ではなく公明だったのである。

支持層の政治的スタンスからみる限り、立民と公明の連合に必然性があったことはまちがいない。しかし作り方を完全に誤った。旧代表の野田佳彦氏と斉藤鉄夫氏の罪は重い。辞任して済む問題ではない。明確に自己批判し、中道を新たなリベラル政党として再建することに全力を尽くすべきだろう。もっとも選挙で生き残った顔ぶれをみる限り、再建の可能性は低いといわざるをえないのだが。