なぜ国会ではなく「国民会議」で議論するのか? 透ける高市首相の思惑、参加を拒否する野党に“抵抗勢力”のレッテル

「消費減税の国民会議」ではなかったか?, 国民会議は「王道」から逸脱している, 参加した野党は反対票を投じられなくなる, 高市政権は“横綱相撲”で挑むべきだ

「社会保障国民会議」の初会合で、あいさつする高市首相(左から2人目)=26日午後、首相官邸(写真:共同通信社)

(西田 亮介:日本大学危機管理学部教授、社会学者)

「消費減税の国民会議」ではなかったか?

 2026年2月26日の夕刻、高市政権は首相官邸において「社会保障国民会議」を正式に設置し、その初会合を開催した。

 この会議体では、政権党である自由民主党と、閣外協力をおこなう日本維新の会という与党勢力に加え、野党陣営からはいち早く参加の意思を表明したチームみらいが参画し、議論をスタートさせた。

 政府は、今後議論が進行する途中でも新たに参加を希望する政党が現れれば歓迎するというオープンな姿勢を表面上は取り繕っている。

 しかしながら、政府が進めようとしている「給付付き税額控除」の導入にあらかじめ賛成の意向を示している政党だけを選別し、いわゆるチェリーピッキング(都合の良いものだけのつまみ食い)によって囲い込んでいるに過ぎないことは明らかだ。

 そもそも、この会議は設置の構想段階においては「消費税減税」の是非を議論する場として国民に向けて喧伝されていたはずであった。

 ところが、いつの間にか会議自体が「社会保障に関する国民会議」へとすり替わっており、議論の本丸は消費税減税から、給付付き税額控除をはじめとする社会保障制度の抜本的な改変へと徐々に移行しているようにすら見えてくる(しかし高市総理の施政方針演説を読むと、当初から「給付付き税額控除を含む税と社会保障の一体改革」を国民会議で結論を得るとされ、消費税減税については段落を変えて「検討を加速」と記される。このことの意味はなんだろうか?)。

 消費税の減税という国民の関心が非常に高いテーマを目くらましとして使いながら、最終的な着地点を給付付き税額控除へと誘導していく政策手法は、政策論議の透明性という観点からも、大与党に求められる横綱相撲的振る舞いとしても疑念を抱かざるを得ない。

 さらに言えば、給付付き税額控除という制度は本質的に所得税の体系に属する税制の議論である。それがなぜ、社会保険や福祉行政といった社会保障全般を包括的に扱うべき国民会議の場で中心的な議題として扱われるのかという点についても合理的な説明がないまま曖昧にされている印象が強い。

 あらかじめ政府の思惑に合致する賛成派の政党のみを官邸に集めた会議体を設置し、そこで国政の根幹に関わる重要な政策の骨格を固めようとする高市政権の動きは、日本の立法府と行政府の伝統的な関係性、とりわけ長年にわたって培われてきた日本の政策形成の慣習からしても課題が残る。

国民会議は「王道」から逸脱している

 日本の国会において成立する法律の大部分は、内閣が自ら法案を作成し提出する「内閣提出法案」、いわゆる「閣法」で占められている。

 そして、閣法が国会に提出され、与野党審議を経て成立(あるいは非成立)に至る以前には、法律によって明文化されたルールでこそないものの歴史的かつ慣習的に日本の政治風土に深く定着してきた「事前審査制」と呼ばれる非常に緻密なプロセスが存在する。

 具体的にこのプロセスを説明すれば、まず行政府の根幹を担う霞が関の各省庁の官僚機構と、国会において多数派を形成する与党(現状で言えば自由民主党が中心となる)が、水面下で綿密な調整を重ねるというものである。

 与党内に設けられた部会や、党の意思決定機関等において、関係団体の意向も踏まえた議論と擦り合わせが行われ、法案の精度と政治的な実現可能性を高めていく。

 この事前審査というフィルターを通すことによって、相当程度、成立の確度の高い、練り込まれた政府与党案が提出される。その上で、完成した法案を、国権の最高機関であり立法府であるところの国会に提出し、与党と野党がそれぞれの立場から十分な審議時間を確保して議論を戦わせ、最終的に本会議での議決によって法律を成立させるというのが、日本の議会制民主主義における伝統である。

 現在のように、与党が衆議院において圧倒的な議席数を保有し、盤石な政治的基盤を築いている状況であるならば、なおのこと十分な審議時間を設け、賛否両論を掲げる政党、国会議員らと議論するのが王道であることは言うまでもあるまい。

 しかしながら、今回の「国民会議」の設置は、この政策形成の王道から逸脱しているというほかない。

 ただし、高市総理の視点に立つなら妙手だ。

参加した野党は反対票を投じられなくなる

 というのも、第一に、この会議に参加を選択した野党は、政策議論のプロセスに直接関与した以上、最終的に完成した法案に対する「責任の一翼」を担うことになることは明らかだ。

 一度自らが主体的に関与し、議論に加わった法案に対して、事後に国会での採決の場において明確な反対票を投じることは、有権者から見れば矛盾をきたす行為となる。

 そのため、この会議体への参加は、事実上、野党側の反対運動や修正要求を事前に封じ込める性質を持っている。

 第二に、政府の呼びかけにもかかわらずこの会議体への参加を拒否する政党に対しては、「対案も出さず、議論のテーブルにつくことすら拒否する旧態依然とした抵抗勢力である」というネガティブなレッテルを貼り、世論の批判的な目を誘導できるからだ。

「消費減税の国民会議」ではなかったか?, 国民会議は「王道」から逸脱している, 参加した野党は反対票を投じられなくなる, 高市政権は“横綱相撲”で挑むべきだ

衆院本会議で代表質問する中道改革連合の小川淳也代表。国民会議への参加は見送った=24日午後(写真:共同通信社)

 第三に、会議の事務局機能や議題の設定権限など、議論の主導権は会議を主催する政府、官邸側が握っているため、結果として政府のペースに巻き込まれ、利用される可能性が高い。

 議席数で圧倒的な優位に立ち、本来であれば正攻法で法案を通す力を持つ与党が、あえてこのような搦め手(からめて)とも言える手法を用いることで、野党陣営を巧みに分断し、自らの政策実現をより確実なものにするという点において、政治的戦術としては妙手と呼ぶにふさわしい凄みがある。

 だが、この政府与党にとって都合の良い巧妙な政治戦術が、果たして主権者たる国民の利益、すなわち「国民益」に適うものかと問うてみるなら、そこに合理的な理由を見出すことは困難であろう。

「国民会議」という、いかにも民意を代表しているかのような大層な名称が冠されているが、自由民主主義国家における制度上の国民の代表は、選挙という民主的な手続きによって選出された代議士の集まりであり、彼らが集う国会こそが憲法上定められた国権の最高機関であるからだ。

 与党の議員であれ、野党の議員であれ、国会議員は一人ひとりが等しく全国民の代表である。建前は常に建前であるのみならず、せめて機能させようという姿勢を見せなければならない。

 もし政府が本当に「広く国民の声を聞きながら、多様な意見を反映させて議論を進める」ことを目的としているのであれば、政策に賛成する都合の良い政党だけを官邸という密室に集めるべきではないはずだ。

 すべての政党が参加する権利を持ち、マスメディアを通じて広く国民の監視の目が届く国会の場において、正々堂々と審議を行うのが本来の民主主義の筋である。

 この点において、国民民主党などがやや消極的に主張する「会議体を作る前に、まずは政府与党案を堂々と国会に出すべきだ」という意見は、議会制民主主義の基本原則に照らすなら理にかなっている。

 ともすれば、政府与党に批判的な野党の行動には「抵抗勢力」というラベルが貼られがちだ。気分はわからなくもないのだが、同時にいまいちど議会政治の原理原則に立ち返って評価する目も持ちたい。

高市政権は“横綱相撲”で挑むべきだ

 ところで、今回の官邸主導の動きの中で、特に象徴的な立ち位置を示しているのが「チームみらい」だ。いち早くこの国民会議への参加を表明し、事実上、政府与党が推し進める政策路線に対して肯定的な立場をとるという政治的ポジションを明確に打ち出している。

「消費減税の国民会議」ではなかったか?, 国民会議は「王道」から逸脱している, 参加した野党は反対票を投じられなくなる, 高市政権は“横綱相撲”で挑むべきだ

「社会保障国民会議」の初会合で、あいさつするチームみらいの安野党首(中央)。右から2人目は日本維新の会の藤田共同代表=26日午後、首相官邸(写真:共同通信社)

 チームみらいが「Values」と呼ぶ価値観には、「批判より提案を」「分断より解決を」といった、有権者にとって響きの良い言葉が並べられている。

 また同様に、「私たちは誰かを貶めない」「感情ではなく、データと事実に基づいた論戦を行う」といった、新しい政治姿勢を積極的にアピールしている。

 しかし、野党が担うべき主要な役割は、政府や、多数を占める与党の行動を厳しく監視し、権力の暴走や政策の誤謬に歯止めをかけることにある。

 現状の政府の政策や社会の制度に対して「批判的な眼差し」を持たなければ、そもそも現在の日本の社会のどこに深刻な問題が存在しており、何をどのように改善していくべきなのかもはっきりしないだろう。

 数の論理に安易に順応し、与党が提示する政策に無批判に賛成するだけであれば、それはもはや与党の補完勢力、あるいは第二与党としての役割しか果たしておらず、それこそ野党としての存在意義を問われかねない事態といえる。

 給付付き税額控除は(そして言うまでもなく、消費税減税も)設計の仕方によっては、従来の社会保障や社会保険のあり方を大きく変えうるポジティブ、ネガティブ双方の可能性を有している。

 それだけに拙速になることなく、幅広く、十分な検討が求められることは言うまでもないことだ。

 高市政権が主導する「国民会議」の設置は、与党の政権運営における政治的戦術としては、野党を分断し主導権を握るべく巧妙に計算されたものであると評価できるかもしれない。

 だが、衆議院において過半数を大きく超える圧倒的な議席を持ち、安定した権力基盤を有する与党は、野党を切り崩すような奇をてらった奇策に頼るべきではないというのが筆者の結論である。

 まずは政府と与党の責任において政策案をしっかりと練り上げ、それを国会に正式な法案として提出し、国民監視の下で、野党の批判や対案にも正面から向き合い、堂々と論戦を展開する横綱相撲をとることが、国民の利益に適うそれこそ責任ある政治の姿ではないか。

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