「おーい、赤ん坊がいるんだここに」次々と入る救助要請、消防隊員も犠牲に…100時間の消防無線が語る「3.11」の記録と教訓

「おーい、赤ん坊がいるんだここに」次々と入る救助要請、消防隊員も犠牲に…100時間の消防無線が語る「3.11」の記録と教訓
東日本大震災で約750人が犠牲となった宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区。地震直後から5日間、約100時間の消防無線の記録を独自に入手した。そこには、津波の中で助けを求める声、限られた人員と時間の中で迫られた判断、そして救えなかった命の現実が刻まれていた。
極限の状況で消防隊員たちは何を選び、何を守ろうとしたのか。無線に残されたやり取りと隊員たちの証言から、次なる大災害にどう備えるべきか、その教訓を探った。
■「大津波警報発令」閖上を襲った巨大津波

宮城県名取市・閖上。港町として栄えたこの場所には、震災前、およそ7000人が暮らしていた。
名取市を管轄する名取市消防本部。職員はおよそ100人。15年前、現場で何が起きていたのか。当時の状況を知る手掛かりが残されていた。地震から5日間、現場の隊員と本部が交わした100時間の無線記録だ。
2011年3月11日、名取市でも震度6強を観測。午後2時49分、本部から最初の指令が入る。「大津波警報発令 閖上1海岸避難誘導」。閖上出張所の当直3人はポンプ車に乗り込み、海側へ向かった。震災当時、閖上出張所の隊員で当日非番だった石川康裕さんは、地震後、閖上の自宅からすぐ出張所に向かった。
「近所の人に声掛けしながら出張所に向かって、当直のポンプ隊はもう避難誘導で出動しているので、私が出張所に着いた時は一人だった」(石川さん、以下同)
街の被害状況を確認しようとバイクを取りにいったん自宅方向へ向かった。その時、ある異変に気付く。「細い橋が架かっていて、そこに着いた時、閖上3丁目で住宅が崩れ始めたのが見えた。とっさに直感で津波だと分かって、引き返して出張所の方に走って逃げた」。
その途中、見慣れた車が目に飛び込んだ。「湊神社辺りに赤い車が見えた。大きいのと小さいのと2台見えた。閖上のポンプ車(閖上1)と消防団の車両かなと思った。走ってる途中、常に後ろでバキバキと音がしながらだったので、振り向く暇もなく全速力で出張所に戻った」。
出張所に逃げ込んだわずか数秒後、津波が到達した。その瞬間は、近くの建物に避難していた住民のカメラに記録されていた。「第2波の津波が押し寄せています。海岸線すっかり見えます」(住民)
石川さんは「とにかく屋上に上がるのが必死だったので、上がってから初めて周りが見えて、その時はもう周りは全部水だった。ただただ閖上がなくなってしまったと」と振り返る。
午後4時2分、「閖上地区 壊滅状態。閖上出張所2階まで波が来ている」。石川さんは「『閖上地区、壊滅状態です』と、まず一報を入れて。その後、『閖上1』と何回か呼び出したが、応答はなかった」と語る。
津波が到達する7分前の午後3時45分。「閖上1、閖上公民館出動」。公民館に退避するという無線を最後に連絡は途絶えた。
■「電柱倒壊事故発生」判断を迫られる隊員、夜通しの救助活動

午後3時20分、「閖上大橋中間で電柱倒壊事故発生」。地震が原因の交通事故の救助で閖上大橋に出動していた江川圭さん。橋が通行できず、周辺では渋滞が発生。江川さんらは、車に乗っていた人に近くの閖上小学校に避難するよう呼び掛けた。
江川さんは「避難を呼び掛けている最中に、一気に川の水が引いて川底が見えて、津波がどれくらいの高さでくるのか、橋の欄干を越えてくるのか、自分たちもそれで流される可能性があるのか。隊長として判断を迫られていた」と語る。
その数分後、名取川を遡上する津波を確認。午後4時、「閖上 津波が上がっている」。
江川さんは「茶色い濁流が一気に押し寄せてきて、だんだん増水していって、津波が堤防を越え始めたので、さらに危険な気持ちが高くなった」と話す。幸い、津波は橋げたを超えずに止まった。
同じ現場に駆け付けた草野祐助さんは、あの日の光景が忘れられない。「閖上大橋から閖上の街並みを見て、津波被害を受けていて、燃えている建物が水面上にポツポツある。消防人としてそこで一区切り、踏ん切りがついた。これから長くなりそうだなっていう」。
津波の到達直後から救助を求める住民の情報が相次ぐ。午後5時21分、「名取川付近で車が流され、車の上に10名くらい残されている」。
草野さんも現場へ向かった。「車のボンネットの上に人影何人であそこにいるよなと探りながら行くような形。手でオールを漕いでやったが、半日近くずっと漕ぎっぱなし。夜になればなるほど引き潮が厳しくなって、漕いでも漕いでも動かない。行きたい方向に行けない。早く行きたいというもどかしさとともに活動していたのを覚えている」。
手漕ぎのボートを使った、夜通しの救助活動。午前3時42分、赤ちゃんを含む10人全員を救出した。
■緊迫の救助現場と“72時間の壁”への焦り

一夜明け、被害の実態が徐々に明らかになっていった。県内や県外から緊急消防援助隊が続々到着。救助活動は加速するかに見えた。しかし、「救急車両で入れないので、徒歩にて進入」「大学校、前から進入不可」。至るところで、道路は寸断。救助に必要な機材も足りていなかった。
通信指令員の小坂健次さんのもとには、119番通報が次々と入ってきた。「最大4台同時に4回線受けられるが、それでも鳴りやまない状態。『助けてください』といった内容だが、本人も諦めかけているような声とか、いろいろな声が聞こえてきて、『必ず行きますから』と声掛けして励ましたりしていた」。
「おーい、赤ん坊がいるんだここに」という救助要請。小坂さんは「本当だったら今すぐにでも助けに向かってもらうよう指示したかったが、出せないものは出せなかったので、待ってもらう状況を作ってしまうのがつらかったなと思う」と胸中を明かす。
「閖上小学校に800名避難」。閖上小学校には多くの住民が取り残されていた。避難者の対応に当たった地元の消防団員、高野俊伸さんは「小学生と閖上保育所の子どもたちも避難してきて、老人ホームの方たちも少し逃げていた。透析をしないと駄目だという人がいたので、そういう人たちをまず出さないと駄目だというのを考えた」と語る。
12日午前10時54分、「閖上小学校から防火号と団車でピストン輸送」。優先順位の高い住民から2次避難所への輸送が始まる。高野さんは「4回ぐらいはやったと思う。20人乗せたとして、80人ぐらい乗せた」と振り返る。
地震発生から34時間、13日未明、取り残されていた住民の多くが避難を完了した。
12日午前11時15分、「60代女性 意識なし 低体温症とみられる」。午後7時14分、「がれきが100m続いているので夜間は救出不可能」。厳しい寒さが襲う中、生存確率が急激に低下する「72時間の壁」が近付いていた。
13日、地震から40時間、名取市消防本部は捜索をメインに行う「検索活動隊」を編成。わずかな望みをかけて隊員たちは懸命に捜し続けた。「奇跡を信じて、少しでも生存している方がいるんじゃないかと思って活動していたのを覚えている。72時間の生存確率…そのところまでは休まないでもいこうぐらいの気持ちで」(草野さん)
■帰らぬ仲間への思いと、「想定を超える」災害への備え

しかし、時間を追うごとに少なくなる生存者。そのさなかに飛び込んできた、無線。13日午後2時57分、「閖上1の浮き輪が五差路北東の閖上1丁目地内にて発見」。午後3時11分、「集合住宅西側に消防団の車両発見 中より2名の遺体確認」。
石川さんは「うちの同僚、私から見たら先輩3人でしたけど、3人が見つからない。『消防団の方も亡くなっているようだ』『消防車が潰れてあった』という話がみんなにだんだん広まっていって、すごくそこも……つらかった思いはありますね」と無念さをにじませる。
地震から97時間経った15日午後4時6分、「要救助者残り2名救出済 救助完了」。車内に取り残されていた4人の女性を救出。これが最後の生存者となった。
地震から100時間。名取市消防本部が救助した人はおよそ460人。しかし、閖上地区では住民のおよそ1割に及ぶ754人が犠牲となった。閖上出張所の隊員3人と消防団員16人も帰らぬ人となった。
東日本大震災消防殉職者慰霊碑に手を合わせる石川さん。「(津波から逃げる途中に)立ち止まって声を掛けられなかったのか。毎日のように顔を合わせていたし、いろいろな仕事を一緒にしてきた仲間なので、今思ってもやっぱり苦しいですね」。
震災後、名取市消防本部では地震災害時の初動対応マニュアルを改訂。「津波到達予想時刻の10分前までに退避を完了する」と定めた。「現在はそれ(退避)をすることで、その後、多くの方を救出し、多くの命を助けることにつながると。震災を通じて得た教訓」(江川さん)
2025年7月、ロシア・カムチャツカ半島沖を震源とする地震が発生。宮城県沿岸にも津波警報が発表された。
いつ訪れるか分からない災害。隊員たちは日々、訓練を続けている。
東日本大震災から15年、震災後に名取市消防本部に入った職員は全職員の半分になった。この春、定年を迎える石川さん。「想定だけで動かず、簡単に想定は超えてくるものだと念頭に置いてもらいながら、自分が助からないと他人を助けられないので、まずは自分の体力面であったり、訓練を通してその準備をしてもらう。この教訓を薄れさせることなく、ずっと語り継いでいってほしい」。
次の災害を「想定外」としないために。教訓を、未来へ──。
(東日本放送制作 テレメンタリー『“3.11”を忘れない96 100時間の消防無線 ~宮城・名取 隊員たちの記録~』より)
【映像】必死に助けを求める男性(実際の様子)
【画像】必死に助けを求める男性(当時の写真)
【映像】エリート家庭から極道の道へ…“元女ヤクザ”(実際の映像)