「黒い海に、たくさんの指が見えた」津波にのまれた女性はなぜ助かったのか 何度もよぎった死…忘れられない光景 「今も夢に見る」 #知り続ける

東日本大震災で、避難した中学校に押し寄せてきた津波=2011年3月11日、宮城県石巻市(提供写真)

 2011年3月11日。最大震度7の地震が起きた時、宮城県石巻市の女性(53)は外出中だった。東日本大震災の巨大な揺れ。中学生、高校生の2人の子どもたちが心配になり、タクシーに乗って自宅を目指した。

 ところが途中の交差点にさしかかった時、運転手は突然、車を止めた。「早く降りて」と言い残し、タクシーを捨ててあわただしく山へ向かう。津波が近づいているという。

 女性はそれでも思った。

「たいしたことにはならないだろう」

 車内に1人残ったが、振り返ればそれが致命的な判断ミスだった。(共同通信=河添結日)

2011年3月11日、東日本大震災で押し寄せる津波にのみ込まれる住宅=宮城県名取市

 ▽下水のようなにおい

 気づけば周囲が水浸しに。すぐに車は浮き、あっという間に車内に浸水してきた。このままでは危ない。あわてて手動式の窓を開け、車の外に出た途端、激しい水の勢いに飲み込まれた。

 足が地面につかない。流されているのは女性だけじゃない。車、トラック、折れた電信柱、がれきも流されている。なんだか分からないものに何度かぶつかったり、挟まったりしたが、全く痛みを感じない。あまりに水が冷たく、感覚が鈍っているからだろう。

 水は黒く、下水のような臭いがする。流されながら、そういう水をたくさん飲んだ。息ができない。苦しい。何度も思った。

 「このまま死ぬのかな」

東日本大震災の津波で被災した石巻魚市場=2011年、宮城県石巻市(提供写真)

 ▽今も夢に見る光景

 時折、水面に体が浮く瞬間がある。そのときに見えたのは人の指先だった。無数にある。

 「がれきの間で、たくさんの人が流されていたのだと思う」

 15年後の今も、その時の光景が夢に出てくるという。

 「流されている時は息ができず、苦しかった。けれど、亡くなった方はあれ以上の苦痛だったはず」

 逃れようのない流れの中にいた時、急に体が止まった。着ていた服が、大型トラックの車体に引っかかっている。

 直感的に思った。

「助かった」

 意識はもうろうとしていたが、「水の中にいたらだめだ」という考えがよぎった。ちょうど、畳のようなものが流れてきた。その上に上半身を乗せて、体をやっと水面から離すことができた。

 タクシーの場所から、800メートルほど流されていた。

東日本大震災の津波で、女性の自宅に押し寄せたがれき=2011年3月、石巻市

 ▽子どもたちに「生きていて」

 トラックにひっかかったまま約2時間半。あたりが暗くなり始めた。

 その時、このトラックの運転手が救助してくれた。運転手は、浸水を免れた近くのアパート2階の住人に交渉してくれ、一緒に避難した。

 女性は全身あざだらけ。足は捻挫している。いたるところに傷があり、出血していた。

 なんとか生き残ることはできたが、子どもたちがどうなったか分からない。

 「無事だろうか。生きていてほしい」

 体の回復を待ち、5日目の朝にアパートを出て自宅を目指した。街中のいたるところに、たくさんの遺体があった。道に倒れている人、車の中にいて動かない人、車の上に乗った状態で倒れている人も…がれきだらけの足元を確認し、注意深く歩いた。

 4~5時間ほど歩いただろうか。子どもが通っている中学校の前を通りがかった時、学校の先生が気づいて声を掛けてくれた。学校は避難所になり、子どもたちもいた。

 5日ぶりの再会。ただひたすら「生きていてくれてよかった」と思った。

 子どもたちは、いつも身ぎれいにしていた母の姿を見て絶句していたという。

東日本大震災での津波被害の体験を語った女性=3月、宮城県石巻市(提供写真)

 ▽自分への罪悪感

 家族の命は助かったものの、素直には喜べなかった。被害が甚大な地域で、家族が全員無事だった家庭は少なそうだと思ったからだ。

 「誰か1人は亡くなっていたり、反対に1人以外の全員が亡くなっていたり。『助かってよかったね』と言われても、津波に流されて助かったことに罪悪感があり、複雑な気持ちだった」

 すさまじい経験をしたことで、価値観が根底から変わったという。以前は子どもの進学、家族の将来など、心配をしながらも希望を抱いていた。でも今はこう思う。

 「とにかく元気に生きていてくれればいい」

震災から15年、地震発生時刻に合わせて多くの人が黙とうした=3月11日午後、石巻南浜津波復興祈念公園

 ▽「なぜ助かったんだろう」

 毎年3月11日が近づくと、津波に流されたときに水中で聞こえた「ゴボゴボ」という音を思い出す。窒息しそうになる夢をみる。その都度「なぜ助かったんだろう」と考える。

 あのとき、初めて死を覚悟した。死んでもおかしくなかった。

 15年がたち、亡くなった方、今も行方不明のままの方を思う気持ちは消えない。それでも、家族や周囲のおかげで、罪悪感だけでなく生きていてよかったとも思えるようになった。

 「助かった命だから、感謝しながら毎日を大切に生きていきたい」

 女性は15年たって、初めて取材に応じてくれた。最後に、体験を明かしてくれた理由を尋ねると、こう語ってくれた。

 「災害はいつ起きるか分からないから、それっきりになって後悔しないように。朝出かける前に、家族でけんかはしない方がいい。明日が今日と同じように当たり前に過ごせるとは限らないから、毎日を大切に過ごしてほしい」