「海城」の面影を色濃く残す高松城の美点、12万石の城にしては櫓のデザインが洗練されている理由

高松城 撮影/西股 総生(以下同)

(歴史ライター:西股 総生)

はじめて城に興味を持った人のために城の面白さや、城歩きの楽しさがわかる書籍『1からわかる日本の城』の著者である西股総生さん。JBpressでは名城の歩き方や知られざる城の魅力はもちろん、城の撮影方法や、江戸城を中心とした幕藩体制の基本原理など、歴史にまつわる興味深い話を公開しています。今回は香川県のを紹介します。

今でも潮の香りを感じられる城

「水城」という言葉がある。海や湖沼・河川に面して築かれ、中心部に直接、船が着くような構造をもった城のことだが、わけても海に面した城を「海城」と呼んだりする。

 湖沼・河川に面する水城が、主に水運との関係を意識しているのに対し、海城は水軍基地との関わりで築かれていることも多いから、「海城」の語は何となくロマンを誘う。そういえば以前、海城をテーマにしたシンポジウムに参加したとき、司会を担当していた主催側の人に「海城の定義は何ですか?」と聞いたら、微笑とともに「潮の香りがする城」との答えが返ってきたことがある。

市電・高松築港駅のホーム。駅近の城は他にもあるが、ホームから石垣に触れる城は珍しい。高松築港駅の名の通り、フェリー乗り場はすぐだ

 そんな海城の、近世における代表例としては、三原城(広島県)や今治城(愛媛県)あたりが指折られようか。ただ、残念なことにこれらの城は、近代化以降に市街地化や海浜部の埋め立てが進んでしまい、現在では海城らしさを感じることが難しくなっている。 

高松城の水堀と水門はかつて堀が海と直接つながっていたことを示している。向こうにフェリー乗り場が見える

 そうした中で、海城の面影を色濃く残しているのが高松城だ。近代以降、県都として、また四国の玄関口として発展してきた高松であるから、この城も城域の半分くらいは市街地に呑みこまれてしまっている。それでも、この城には水門や船着き場の遺構が残っているし、月見櫓の残る三ノ丸から道路一本向こうはフェリーの発着場だ。今でも潮の香りを感じられる城なのである。

 わけても興味深いのが、月見櫓に連接して建つ水手御門で、門を出たところがそのまま船着き場という特異な構造が残っている。いや、3重の立派な月見櫓そのものが、もともとは船の接近着岸を監視するための「着見櫓」なのである。

月見櫓(左手前)と水手御門。画面手前は海水を引き入れた水堀で、門の外に直接船を着けることができた

 そんな高松城を築いたのは、豊臣秀吉から讃岐17万石に封じられた生駒親正だった。讃岐を領する以上、居城には水軍基地としての役割が求められることを理解していた親正は、西の押さえとして丸亀城を築き、本拠の海城として高松に築くことにした。

 江戸時代になって生駒家が改易になると、高松には替わって松平頼重が12万石で入り、城も現在見る形に整った。この頼重という人は、水戸黄門として知られる徳川光圀の実兄である。当然、本来なら水戸徳川家当主となって然るべき人物だったが、そちらは弟の光圀が継いで、長男の頼重は分家として松平を名乗り、高松に下ったのである。

天守台の石垣。石垣は近年、積み直し工事が進められている

 さらに、頼重の子である綱條(つなえだ)が光圀の養子に入って水戸家を継ぎ、代わりに光圀の実子である頼常が頼重の養子となって高松松平家を継ぐ、といいう養子交換によるややこしい家督継承を行っている。

 どうも、3代将軍家光がなかなか継嗣に恵まれなかったことに起因する政治判断だったらしい。つまり、将軍家の後継争いに水戸家が不用意な形で巻き込まれるのを避けながら、本来は水戸家の嫡男だった頼重の面目と、血脈の正統性を保つための、苦心の措置だったわけである。

復元された鞘橋(さやばし)を天守台からみる。画面左手前が本丸、右奥が二ノ丸で、橋を渡って本丸に入る所が喰違虎口になっている

 などという歴史を踏まえて城を見れば、現存している月見櫓・艮(うしとら)櫓も、12万石の城にしては堂々としてデザインも洗練されている。古写真で見ると、頼重の建てた4重の天守も「南蛮造り」といって、最上階が大きく張り出す個性的な形をしていた。ウチは水戸徳川家の分家で、それもタダの分家じゃない由緒ある家なんですよ、と主張しているかのようだ。

艮櫓。別の場所から現位置(太鼓櫓跡)に移築現存する3重櫓で、鉄炮狭間や大型の石落を備え堂々たる風格を見せている

 もう一つ。城は現在、玉藻公園という公園となっているが、全体に松林の景観がよく保たれている。近代以降の公園化で、やたら桜なんかが植えられた他の城と違って、藩政時代の城の植生がイメージできる景観、これは高松城の美点に数えてよかろう。

石垣の上に茂る松は、城本来の植生を残す貴重な景観だ

関連記事

豊臣秀吉が力を見せつけた?「石垣山一夜城」の通説を覆す、不都合な真実

天守がなければタダの城?石川数正はなぜ、松本城を「不細工」に築いたのか

源頼朝はなぜ朝廷を倒さなかったのか?日本における、国家権力が倒れる時と存続する場合の違い