「結婚するつもりで付き合いましょう」即プロポーズした日韓夫婦、3年半の遠距離と両親の壁を超えて「2度結婚」できた理由
留学生歓迎パーティーで右樹さんは恋に落ちた
「結婚するつもりで付き合いましょう!」
【写真を見る】出会った頃を振り返る、稲川右樹さん、キム・ハナさん御夫婦(写真:筆者撮影)
右樹さんがそう言ったのは、二人が出会ってからわずか数週間後のことだった。ハナさんは「ここまで言えば諦めるだろう」と思って「結婚するくらいの真面目な気持ちがなければ無理」と条件を突きつけた。その返事がこれだ。
時は遡って1999年4月6日、成蹊大学の留学生歓迎パーティー。右樹さんはハナさんを見た瞬間に恋に落ちた。ハナさんは右樹さんより8歳年上、受験を控えた聴講生だった。
「彼はアメリカ旅行から帰ってきたばかりでした。サイドの髪を刈り上げて、真っ赤なフリースを着ていました。個性が強くて、これまで見てきた日本人とは違うなと思いました」
右樹さんはさっそくハナさんをサークルに勧誘したが、あっさりと断られた。聴講生だったハナさんは翌年に大学受験を考えていて、アルバイトで生活費も稼ぐ必要があった。サークル活動を楽しむゆとりはなかったのだ。
それでも右樹さんは諦めず、偶然同じ授業を取っていることを知ると「一緒に授業を受けない?」と誘った。日本語にまだ不安があったハナさんは「隣にいてくれれば何でも聞けるし、助けてくれそうだ」と思い、承諾した。

当時を懐かしく振り返る二人(写真:筆者撮影)
そこからの右樹さんの行動は早かった。2〜3度顔を合わせた後、ハナさんに交際を申し込んだのだ。しかし、告白されたハナさんは驚き、困ってしまった。実は、ハナさんは右樹さんより8歳年上の28歳だった。韓国でも大学に通っていたが経済的な理由で中退せざるをえず、社会人として働いてから日本に留学していた。来年の受験も控えていて、とても恋愛どころではない状況だったのだ。
「いい人だと思っていたので、友達として関係を続けていきたいと思いました。どうしたらうまく断れるだろうと悩みました」
考えた末に、ハナさんは右樹さんにこう告げる。
「私と付き合うなら、結婚するくらいの真面目な気持ちがなければ無理です。私と恋愛をしたら、あなたにとっては青春の1ページのいい思い出になるかもしれない。でも、私は恋愛したせいで受験に失敗したら韓国に帰るしかありません。私と恋愛するなら気合いが必要です」
ハナさんは「ここまで言ったら、きっと諦めるだろう」と思ったのだ。しかし、右樹さんの答えは思いがけないものだった。
「結婚するつもりで付き合いましょう!」
当時を振り返って、照れくさそうに右樹さんはこう話す。
「若すぎたので、結婚がピンときていなかったんでしょうね(笑)。ただ、この人と付き合いたいという一心でした。勢いしかありませんでした」
こうして二人は1999年5月、付き合い始めた。

ポジャギをテーマにした作品が並ぶハナさんのアトリエの様子(写真:筆者撮影)
「なぜ家まで送ってくれないの?」カップルの常識の違い
付き合い始めてすぐ、二人は日本と韓国の文化や常識の違いにぶつかる。例えば、二人で会っていて夜遅くなったときのことだ。帰る方向が途中まで同じだったが、途中で右樹さんは「じゃあね」と自分の家に帰った。翌日、ハナさんは右樹さんの行動に怒った。
「韓国人同士のカップルなら、彼女を家まで送るのが当たり前です。どれだけ家の距離が遠くても、暗い夜道を女性一人で歩かせることはありません。言葉でいくら好きだと言っていても、行動が伴っていなければ、自分が大事にされているとは思えません」
こうしたすれ違いは他にもある。二人で会っているときに右樹さんが自分の飲み物だけを買うことも、ハナさんは気になった。
「韓国では二人でいるときに飲み物を買うなら、相手の分も買ってあげるのが普通です。でも、彼は自分の分だけ買うのでびっくりしました」
逆に右樹さんは、ハナさんが会うたびにお菓子をくれたり、回転ずしで2貫出てきたおすしのうちの1貫を自分のお皿に置いてくれることに驚いた。
「韓国は、親しい人とシェアする文化なんだと知りました」

8歳の年齢差と国籍の壁を超えて、二人は付き合い始めた(写真:稲川さん提供)
モヤモヤしていることを言わなければ…
ハナさんは、自分が重そうなカバンを持っていても、右樹さんが持ってくれないことも不満だった。当時の韓国では、女性のカバンを男性が持つのは当たり前のことだとされていたからだ。こんなすれ違いが重なっていくにつれ、ハナさんは「自分がモヤモヤしていることをちゃんと言わなければ」と考えるように。
「彼に悪気があるわけではなく、文化の違いであることはわかっていました。でも、文化が違うからしょうがないとそのままにしていたら、私はいつか彼のことが嫌いになってしまう。そうしたら彼は理由がわからないまま、私と別れることになる。だから彼に伝えなければと思いました」
とはいえ、ハナさんは「カバンを持ってほしい」と右樹さんに要求するのも嫌だった。そこでこんな伝え方をしたという。
「あなたは私より背が高いし、力もある。日本では自分の荷物は自分で持つことが当たり前なことは知っているよ。でも、あなたが自分より力がない人や、大変そうな人の荷物を持ってあげたら、とても感謝してもらえると思う。今後は私だけじゃなく、周囲のみんなにそうやってあげてほしい」
右樹さんもそれに同意して、それからはハナさんのカバンを持ってくれるようになった。後輩の女性の荷物も持ってあげるようになり、右樹さんは後輩からもモテたそうだ。

右樹さんを茶化すハナさん(写真:編集部撮影)
そんなすれ違いを何度も重ねたことから、ハナさんはある提案をした。
「これからも文化の違いを感じたときは、韓国式にするか日本式にするか、それとも第三国方式を取るかを二人で決めていこう。私たち二人だけの国際法を作ろう」
右樹さんは同意したというが、実際はどう思っていたのだろうか。
「最初は何も考えていなかったというのが正直なところです。そういう考え方があるんだなと思って、特に反発はしなかったと思います。僕は彼女と付き合っていたいので、別れることになるのが一番困ります。付き合いたいから、別れないためには何でもしないといけない」と茶目っ気たっぷりに語った。
「気になる人ができたら正直に言う」遠距離を支えたルール
右樹さんはハナさんと付き合うようになり、急速に韓国語に興味をもつようになった。
「彼女がくれる韓国のお菓子のパッケージに書かれていたハングル文字に興味を持ったんです。ハナさんが話す言葉を理解したかったし、結婚前提で付き合っていたので、彼女の親御さんと会う機会があったとき、韓国語で話せないと信用してもらえないんじゃないかと思いました」
今でこそ韓国への関心が高い人は増え、韓国語を学ぶ人も多い。しかし、当時は韓国語を勉強している人は右樹さんの周囲には誰もいなかった。
「マイナーな言語だったからこそ面白かったんです。先生もいなければ教材もないので、ハナさんが渡してくれたテキスト1冊を使ってコツコツ勉強しました。でも、やはり日本で韓国語を学ぶ限界も感じました。日本に住む韓国人は日本語が上手なので、僕が韓国語で喋っても日本語で返ってきます。日本語が通じない韓国人と話すなら、留学するしかないと思いました」

「韓国語にすっかりハマってしまいました」と右樹さん(写真:編集部撮影)
二人が付き合いはじめて2年ほど経った2001年3月、右樹さんは韓国に語学留学した。ハナさんは東京女子大学に合格して、日本で学生生活を続けていたので、二人は遠距離恋愛をすることに。右樹さんの語学留学は当初1年の予定だったが、韓国語をもっと学びたいという意欲が高まり、語学学校卒業後に大学院に進むことにした。
遠距離恋愛を続けていると、不安な気持ちになることもある。けれど二人は、あるルールを大切にして、3年半の遠距離恋愛を乗り越えた。それは「心が変わったら正直に言おう」という内容で、ハナさんが提案したものだ。
「なかなか会うことができないと、相手の周囲にいる異性の存在が気になるものです。でも、心配していてはキリがないし、心配しながら生活していくことは難しいです。相手を信じられなくなって不安になるくらいなら、別れたほうがいい。だから、『もし他にいいなと思う人ができたら二股はせずに、正直に言うことにしよう』と彼に言いました。その代わり、相手が誤解するような行動をお互いにしない。このルールを決めれば、疑いの心を持たずに遠距離恋愛を続けていけます」
右樹さんも「ハナさんの考え方が僕はありがたいと思うし、僕たちが長く続いている理由でもある」と同意する。
「何かあるたびに疑われたり、逐一聞かれるのは息苦しいじゃないですか。大きなルールは決めておいて、後は細かく聞かないというスタンスでいることで、遠距離恋愛を続けていくことができました」
両親に色眼鏡で見られないための「作戦」
右樹さんが留学した数カ月後、二人は、互いの親に紹介する機会を作ることにした。ただ、当時は今とは違って日韓の行き来は少なく、お互いの国にいい印象を抱いていない人も多い時代だ。ハナさんの両親も例外ではなく、彼氏が8歳年下の日本人だと伝えたら反対される恐れもある。そのため、ある戦略を練った。
「彼氏だというと色眼鏡で見るかもしれないので『友達を連れていく』と伝えたんです。他の友人も交えて彼を実家に連れていきました。そこで、右樹さんが思いのほか親戚に気に入られたんです」とハナさんはにこやかに話す。
「ハナさんの実家に行ったのは5月でした。韓国では5月に子供の日や両親の日、先生の日があって『家庭の月』と言われます。そのため、あちこちで花束が売られていたんです。そこで花束を買ってハナさんのお母さんにプレゼントしました」

韓国の5月は「家庭の月」で、花を贈る習慣がある(写真:Hatsu/pixta)
「友達」として連れていくとはいえ、右樹さんには緊張があった。日韓の国民感情が複雑な時代に、8歳年下の日本人男性がハナさんの家族にどう映るか、見当もつかなかった。
だが、この花束が思いがけない効果を生んだ。ハナさんのお母さんにとっては「何でもない日」にもらった初めての花束だったそうで、とても喜んでくれたのだ。
さらに、右樹さんは韓国語を話せて意思疎通もできる。一緒にいたハナさんの姉の夫も「あの子と付き合ったらどう?」と言ってきたほど、右樹さんはハナさんの家族に気に入られた。そして、二人が実は付き合っていることを家族に打ち明けると、みんなが交際を喜んでくれた。
韓国と日本で、2度の結婚式
そうして2002年、ついに二人はプサンで結婚式を挙げた。ハナさんの両親が離れ離れに暮らす二人を見かねて、「結婚するつもりなら、婚約をしておいたほうがいい」と勧めたことがきっかけになった。当初は婚約式をするつもりだったが、「せっかくお金を使うなら、結婚式を挙げたらどうだ」と言われ、結婚式を挙げることにしたのだ。
その時は韓国式の結婚式を挙げた。まずはウェディングドレスを着て、韓国の伝統服である韓服に着替えるという韓国では一般的なスタイルだ。

韓国の伝統服・韓服での結婚式の様子(写真:稲川さん提供)
さらに2年後の2004年に二人は入籍し、今度は日本で結婚式を挙げた。
2度目の結婚式の翌年に長女が、2007年には次女が生まれ、稲川家は4人家族になった。
ハナさんは当時を振り返り、「彼が韓国語を学ぼうとしなければ、結婚はしていなかったかもしれない」と話す。ハナさんの母国語や背景にある文化を理解しようとした右樹さんの行動が、二人の絆を確かなものにしたのだ。
言葉を学ぶとは、相手の世界に踏み込もうとすることだ。
「二人だけの国際法」を作ろうと言ったハナさんと、それを受け入れた右樹さん。前編で右樹さんが言った「不同意への同意」という境地も、そこから始まったのかもしれない。

駅まで送ってくださったお二人は自然に腕を組んで歩いていた(写真:編集部撮影)