「私は認知症なの?」と聞く母に「そうだよ」と答えたら「存在しないことにされてしまった」作家・佐々木禎子さんの後悔

作家の佐々木禎子さんは、施設に入居していた母親が「レビー小体型認知症」を発症。しっかりして理性的だった母が幻覚や幻聴に悩まされるようになりました。介護の仕事をしていたこともある佐々木さんですが、母の「認知症だと認めたくない」という気持ちに寄り添えず、母親からは存在を無視されたり、よそよそしく振る舞われたりするようになったそうです。ただ、両親が施設に入ったことで、両親との関係を見つめ直せたと言います。自身の介護経験を新刊小説『とりぷるばーば 水曜日のかれーらいす』の登場人物に込めたという佐々木さんに、お話を伺いました(取材・文:婦人公論.jp編集部)

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【書影】佐々木禎子さん著『とりぷるばーば 水曜日のかれーらいす』

介護を悔やまないで

<小説『とりぷるばーば 水曜日のカレーライス』の舞台は札幌市内の居酒屋。夫を亡くした67歳の桃子。中学時代からの親友・百合と澄子が同居して店を手伝うことに。3人で切り盛りをする店にはさまざまな客が訪れる。乳がん治療の副作用に悩む女性や認知症の症状がみられる男性も…>

40代のころ、介護ヘルパーとして働いていた時期があります。訪問介護先では、元気なおばあちゃんにたくさん会いました。明るいお年寄が登場して、年を取ることに希望が持てるような話を描きたかったんです。

介護を悔やまないで, 施設に自ら入居した両親, 母の顔色がさっと変わって, 施設の人に愛されていた父, 親子関係に変化も

佐々木禎子さん

<作中には、親の介護への後悔を口にする百合に対し、桃子が「そんな負い目は捨てちゃいなさい」と伝える場面も。認知症になった地元スーパーの経営者の男性は、大声を出すなど周りを振り回す。しかし、彼らが家族や地域の人から愛されている様子が印象的だった>

介護を経験した人たちは、どれだけ親に尽くしても、見送った後に、後悔を口にします。傍から見ていると、介護をやり遂げているし、本当にギリギリで頑張っている。だから「親の介護を悔やまないでほしい」という思いを桃子のセリフに込めました。

施設に自ら入居した両親

<佐々木さんの両親は札幌に自宅があったが、元気なうちからサービス付き高齢者住宅に入居。お金やお墓などを準備してくれていた>

私がヘルパーの資格を取ったことをきっかけに、両親は、老後の面倒を私に見てもらうつもりでいました。「これで安心だ」「自宅で介護してもらいたい」と折に触れ、話していたんです。

ところが、私が2009年に乳がんになりました。仕事の都合で東京の娘の家に一時的に滞在していた時に乳がんが発覚したので、そのまま治療のために私が札幌から東京に移住してしまった。札幌に住んでいた両親は、私に面倒を見てもらうことは無理だと思ったのでしょう。それから4年後の2013年、何の相談もなく、いきなり札幌の自宅を売って夫婦で施設に入居してしまったんです。両親が70代前半の時でした。

施設で暮らす両親と会うのは夏と冬の年2回ほど。そんな生活を送るなかで、2018年、父が「母の様子が変だ。何か見えないものと話をしている」と言うようになったんです。さらに、施設の職員からも「お母さまの様子がおかしい」と頻繁に連絡が来るようになりました。母は、理性的で頭の良い女性だったので信じがたかったのですが、話を聞くうちに、母が幻を見たり聞いたりしていると分かったんです。

母は、自分が悪口を言われているという幻聴に振り回されるようになりました。幻聴に促されて他人を悪く言いだしたこともあります。攻撃性が高まり、けんか腰の口調になってしまった母を見るのはやるせない思いになりました。

親戚が運転している車に一緒に乗っていた時のことです。幻聴があったようで、後部座席の母がいきなり、走行中の車のドアを開けました。慌てて閉めましたが、母が幻聴や幻覚に振り回されている時に、黙って様子をうかがっているだけだと危険だと痛感して、肝が冷えました。

母の顔色がさっと変わって

施設の方と相談をして、嫌がる母を連れて病院に連れて行くと、レビー小体型認知症と診断されました。診察を終えた後、母は、病院に置いてあった認知症のパンフレットを手にとって、「この病気だと思われているんだよね?」と私に尋ねました。

私はてっきり、母が治療に納得してくれたのかなと思って、「そうだよ」と言ったら、母の顔色がさっと変わったんです。「味方だと思ったのが違った」と判断したようで、そこから一切、私の存在は消されてしまった。今思うと、母は自分が認知症だとは思っていないし、思いたくもなかったのでしょう。対応を間違えてしまったんです。

私には妹がいますが、それ以降、母の中では「娘は妹1人だけ」という理解になりました。意地悪ではなく、完全に私の存在がなかったことになってしまったんです。どんなに声をかけても私の言葉は通じない。会ってもよそよそしいし、第三者に「禎子という子はいない」と説明する。認知症の診断を受けた母の気持ちを考えて、自分が何を伝えるのかももっと熟慮するべきでした。母に対してもっと尊敬と感謝の思いを持って対応していたら違ったのではないかと反省しています。ただ、正解は今もわかりません。

母は薬を飲むのを嫌がり、認知症の治療が進まないまま2020年、コロナ禍で肺炎になって救急車で運ばれました。東京から急いで病院にかけつけ、防護服を着用して、集中治療室に入り、病院に頼んで寝泊まりして看病しましたが、退院はかなわず、看取ることになりました。

施設の人に愛されていた父

母が亡くなった後、父はそのまま1人で施設で生活していました。日常生活の心配はいりませんが、やがて父にもうっすらと認知症の症状が出るようになったんです。ただ、母と違って幻覚や幻聴といった症状ではなく、言ったことを繰り返したり、ストレートなキツイ物言いだったりしたので、「お年寄特有の頑固さかな」と思いこんでいました。

でも、父の通院に付き添ったある日、診察時に医師から「お父さん相当おかしいよ、話がなにも通じないよ」と言われたんです。母のことがあったので、その場では何も言いませんでしたし、それ以降も父に対して、改めて認知症だと指摘はしませんでした。

母の時には「母が言われたくないこと」を言って、心を閉ざされてしまった。だから、父に対しては、施設の方とコミュニケーションを取り、認知症については直接的に触れず、父の様子を窺いながら対応しました。母の時の二の舞にはなりたくなかったんです。

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『とりぷるばーば 水曜日のかれーらいす』(著:佐々木 禎子/PHP研究所)

父が肺炎で亡くなったのは2024年の年末。父の葬儀には施設の方も来てくださいました。私の知らない父のかわいらしい側面を語って下さって嬉しかったです。私にとっては手に負えない父だったんですよ。なかなか運転免許は返納してくれなかったし、趣味の投資もうまくないのに最後までやめてくれなくて口座残高が減っていくのをハラハラ見守っていました。ガミガミうるさい父でしたが、施設の方から愛されていたことを知ることができて、愛おしく思えました。

親子関係に変化も

両親は2人とも施設に入居してから認知症だと診断されました。施設では常に誰かの目があるし、食事も提供されるから両親は自炊をせずに暮らしていたんです。火の元に不安がないことはすごく安心できました。もし、私が同居して介護をしていたら、イライラしたり、もっと親とすれ違っていたりしたでしょう。母の幻聴と幻覚の対応を自宅でずっとしていたら、私の精神も不安定になったと思います。施設にいてくれることで距離を保てたし、安心できた。自分に時間の自由があることがありがたかったですね。

実を言うと、私と両親は「気の合う親子」と呼べるような関係ではありませんでした。私は自分の気持ちを表に出すタイプではなかったので親からすると「何を考えているかわかりづらい子供」だったんだと思います。

ただ、介護で親と過ごす時間が増え、親に抱く自分の感情に変化がありました。

母は、「しっかり者」と言われることが多かったのですが、家の中での母は頼りなく、私に相談してくることもありました。でも、施設で「しっかり者」として振る舞う母の姿を知ったんです。認知症の診断を機に、母からよそよそしく対応されるようになりましたが、私の好きじゃない部分に対して母が素直に「嫌い」と言えたのはよかったのかもしれません。

父は、私が幼い頃は、仕事の都合でほとんど家におらず、年に1回帰宅するくらい。「知らないおじさんが泊まっている」という感覚で、父の性格をずっと知りませんでした。でも、介護を通じて、父の人柄を知ることができました。投資が好きでお金に執着があった父が、私の学費をしっかり払ってくれたことに改めて愛情を感じました。できないなりに父に向き合ったことで、少なくとも父は私を認めてくれたのではないかという手応えがあります。

振り返ってみれば、介護を経て、これまでお互いに抱いていた感情や問題がグツグツ煮えて蒸発したような気がしています。もっとやれることはあったという後悔はありますが、親子関係はどこかスッキリしたような感覚になりました。

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佐々木禎子さん

親の介護を経験して、みんな当たり前に年を取るということをしみじみと感じました。自分の老後について真剣に具体的に考える機会を得ることができ、最終的にお金をためておくことが子どものためになると感じたので、今から備えておきたいと思っています。