高校で蔓延する「やりすぎ教育」…「特色や魅力づくり」の過熱化で教職員も生徒も負担増、いったい誰のための改革か?
ここ最近、各地の高校は激しい競争にさらされている。今年度から、高等学校等就学支援金制度の授業料支援が所得制限撤廃になったため、公立離れが加速しつつあると報じる向きもある。
【まとめを見る】文科省が公表した「N-E.X.T.(ネクスト)ハイスクール構想」3つの視点
従前から急激に進む少子化の下で、公立、私立問わず、高校の生き残りをかけて、生徒募集に苦心するところは多数だった。競争を通じて、高校のカリキュラムや授業などがより魅力的になるのだったら、いいことではないか。そう考える人も多いかもしれない。
たしかに競争によるプラスもあろう。だが、競争が行きすぎること、煽られることによるマイナス影響や問題にも注目する必要がある。
先日起きた部活動遠征中のバスの事故(高校生1人が死亡)も、高校教育の過熱化、「やりすぎ」が招いた側面もあるように思う。だがこれは一例にすぎない。今回は、高校教育の「魅力化」の陰で、見過ごされてきたものを考える。
特色づくり、魅力化で突き進んで大丈夫か?
文科省も高校教育改革に関する基本方針(グランドデザイン)を2月に公表、「N-E.X.T.(ネクスト)ハイスクール構想」と題して、高校改革に乗り出している。
「AIに代替されない能力や個性の伸長」「我が国や地域の経済・社会の発展を支える人材育成」「一人一人の多様な学習ニーズに対応した教育機会・アクセスの確保」の3つの視点で、学校や教育委員会が首長や産業界、大学などと連携しながら進めることを述べている。

(画像:文科省「ミラメク」ポイント解説より)
文科省のグランドデザインの中で、頻繁に出てくるのが高校の「特色化」「魅力化」の必要性だ。21ページほどのさほど長くない本文の中で「特色」という言葉は13回、「魅力」は16回も登場する。
この文書以前にも高校の特色化、魅力化というのは、各地で叫ばれてきた。とりわけ、人口減少・少子化が著しい地方、もしくは私立との競争が激しい都市部では、公立、私立問わず、高校の生き残りをかけて、魅力化に邁進してきたところは多い。
特色づくりや魅力化という言葉は美しく、反対しにくいものがある。だが、そこに死角はないだろうか。私が注目するのは負担や負荷の問題で、ここでは教職員の負担と子どもたちの負担の2つに分けて考える。
教職員の負担増には冷淡な文科省
教職員の負担の問題はわかりやすい。ここ10年余り、国、教育委員会あげて学校の働き方改革は推進されてきた。
文科省等の施策の多くは公立を対象としたものだったが、私立学校でも、労働基準監督署が指導に入ることが増えたことや人材確保の必要性から(教員不足は私立でも起きている)、教職員の働き方に配慮する動きは広がった。学校ごとにかなりの差はあるし、まだまだ問題も多いものの、公立、私立ともに、一定の負担軽減は進みつつある。
だが、ここ数年の高校の魅力化の動き、高校教育改革により教職員の負担が大きくなっている。SSH(スーパーサイエンスハイスクール)などのモデル事業では、外部講師を招聘したり、生徒が校外で学習したりするための資金支援を受けられるメリットはあるものの、学校側、教職員側にはさまざまな調整や事務作業が発生している。
こうした高校では、大学進学実績なども、教育委員会や保護者から厳しく見られるため、もともと熱心だった補習や進路指導にもさらに力を入れることになりやすい。
「探究公害」という言葉もあるくらい、高校生の探究活動(準備不足のインタビューなど)に大学教員ら専門家の時間が奪われることが問題視されているが、この背景には高校側にもゆとりがないこともある。
文科省は今般、3000億円近くという未曽有の予算を投じて高校改革の基金を作り、モデル事業を展開する構えだ。しかも国費100%で、自治体負担がないという大盤振る舞いである。こうした予算で、各種調整を行うコーディネーターを雇ったり、事務局業務を外部委託したりする方法もあろう。
だが、多額の国費を使う以上、また高校生がトラブルに巻き込まれるのを防ぐためにも、高校側も当然丸投げというわけにはいかず、負担が重くなることは想像できる。
かといって、SSHも高校改革基金も、期間限定の支援なので、多くの場合、正規の教職員が増えるわけではない。また、すでに地方創生の支援などで問題視されているように、高校や自治体が事業者に依存し、翻弄される事態も心配だ。
コンサル等は儲かっても、モデル事業終了後、自治体や高校には大したものは残らない、そんなリスクもある。

(画像:文科省「ミラメク」ポイント解説より)
ところが、文科省のグランドデザインでは、こうしたい、こうあるべきということはさまざま書き込まれているものの、教職員の負担には冷淡で、働き方や負担軽減についての記述はほとんどない。
子どもも忙しい…7時間目や土曜授業は必要か?
忙しいのは先生だけではない。高校生も同様だ。高校生たち本人や保護者にもあまり知られていないことだが、多くの高校では、高卒資格に必要な最低単位数(74単位)よりも、多くの単位を履修させている。
文科省調査によると、公立の全日制普通科(専門学科、総合学科を除く)で履修させる単位数は、74単位が4.2%、75~84単位が8.4%、85~94単位が52.3%、95単位以上が35.1%であり、10~20単位以上多いことが多数だ。
これは一部の単位を落とすことがあっても卒業できるようにという配慮もあろうが、大学進学などを考えると、たくさんの授業をする必要があるという事情が強いのだろう。他方、通信制高校では事情は異なり、高卒に必要なギリギリの単位で履修、卒業させているところも多い。
よりわかりやすく週当たりの時間割で考えると、公立の全日制普通科では、30~32コマが69.1%と多数で、33~35コマも28.2%ある。毎日6時間目までだと週30コマだから、それよりも多い高校もかなりあるということだ。これは公立についての調査だが、私立高校で公立以上に授業時間を取っているところもあるし、土曜に授業をしているところも多い。
なお、いわゆる進学校などでは、こうした正規の授業のほかに補習、課外授業もあるので、実質的な授業時間はもっと多い。夏休みも補習続きで、本当に夏休みなのか? という高校もある。

週当たりの授業時数
次の表は、ある県立高校の時間割だ。たまたまネット検索でひっかかったものをピックアップしたので他意はないが、この高校では、週3日7時間目まである。

ある県立高校の時間割
こうした7時間目まであることや週休1日(土曜授業がある私立高校など)ということを、高校生にとって、過大な負担だと評価するか、それとも妥当なところと見るかは、高校生によっても違いはあるとは思う。
一概に言える話ではないが、勉強嫌いになる生徒も、睡眠不足やバーンアウト気味になる子もいる。
大人だって、労働基準法で1日8時間以内の労働となっているところを、高校生は正規の授業で約6時間、部活動で1~2時間、宿題などの自宅学習で数十分、塾で1~数時間などとなっている場合もあって、労働と学習は異なるとはいえ、合計すると約10時間以上となることには注目したい。
先日もある県立と私立の進学校で私は教職員研修を務めたのだが、こう申し上げた。
「今日はお忙しい中、時間をとっていただき、ありがとうございます。今日は約1時間半の研修会ですが、もしこれが6時間だったら、どう感じますか? それでも私としては、なるべく楽しく、ためになる時間にしたいと思いますが、けっこうイヤな顔をされる方、だるいなと思われる方も多いのではないでしょうか。
でも、先生方は生徒たちに毎日6時間目、7時間目まで授業を課して、そのうえ、この頃の高校生は勉強不足だとか言って、宿題も大量に出していますよね。自分がやられてイヤなことを強要していませんか?」
いっそう強まる「やりすぎ教育」
武田信子著『やりすぎ教育:商品化する子どもたち』(ポプラ社)という本では、育児放棄などの教育の放棄、やらないことも問題だが、逆に、教育が過剰になること、やりすぎること、本人が望まないのに強要し続けることの問題を述べている。
宿題は子どもにとって「残業」では? という問題提起など、考えさせられる話だ。この本を参考に私なりに考えてみたのが、次の表だ。

教育の「やらなすぎ」と「やりすぎ」の例示
左側は教育の「やらなすぎ」(放棄)について例示した。不登校が続くのは本人や家庭のせいだとして、学校ないし教育委員会等がほとんど何も支援をしないのは、教育の放棄と言えるかもしれない。
また「進路変更」という名の下、十分な支援や救済措置のないまま一部の生徒を中退させてしまうことは、教育の「やらなすぎ」と言えるかもしれない。沖縄での修学旅行中に死亡事故が起きたが、自由という名のもとに学校側が安全確認を怠っていた、生徒に任せきりだったとすれば、それは「やらなすぎ」教育と言えるだろう。
一方、右側は教育の「やりすぎ」(過剰)を例示した。冒頭で申し上げた部活での遠征中の事故も、学校の管理責任という教育の「やらなすぎ」の問題もあると同時に、早朝から出かけて片道200キロの先まで練習試合に行くという「やりすぎ」、部活の過熱化の問題もあろう。
そして、ここまで述べてきたように、高校間競争の激化と、特色づくり、魅力化の圧の中で、「やりすぎ教育」はいっそう広がり、強くなる可能性が高い。高校生が探究的な学びや校外に出ていろいろな刺激を受けてくることは、私は基本的には大賛成だし、いくつかの高校を支援もしてきた。
だが、同時に配慮したいのは、そのために高校生と教職員が追い立てられ、駆り出され、余裕がなくなることを防ぐ必要もある、ということだ。
部活動についても、2018年にスポーツ庁が最初のガイドラインをつくったとき(私は策定の委員をしていた)重視したのは、練習時間が長すぎると、外傷やスポーツ障害、バーンアウト気味になる生徒が増える心配があったからだ。つまり、教員の負担の問題以上に、部活のやりすぎで生徒をつぶすな、ということが重要な理念だった。
ところが、文科省のグランドデザインにも、これまでの国・教育委員会の高校教育改革でも、子どもたちに負担が高まりすぎることへの懸念や対策は、恐ろしいほど少ない。むしろ、AI時代に生き残れ、企業が求める人材になれ、と子どもたちを駆り立てようとする圧が強い。
加えて、公立には巨額の基金等で支援しているのだから、私立には授業料支援等で多額な公費を入れるのだからと、「金を出している分、もっと成果を出せ」と、文科省も財務省も国会議員なども、これまで以上に言ってくるだろう。
これを受けた教職員、教育委員会、学校法人(私立)はもっと頑張ろう、頑張らざるを得ないとなる。そのしわ寄せが子どもたちと教職員の負担として重くなりすぎたとしても、そこのリスクやマイナス影響は、見て見ぬふりをすることになるのではないか。
しかも、「やらなすぎ」の問題を指摘すればするほど、これも高校に、もっとやれ、頑張れという圧に転化する。例えば、公立、私立問わず、修学旅行などでの事前準備や当日の安全管理はいっそう大変になることだろう。人手を増やせないままでは。
副作用を防ぐ手立ても進めるべきでは?
長くなるので、今後に必要な対策までは詳述できないが、国などは、競争を促進するなら、その副作用を防ぐ手立ても合わせ技で進めるべきだろう。
例えば、文科省や都道府県等も、教育課程などの調査をするだけではなく、「授業は補習等を含めて週〇コマ以内にする」、「部活動の遠征は月1回までとし、週2日以上は休養日を設ける」といった上限設定を検討することも1つではないかと思う。
また、私立学校には、これまで国、自治体の関与も縛りも弱かった。私学の自由を保障するよさもある反面、進路実績でも部活動でも、公立・私立問わず競争している環境の中では、生徒の過度な負担を防ぐための措置について、私立にも適用が広がる仕組みを考える必要があると思う。
併せて、生徒や保護者、社会の目として、高校選びなどの際に、進路実績や部活の成績、手厚いカリキュラムや補習ばかりに目を向けるのではなく、子どもたちの負担にも注目してほしい。しんどい子への配慮や意見表明がどれほど重視されているか、説明会などで聞いてみてもよいだろう。
武田信子さんの著書のサブタイトルは「商品化する子どもたち」。これまでの、そしてこれからの高校改革は誰のためのものなのか? AIに負けない人材がほしい企業のためなのか? 人口減少で存続が危ぶまれる自治体のためなのか? 巨額の予算を取ってきた文科省のためなのか? 本当に高校生のためになるかが問われている。