「水戸はもちろん、つくばにも負けた」と言われるが…下剋上された「茨城県土浦市」駅前再開発が失敗に終わった悲しい顛末

都市の勢力図が塗り替わる現象が、全国各地で起きている。本連載では、隣接する2つの都市の関係に着目し、その背景を読み解く。
第1回は茨城県土浦市とつくば市。土浦がつくばを「支える側」と位置づけ続けたこと、つくばが国家プロジェクトで作られた自己完結型の都市として独自に発展したことを追った。
では、40年前にそれぞれが描いた未来は、いまどんな姿になっているのか。

前回までは、土浦が「周辺から人を集める中心都市」を目指し、つくばが「外へ出なくても暮らせる自己完結型都市」として発展したことを見てきた。

【画像26枚】かつては商業の中心地だったが…今や駅前は閑散、廃墟モールまである土浦市。その惨状の様子

では、40年後のいま、それぞれの駅前はどうなっているのか。実際に歩いてみると、両市の違いは、想像以上にはっきり現れていた。

整然としているのに、人の姿が見えない街

つくば駅前に降り立って最初に感じたのは、「計画都市らしさ」だった。歩道と車道はペデストリアンデッキで完全に分離され、横断歩道を待たずに移動できる。街路樹は整い、公園も多い。建物の高さや配置にも統一感があり、「計画的に作られた街」であることがすぐにわかる。

整然としているのに、人の姿が見えない街, にぎわいは駅前ではなく郊外にあった, 土浦駅前は「観光」と「日常」が混ざる場所だった, つくばにとって、土浦は「数ある近隣自治体の一つ」, 駅前商業の終わりは、土浦だけの問題ではなかった

グレーに統一された画一的なビル群が、近未来的な雰囲気を醸し出している(写真:筆者撮影)

一方で、歩いていて不思議な感覚もあった。駅の利用者は多いのだが、改札を出た人々はそれぞれの方向へ散っていき、すぐに視界から消えてしまう。ペデストリアンデッキですれ違う人はまばらで、公園にも人影は少ない。人がいないわけではないが、人が「とどまっていない」印象を受ける。

さらに奇妙だったのが、歩き続けるほどに方向感覚が狂うことだ。碁盤の目状の街なら、自分がどちらを向いているか把握しやすい。しかし、つくば中心部は一部で道が45度に曲がっており、自分が今どこに向かっているのかわからなくなる。似たような景色が続くことも重なって、地図を見ているのに道を間違うといったハプニングもあった。

実はこの道の角度には理由がある。設計者は「グリッド状だと視線が通りすぎる」としてあえて45度の道を入れ、街らしさを作ろうとした。ただし当時から「宅地の価値が落ちる」と批判もあったといい、設計者自身もその点を認めている。(『建築ジャーナル』2022.9)

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ずっと似たような道が続くため、地図を見ながらでないと迷ってしまう(写真:筆者撮影)

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どこまでも同じ景色が続く。道を覚えるのが大変そうだ(写真:筆者撮影)

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どの辺りを歩いているのかわからなくなり呆然としたまま撮影した景色(写真:筆者撮影)

そして駅から少し歩くと、廃止された公務員宿舎群が現れる。鬱蒼と木が茂り、使われなくなった建物が並ぶ。整然とした都市空間の中に、突然、時間が止まったような場所が現れる。つくば市はこれを「公務員宿舎から民間マンションへの土地利用転換」と説明する。実際、周辺では新しい住宅建設も進んでいるようだ。

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整然とした街中に突然現れた廃団地。このエリアだけ鬱蒼としており、昼間でも歩くのが怖くなる景色だった(写真:筆者撮影)

ただ、現地で見えたのは、完成された計画都市ではなく、数十年を経て更新期に入った都市の姿だった。

にぎわいは駅前ではなく郊外にあった

つくば駅前の商業施設「トナリエ」は、平日の昼間は静かだった。3つの建物が連なる構造は動線が複雑で、自分がどの建物の何階にいるのかわからなくなる。フードコートの休憩スペースは昼食をとる人たちでにぎわっていたが、買い物客の姿は多くない。

この施設の前身は、1985年開業の商業施設「クレオ」である。かつては西武百貨店筑波店が核店舗として入り、研究学園都市の顔だった。しかし西武は2017年に閉店。駅前商業の風景は大きく変わった。

つくば市も、この駅前の苦戦を認識している。 市は取材に対し、郊外型大型商業施設の進展や西武筑波店の閉店などを背景に、「つくば駅周辺の商業機能の流出や魅力低下が懸念される状況」だったという。

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商業施設「トナリエ・クレオ」。駅前商業のにぎわいを担っている(写真:筆者撮影)

実際、にぎわいは別の場所にあった。つくば駅から一駅先、研究学園駅周辺である。

大型ショッピングモール「イーアスつくば」の駐車場は、平日にもかかわらずほぼ満車。ファミリー層が目立ち、カフェチェーンには待ち客もいた。大型専門店や全国チェーンが並び、「何があるか」が直感的にわかる。買い物目的で来る人の流れが、はっきり見える場所だった。

つくば市は、研究学園駅周辺を「副都心」と位置づけ、市庁舎もこの地区に建てられた。つくばの中心は、計画当初の駅前から、郊外へと少しずつ移っている。

つくばは「勝者」と見られがちだが、その駅前商業は盤石ではない。 人を集めているのは、駅前ではなく郊外のモールだった。

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「イーアスつくば」は平日昼間でもにぎわっており駐車場もほぼ満車。学生も多く、みんなで集まるのはつくば駅前ではなく郊外のモールのようだ(写真:筆者撮影)

土浦駅前は「観光」と「日常」が混ざる場所だった

土浦駅前は、つくば駅前とは別の意味で、人がいなかった。

駅前広場にはタクシーが並ぶが、その数に見合う人がいない。人がいるのは、駅ビル「プレイアトレ土浦」の中がメインだ。土浦はいま、「サイクリングの街」として打ち出している。

駅ビルの中には自転車を組み立てるスペースがあり、サイクリング客への配慮が随所にある。取材で訪れた5月上旬、休日の午前中のフードコートは、観光客らしき人で6〜7割が埋まっていた。

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プレイアトレ土浦には、フードコートや土産店、クリニック系など観光客も住民も使える店が入っていて便利(写真:筆者撮影)

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改札横には自転車を組み立てるスペースが。サイクリング客への配慮が行き届いている(写真:筆者撮影)

興味深いのは、時間帯で客層が入れ替わることだ。15時を過ぎると、PCを広げて作業する地元の人らしき姿が増えてくる。観光客の昼食の場であり、地元民の作業場でもある。一つの駅ビルが、二つの顔を持っているようだ。

駅直結の商業施設「URALA」も、似た変化を見せていた。かつてここにはイトーヨーカドーが入っていたが、撤退後の区画には土浦市役所が入居している。商業施設としての役割は終わったが、市民ラウンジは休日でも満席だった。買い物の場ではなく、市民が滞在する場として機能している。商業の器が、公共の居場所に変わっていた。

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駅直結の商業施設「URALA」(写真:筆者撮影)

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中には市役所のほか、ダイソーやスーパーも入居している。仕事帰りに用事を済ませられるので便利そうだ(写真:筆者撮影)

一方、85年に科学万博を見込んで作られた「モール505」は、ほぼ廃墟だった。シャッターの降りたテナントが続き、空いたスペースが妙に広く感じられる。10億円をかけて作られた商店街が、40年後にこうなると、当時の関係者は想像していただろうか。

その一角で営業を続ける店主に話を聞くと、「つくばが発展して、人が取られちゃった。地元の人は、買い物っていったら郊外のショッピングモールじゃないかな。企業も土浦市内にあるのに、名前はつくば支店だったりしている」と話した。土浦側には、「つくばに人が流れた」という実感があるようだ。

もっとも、土浦に活気がないわけではない。中城通りや土浦城の周辺は、観光客が増えているという。中城通りにある喫茶店の店員は、「普段は人通りが多いです。土浦城の観光、マンホールカード集め、サイクリング客と、いろんな目的の人が来ます」と話す。駅前の商業は失われたが、目的を持った人が街に集まる動きが生まれていた。

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廃墟モールとして話題になった「モール505」。現在は半数以上が空きテナントになっている(写真:筆者撮影)

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モール505に並走するのが土浦ニューウェイ。近未来的なつくりが、どこかつくばと似ている気がする(写真:筆者撮影)

つくばにとって、土浦は「数ある近隣自治体の一つ」

現地を歩いて感じた両市の非対称は、つくば市への取材でも見えてきた。

土浦市との関係について尋ねると、つくば市は複数の部署から回答を寄せた。

観光分野「土浦市を含めた周辺自治体との広域連携」

ジオパーク「6市で構成する協議会」

公共交通「8市による検討会議」

など、いずれも土浦は「複数自治体の一つ」として登場する。土浦単独との関係性を強調する回答は、ほとんど見られなかった。産業振興についても、「土浦市との具体的な広域連携や合同事業は、現状特にありません」と回答している。

つくばエクスプレス(TX)の土浦延伸についても、つくば市の姿勢は慎重だった。

市は「茨城県としての方針決定段階であり、国土交通大臣の諮問機関である交通政策審議会の答申に反映されていないことから、具体的な構想等については検討していない。現在は、交通政策審議会の答申に位置づけられている東京駅への延伸に取り組んでいる」と説明。

土浦側で長年期待されてきた延伸構想も、現時点ではつくば市にとって優先度の高い課題ではないようだ。

この温度差は、前編で見た歴史とも重なる。土浦は96年の総合計画から、「つくばとの一体的発展」を掲げ続けた。一方、つくば市の回答から見えてくるのは、土浦を敵視も特別視もしていない姿勢である。

実際、市境を越えたライドシェアの運行など、実務的な連携は進んでいる。ただ、それは「県南の中心・土浦」を前提にした関係ではない。土浦がかつて思い描いた「つくばを支える都市」という立ち位置は、もはや成立していない。

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土浦市役所内に設置されていたのぼり。「TX土浦延伸」を願う声が強い(写真:筆者撮影)

駅前商業の終わりは、土浦だけの問題ではなかった

両市を歩き、行政への取材も重ねて見えてきたのは、「勝った街」と「負けた街」という単純な構図ではなかった。

確かに、人口や地価ではつくばが土浦を上回った。しかし駅前を歩けば、つくばもまた別の課題に直面しているのがわかる。にぎわいは駅前から研究学園駅周辺の大型モールへ移り、市も「商業機能の流出や魅力低下」を課題として認識している。

現在は、官民共同出資による「つくばまちなかデザイン株式会社」を中心に、駅前のエリアマネジメントに取り組む。研究学園都市として成長したつくばも、駅前の求心力を維持する新たな局面に入っていた。

土浦もまた、別の形で駅前の役割を組み替えようとしている。

プレイアトレ土浦にはサイクリング客や観光客が集まり、URALAは市民ラウンジや市役所機能を持つ場所へ変わった。百貨店が集まっていた時代のように、買い物客が駅前を埋める光景はなくなったが、その空間に別のにぎわいが戻り始めている。

両市が向き合う課題は、一見すると対照的だ。ただ、共通していることもある。それは、「駅前が都市の中心だった時代」の終わりに、次の中心をどう作るかという問いだ。

いま両市は、異なる場所から、同じ課題に向き合っている。

参考文献

・『土浦市史』土浦市史編さん委員会編、土浦市、1975年

・『地域開発ニュース』第188号、1985年1月(木村実・土浦商工会議所会頭インタビュー)

・『21世紀への礎 つくば万博と学園都市』相沢英之・福田信之・福島公夫ほか共著、パンセ、1985年

・『土浦市総合計画第5次基本構想後期基本計画』土浦市、1996年

・『住宅』2015年5月号、日本住宅協会

・鈴木文彦「路線価でひもとく街の歴史 第26回 茨城県土浦市」財務省『ファイナンス』2022年4月号