「私なら奴らを屠る。君たちはなぜヒロシマを許せましたか」独裁に抵抗したシリア人の問い <イチオシ詩歌>歌集『あやとり』に新たな可能性を感じた

シリア首都ダマスカスと中部ホムスを結ぶ幹線道路沿いの丘陵には、引き倒されたハーフェズ・アサド氏の巨大な石像が放置されていた=2024年12月20日(大内清撮影)

こんな詠み方があったのか、そんな驚きをもって千種創一さんの『あやとり』(短歌研究社・2750円)を読んだ。千種さんは昭和63年、名古屋市の生まれ。東京外国語大でアラビア語を専攻し、卒業後は中東と深く関わりながら生きている。

歌は詠み手のものだと思い込んでいたが、千種さんは他者を主体に歌を詠む。本書においては名古屋市に暮らす戦争体験者の祖母、スイスに亡命中のシリア人活動家、ヨルダン在住のパレスチナ作家に体験や伝えたいことを丁寧に聞き出し、その切実な声を短歌という容器に落とし込んでいる。

《電線に引っかかっとる服や椅子、音符みてゃぁに夕焼けてまう》

祖母が語った昭和20年1月の名古屋空襲直後の景色だ。この空襲で祖母は仲のよかった友人を失った。

次はシリア人活動家の記憶。

《拷問室の壁には鈍い血の跡のあれが花なら枯れた花びら》 「祖国での革命が成功したら、アサド大統領の一派をどうする」との問いかけへの返答。

《私なら奴らを屠(ほふ)る。君たちはなぜヒロシマを許せましたか》

パレスチナの声も

面積の60%以上がイスラエルの軍事支配下に置かれたヨルダン川西岸地区を巡るパレスチナ作家の叫び。

《つたえなさい 鉄条網が村を切り裂いた日のこと、絶たれた道を》

《繭を抱くように男は撫でている、子の死体を、もう声も失くして》

こうした作品について千種さんは、「基本的に日本語もしくはアラビア語にて、取材対象者に確認頂き、発表につき了承を取った」と記す。他者への共感力を持った才能がこのような手法を誠実に履行するなら、短歌は詠み手本人の感情だけではなく、日本人、異邦人にかかわらず、他者の記憶や思いの核にあるものを、夾雑物(きょうざつぶつ)なしに表現することが可能かもしれない。短歌の新たな可能性を感じさせる試みだと思う。

『あやとり』千種創一著(短歌研究社)

忘れてはならないのが名久井直子さんの装丁だ。本を持つだけでうれしくなる。

強烈な反時代的精神

もう一冊、どうしても紹介したいのが『赤龍悲傷吟』(現代短歌社・2970円)だ。著者の勝島靖夫さんは昭和17年、奈良県の生まれ。作品から感じられるのは保田與重郎、石川啄木、中原中也、そしてランボーの影だ。強烈な反時代的精神が乱反射している。タイトルに偽りなし。勝島さんは奈良盆地から現代の世界を撃つ赤龍だ。赤龍とはアジア各地の神話に登場する赤い鱗(うろこ)に覆われた霊力を備えた龍のことだが、ミミズの別称でもある。

『赤龍悲傷吟』勝島靖夫著(現代短歌社)

《飛鳥(あすか)が日本のふるさとと言ふ人のゐて--。あはれなる国に吾らは棲みつ》

嘆息が聞こえる。この国はもはや別の国じゃないか-。

《東京経由のフィルターをはづせそれからだ橋から尿(しと)を飛ばすのは》

野性を矯(た)められた現代人へのエール、それもなんと大胆な。

《無力なる歌と言ふべし無意味なるを歌と言ふべしこの歳に知る》

けっして諦観ではない。ここにあるのは韜晦(とうかい)だ。

効率と合理性に侵された現代に違和感を覚える人々に差し出された、すごみのある歌集だ。

(桑原聡)

=次回は6月8日掲載予定