『あんぱん』モデルやなせたかし秘話。<お母さんはずるく生きたつもりだったの?>戦争から帰ってきた嵩が再婚相手に先立たれた母と再会。「許してね」と告げられて…
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【書影】評伝の名手が心を込めて綴る感動作
祖母と母と3人での生活
父を失ったことで、兄弟の運命は大きく変わった。
弟の千尋は、父の兄である寛の家に引き取られることになった。高知県内の後免町(現在の南国市後免町)で内科と小児科の開業医をしていた寛と妻のキミには子どもがなく、清の生前から、千尋が養子になることが決まっていた。
嵩は、母の登喜子、祖母の鐵と高知市内で暮らすことになった。鐵は夫の保定に先立たれたあと、残された家族と折り合いが悪く、谷内家を出ていた。
3人は、高知城の追手門から東に延びる追手筋という通りの近くで、知り合いの医師宅の離れを借りて住んだ。朝はお城の天守閣の近くに揚がる天気予報の旗(白が晴れ、黒が雨)が見え、昼には正午を告げるドンという大砲の音が聞こえた。
香水の匂いをさせた母
母は外出がちで、あまり家にいなかった。自活の道を見つけようと、琴、三味線、謡曲、茶の湯、生け花、洋裁、書道など、おびただしい数の習いごとをしていたのだ。嵩から見ても化粧が濃く、いつも香水の匂いをさせていた。

『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)
きりりとした太い眉に、大きな目。快活で、目の前にいる人とすぐにうちとける性格だったが、しつけには厳しく、嵩は物差しでぶたれることもあった。
母の気の強さを嵩は受け継がなかったが、幼いなりに、母の望む子どもになろうとした。
あるとき、アデノイド(鼻腔の奥にあるリンパ組織)がはれて切除手術を受けることになった。医者がメスで患部をえぐると、大量の血が流れ出て、洗面器が真っ赤になった。それを見たとたん、横にいた母が「泣いちゃだめ!」と言い、嵩は懸命に泣くのをこらえた。医者は驚き、「こんな小さなお子さんが泣かなかったのははじめてです」と嵩をほめた。
きれいな母が自慢
芝居や映画が好きだった母は、夜、嵩をつれて出かけることがあった。スクリーンの男優を見て「いいわねえ」とうっとりしている母を見ると、胸がドキンとした。

(イメージ写真:stock.adobe.com)
冬の寒い日には、帰り道で自分のショールをはずして嵩の首に巻いてくれた。甘い香りに包まれて、にぎやかな夜の市街地を母と帰るのは、夢のような気分だった。
母のまわりにはいつも何人かの男性がいて、そのことで周囲の人たちは母の悪口を言った。幼い嵩の耳にもいろいろなうわさ話が入ってくる。だが嵩は、自分を養うために母が手に職をつけようとしていることを知っていたし、よそのお母さんよりきれいな母を自慢に思っていた。
家にいない母にかわって面倒を見てくれたのは、祖母の鐵である。母と同じく気性の激しい人だったが、嵩には甘く、毎晩、嵩を抱いて寝た。そして口癖のように「この世の中で信用できるのはおまえと神様だけだ」と言うのだった。
世間知らずのお坊ちゃん
暮らし向きは楽ではなかったが、ふたりの女性に大事にされ、嵩は世間知らずのお坊ちゃんとして育った。
周囲の子どもはみなきものに下駄ばきだったが、東京から引っ越してきた嵩は、モダン好みだった父の影響もあって、半ズボンに靴、房のついたニット帽というスタイル。
近所の子たちの中で自分だけ幼稚園に行っていないのを不思議に思うことはあっても、家が貧乏だとは夢にも思わず、母が財布をひらけば、そこにはいつもじゅうぶんなお金が入っていると信じていた。
性格は内気でおとなしかった。近所の男の子は年上の小学生しかいなかったので、遊びといえば、女の子のままごとに入れてもらうか絵を描くかだった。
「こんなに楽な子どもはいない」
絵は見るのも大好きで、雑誌の挿絵や絵本を何時間でも飽きずに眺めた。

(イメージ写真:stock.adobe.com)
そんな嵩に祖母はいつも、
「まったく、おまえはほんとうに手がかからないね」
「紙とクレヨンさえ持たせていれば、いつまでもひとりで遊んでいる。こんなに楽な子どもはいないよ」
と言っていた。
「もっとずるくならないと」
一方、母は嵩にこう言って聞かせた。
「おまえみたいに真っ正直だと、馬鹿を見るよ。生きていくには、もっとずるくならないと」
ずっとあとになって、嵩は思った。お母さんはずるく生きたつもりだったの? でも、それはあんまりうまくいかなかったよね、と。
嵩は戦争から帰ってきたとき、何十年ぶりかで母のひざまくらで眠った。母は再婚相手に先立たれ、田舎でひとり暮らしをしていた。
顔に熱いものが落ちてきて目をさますと、それは母の涙だった。母は横を向いたまま、小さな声で、「許してね」と言った。
※本稿は、『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)の一部を再編集したものです。