大神いずみ「長男・翔大の履正社の卒業式。挨拶はまさかの短さ!関西弁に囲まれながら〈学校の皆さんに育てていただいたんだなあ〉と感慨深い」【2025編集部セレクション】

2024年上半期(1月~6月)に『婦人公論.jp』で大きな反響を得た記事から、今あらためて読み直したい1本をお届けします。(初公開日:2024年03月14日)

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大神いずみさんは、元読売巨人軍の元木大介さんの妻であり、2人の球児の母でもある。苦しいダイエットをしている最中に、長男が大阪の高校で野球をやるため受験、送り出すという決断をした。球児の母として伴走する大神さんが日々の思いを綴る。

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【写真】クラス集合写真で、寝そべる翔大

前回「大神いずみ「旅立ちの春がやってきた。息子がくれた手紙と共にある亡き父の手紙を、読み返す勇気は今はない」」はこちら

最後のホームルーム

「今日はいずみが来ているので、これまでの感謝の気持ちを述べたいと思います。ありがとう」

いや、いろいろツッコミどころの多い長男・翔大のあいさつだ。

履正社の卒業式を終えて最後のホームルーム。

息子がクラスのみんなの前で述べた言葉。

まずはなんだこの母に向かって、

「いずみ」て。

クラスの子達はどうやら普段から聞き慣れているようで、ハハハーとひと笑い。

今日まで3年間、遠くの山に住む「鬼」の面白おかしい話をさんざんみんなでしてたんだろうな、「いずみが…」と言って。

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一番左は中日ドラフト4位でプロ入りした福田 幸之介君。本当に野球部の仲間に助けられて卒業できたようなものです。 翔大の隣はキャプテンの森澤君です

そして感謝の言葉、短かすぎ。

なんかもっとあるだろうよ、

「お母様の作り置きしてくれた豚汁美味しかったです」とか、

「夜練習から帰ってきた時洗濯物がキレイに畳んであるのを見て、〈お風呂が沸きました〉のメロディと共に涙が出ました」とか、

「苦しい時もひもじい時も、実家から通販の松前漬けや鶏焼きをたびたびドカンと送ってくれた母には、どんな言葉を並べても感謝しきれないです」とか。

先生に感謝を伝えられてよかったね

「ありがとう」

ざっくりすぎてビックリです。

でもそのあとの言葉もこの母には予想外で、なんでやねんとツッコみそうになった手を止めてしまった。

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最後のあいさつ。 「いずみ」は思いのほか真横に立っていたのでビックリしました

「(担任の)先生、いつも父親代わりのように3年間見守ってくださって、ありがとうございました」

高校へ通っていた3年間翔大は1人で大阪で暮らしていたが、父親は球団のコーチとしてチームに帯同していたので、ほとんど翔大の野球や高校生活を見ることができなかった。

代わりに近くで叱ったり褒めたりしてくださっていたのは、翔大にとって野球部の監督コーチの皆さんと同じように、担任の先生だったのだ。

この場をお借りして先生に感謝を伝えられてよかったね。

母からも改めてお礼を申し上げます。

本当に、ありがとうございました。

3年間息子を支えてくれたクラスメートや先生方

卒業式で初めて知った、3年間息子を支えてくれたクラスメートや先生方。

名残惜しそうにみんな1人ずつ写真を撮っていたのを見て、母は改めて、初めて、

「翔大はこの学校で確かに3年過ごしたんだなぁ…」と感じた。

親元を離れて過ごした、親には見えなかった3年間の学校生活が、このとき初めて私には見えた。

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こうしてたくさんの写真を見ると「この学校に来てよかったねぇ」と思います。仲間と先生には本当に恵まれた3年間だったようです。生徒指導の先生とのツーショット

そして初っ端から全然無事ではなかったけれど、3年間を終えて、翔大は履正社高校を卒業しました。

夫が大阪出身なので、わたしも大阪の家に嫁いで25年近く経つ。

でもまさか息子の進学で大阪にこんなに頻繁に通うことになろうとは。

ちなみにわたしは九州・福岡生まれ、高校卒業してすぐ横浜の大学に進学し東京のテレビ局に入社したので、人生でここまで福岡・東京・神奈川の3ヵ所でしか暮らしたことがない。

まさか関西人の嫁になるとは

昔から関西の言葉は面白いと感じていたのだが、関西人と結婚するとあっという間に新しい家族から関西の言葉が溢れだし、私の耳にすぐ馴染んでいった。

そういえば福岡でも土曜日の昼過ぎにテレビで見ていた「吉本新喜劇」。大好きだった。ああ土曜日。横浜に来たら毎週土曜日テレビでやっていないことに、軽く衝撃を受けたものだ。

テンポよくポンポンと、独特の抑揚で交わされる会話が面白くて、1人でマネをするのが楽しかった。意外に自分では上手いと思ってしゃべっているけれど、大阪の人が聞いたらやっぱりものすごく気持ち悪いんだろうなぁ。

そんなわたし、まさか関西人の嫁になるとは。

嫁に来て一番最初に「ん、何言ってる?」と思ったのは、ある日スーパーの買い出しに出るとき姑から聞いた

「いずみさーん、『ナンキン』買うてきてくれるかぁ?」という言葉。

なんですかそれ?

正解は「カボチャ」である。

そもそも言葉自体が違うものが結構ある。

関西弁は頑固である

ソース、ドレッシング一般を平たく「たれ」という。スーパーの売り場の看板にも「たれコーナー」というのがある。

東京でいう「サンチュ」は「チシャ」、鶏肉は「かしわ」、ヒレ肉は「ヘレ」である。

ヘレ、て。

姑はずっと訛っているのだと思っていたら、大阪のおばちゃんはみんな「ヘレ肉、あんで〜」と言っている。

何より夫が、厳しい訓練を受けてアナウンサーとしてそこそこ仕事をしていた私の言葉を、ケラケラと笑う。

わたしがあるとき、

「あ、カマキリがいるよ!」(カの音が一番高くてそこにアクセントがあります)

と呟いたとき。

けーっ、けっけっけ。なんじゃそら?

「カマキリ」てなんや。(私の発音を復唱)

「カマキリ」(キの音が高くてそこにアクセント)やろ。

おにぎりもそうや。

おにぎり(〈に〉にアクセント)ちゃうわ、

「おにぎり」(〈ぎ〉にアクセント)や。

標準語として絶対に間違いなく「カマキリ(〈キ〉を強調」だと、アクセント辞典を引きながら勉強してきた私に対して主張し続けている。

…あのねぇ。

関西弁は頑固である。

果てしない「なにわワールド」

東京に移り住んで何十年経った人でも、コッテコテの関西弁を1ミリも崩さず暮らしている人は多い。野球人にはかなりかなりかなり多い。

そして関西人同士のセンサーが作動すると一瞬にして東京の言葉から関西弁に切り替わり、そこに果てしない「なにわワールド」を拡げ始めるのだ。

うちの夫は自らを「標準語と関西弁のバイリンガル」と称しているように、臨機応変に言葉のチャンネルをパチパチ切り替えている。

普段は「先ご飯食べちゃってー」というような夫も、圧倒的に、怒ってケンカモードになると何を言っているのかわからないガルガル巻き舌の関西弁だ。

「なに言うとんのか、こるるぁあ!!」

私が夫と絶対に口ゲンカしないと決めたのは結婚して間もなくからで、これが理由だ。

こちらは冷静に、叱られながらお給料をいただきながら「喋り」を修行した身。

凄んだ勢いで放つ言葉にあまり深い意味はない、と最初から応戦しないことにしている。

でもやっぱりまくしたてられると、怖い。

そんな、言葉がまったく違うようなところへ1人でやってきた息子・翔大は、やはり大阪の学校や地域に馴染むためなのか、喋り方があっという間に変わってしまった。

地元の人が聞いたら違和感満載の関西弁を喋り出したのは、大阪に行って割とすぐのことだった。

「よそ者」な感じで大阪に暮らしていた日々

私も履正社の入学式のとき、式の最中どこもかしこも関西弁の人がお話ししているのを聞いて(当たり前だが)、改めて「外国」に来たような感覚を覚えた。校長先生が関西弁でお話しになっているのを聞いていて、やっとじんわり「ああ…息子を家から遠くに出したんだなぁ」と気づき始めた。

私にとっては最後の最後まで、その感覚が薄れることがなかった。

そこから毎日関西人に囲まれて、学校やその土地に馴染んでいけばいくほど、翔大の言葉はみるみる「夫のケンカモード」な言葉に変わっていった。それがわたしには少し心配でもあり、大阪の生活に馴染んでいる証拠だという、少しの安心でもあった。今では翔大、関西弁ペラペラだ。

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冷蔵庫やシンク下の大量の調味料を処分してきました。 自炊は大変だったと思うけど、何を作っても「俺は天才かもしれん」と言って美味しそうに食べていたのを思い出します

ずっとこれでいく、と言っている。いや、そろそろ「おかん」はやめて。そう呼ばれて「うん、だからさぁ…」と返す東京の人間もまあまあ恥ずかしいのである。

いやきっともっと穏やかで温かな関西弁もあるに違いない。

わたしがよく知らないだけだ。

義理の母の生粋の神戸の言葉は、いつも抑揚が優しくて温かい。…ただよく聞くと言っていること自体かなりキツい内容だったりするので注意は必要。博多弁だって同じようなものかな。

いつ何度行っても「よそ者」な感じで大阪に暮らしていた日々も、そろそろ終わりに近づいてきた。

3年間で思い通りにいかないことが多かったなか、唯一息子もわたしも安心して寛げる部屋を大阪に持ったことは、とても幸せなことだった。

まあ、これからも何度も実家には帰ってくるので

大阪にお別れでもないのだけれど。

大阪を去る日

卒業式を終えて大阪を去る日の、部屋の窓から望む冷たい曇り空は、なんとも寂しい。

いろんな思いが心の中で混ざり合い、不覚にもじんわり温かいものが込み上げてきた。

「友だちとご飯に行く」という翔大を大阪に残し、次男・瑛介の待つ東京へ、新幹線でお弁当を食べながら帰る途中、しみじみ1人で泣こうと心に決めていたんだが…。

新横浜到着30秒前まで爆睡していて、慌てて荷物をかき集めて新幹線を飛び降りた。全然泣けなかった。なんだそれ。

…いなくなる当の本人が、まだまだ処分しきれていない荷物の山をマンションに残し、私がこの後また大阪に回収しに行くことにはなり…。それにも母は少々怒りで熱いものが込み上げてくるんだが。

ここまで大阪、本当にありがとう!

翔大を育ててくださいましたね。

これからも「子ども」として、またたびたび帰りますね。