【元山口組幹部・盛力健児氏インタビュー】「極道社会は狂ってしまった…」伝説のヤクザが「一般社団法人」を設立した意外な理由

「伝説のヤクザ」盛力健児氏

JR京都駅から北へ車で15分。京都御所からほど近い一等地の一角に、その事務所はある。

看板には行書体で「任俠」の文字……まるでヤクザの組事務所のような迫力だが、れっきとした社団法人の事務所である。

今年4月に「一般社団法人 任俠盛力健児」を設立した盛力健児氏(84歳)は、応接スペースのソファでタバコを燻らせながら、こう語った。

「山口組を引退してから16年。いまのヤクザは私利私欲に走り、完全におかしくなっている。ご法度だった覚醒剤のシノギに手を出す者や、堅気を喰いモンにする者ばかりですよ。

ワシに何かできることはないかと考えていたときに、知人の弁護士から『一緒に任俠道を広める団体を作りませんか』と誘ってもらったんですわ。もちろん、ちゃんと国から認可をもろてますよ」(以下、「」内は盛力氏の発言)

取材に応じた盛力氏

盛力氏は、極道社会では誰もがその名を知る「伝説のヤクザ」である。

'41年、香川県三豊郡(現・観音寺市)に生まれ、十代から大阪で愚連隊を率いた。その後、田岡一雄・三代目山口組組長の腹心として知られた山本健一組長に見出され、'67年に山健組に加入した。

'89年、渡辺芳則組長の五代目時代に直参に昇格。六代目に代替わりしてからも山口組を支えたが、'09年の「直参大量処分騒動」に巻き込まれて除籍処分を受け、引退。少林武術の中心地である「嵩山少林寺」から弟子と認められた数少ない人物でもあり、引退後は武術を通じての社会貢献活動を行ってきた。

三代目から現在の六代目体制まで山口組に在籍した盛力氏が、「極道社会は狂ってしまった」と断言し、任俠道を広める一般社団法人を設立したのはなぜか。

その背景を知るには、氏が歩んだヤクザ人生を振り返る必要がある。

取り調べ中に舌を嚙んだ!

盛力氏の名前が一躍有名になったのは、三代目山口組と二代目松田組との抗争、いわゆる「大阪戦争」の最中に起こった「ベラミ事件」がきっかけだ。

'78年7月、京都のナイトクラブ「ベラミ」で田岡組長が松田組傘下・大日本正義団の幹部・鳴海清によって銃撃された。田岡組長は一命を取り留めたが、山口組組員はいきり立ち、報復作戦を開始。その先頭に立ったのが、盛力氏率いる盛力会だった。

同年8月、盛力会の組員が大阪市内の銭湯で松田組系幹部を射殺。翌年5月に盛力氏は殺人罪で大阪府警に逮捕される。

田岡一雄・三代目山口組組長とフミ子夫人(盛力氏提供)

取り調べで府警の刑事たちは、親分である山本健一組長の関与を証言するよう盛力氏に迫った。勾留は2ヵ月以上にわたり、早朝から深夜まで苛烈な取り調べは続いた。

いよいよ精神的に限界を迎えそうになったとき、盛力氏は驚きの行動をとった。刑事の前で机に頰杖をついたかと思いきや、両肘を机に打ち付け、舌を嚙んだのだ。

口からは鮮血が噴き出し、盛力氏は倒れ込む。その覚悟に刑事たちは気圧され、ついに山本組長についての証言を取ることを諦めたという。

死ぬ覚悟で守りたかったもの

盛力氏が振り返る。

「一世一代の大芝居を打ったわけです。半分は死んでもええという覚悟を決めて、半分は演技で。ドン、ドン! と肘を机に打ち付けて舌を嚙んだら、刑事は『止めてくれ!』と慌ててましたわ。ただ、芝居とはいえ舌は深く切れていて、元通り喋れるようになるのに5年かかった。今でも、滑舌が回らんときがある(笑)。

そこまでしてワシが守りたかったのは、山健親分であり、ひいては山口組です。ワシが喋れば、山健組に捜査が及び、若頭である親分が逮捕されれば山口組はガタガタになってしまう」

舌を噛んだ衝撃のエピソードを振り返る盛力氏

個を捨てて、組織のために――。それが山口組の大切にしてきた任俠道だったはず。しかし今や、その伝統は失われてしまったと、盛力氏は眼光鋭く語った。

後編記事『元山口組幹部・盛力健児氏、独占インタビュー「ヤクザは必要悪」「山口組がやるべきことはカネ儲けではない」』へ続く。

「週刊現代」2025年08月04日号より