70年代にジャングルで見つかった戦闘機「飛燕」めぐる数奇な物語 復元の実話が映画化

展示されている飛燕の実物大復元模型=岡山県浅口市
先の大戦で使われた旧陸軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」の機体と実物大の復元模型を展示している施設が岡山県浅口市にある。運営するのは、同県倉敷市のバイク部品製造会社「ドレミコレクション」の武浩社長(60)。海外のコレクターが所有していた機体をネットオークションで落札し、当時の部品を使った復元模型も製作した。戦後80年を迎える中、武社長は「80年たっても世界から戦争はなくならず、人間は何も学んでいない。戦争を知っている世代が一緒に訪れた子や孫に自分の言葉で語り継ぐきっかけになれば」と話している。

ネットオークションで落札し日本に帰還した飛燕の機体を説明する武浩社長=岡山県浅口市
オークションで落札
施設は昨年4月にオープンした「ドレミコレクションミュージアム」。週末の午前と午後に1回ずつ、予約制で見学会を開いている。希望すれば復元模型のコックピットに搭乗することができる。
飛燕は川崎航空機工業(現川崎重工業)が開発した単葉単発プロペラ機で、実戦ではラバウルやニューギニアなどの太平洋戦線で使われた。昭和18年に旧陸軍に採用され、従来機よりも高い高速性能を持っていた。

見学会で希望者は飛燕復元模型のコックピットへの搭乗体験ができる=岡山県浅口市
ミュージアムで復元模型とともに展示されている機体は1970年代にパプアニューギニアのジャングルで見つかったものだ。平成29年に武社長がネットで調べ物をしていた際、オーストラリアのコレクターが「日本に返したい」とネットオークションに出品しているのを偶然発見。1500万円で落札し、日本への〝帰還〟を果たした。
記録には残っていないものの、機体の番号などから落札した機体には旧陸軍のエースパイロットとして知られた地元・岡山県出身の垂井光義大尉が搭乗していた可能性があることが判明した。武社長は「何かに導かれたようだ」と振り返る。

飛燕の模型を手に映画への思いを語る末次成人氏=香川県さぬき市
戦闘機や戦車に夢中
子供の頃は戦闘機や戦車のプラモデルに夢中だった武社長は飛燕に特別な思いがあった。昭和63年にバイクの買い付けのために訪米した際、立ち寄った私設航空機博物館に飾られていた日章旗をあざ笑う若者をとがめようとしたところ、高齢の男性に呼び止められた。「彼らの無礼を許してくれ。代わりにいいものを見せてあげよう」と案内された工房で目にしたのは飛燕の残骸。男性は博物館の館長で、「レストア(復元)して飛ばすのが夢だ」と話したという。
それを機に、「カワサキ」ブランドのバイクのレストアも手がけるようになった武社長。当初は落札した機体をレストアするつもりだったが、「キ61-I甲」とみられる最初期型の希少な機体と分かり、そのまま保存し復元模型を製作することにした。
機体を入手した後、垂井大尉や飛燕の整備を担当した足立昌敏大尉の遺族と知り合った。すでに高齢になった遺族が元気なうちに完全な機体を見せたいと、航空機のレプリカ(模型)を製作する日本立体(茨城県小美玉市)の協力を得て、令和5年に復元を成し遂げた。
ミュージアムには80歳代以上の高齢者や戦争遺族、戦時中に工場で働いていた元工員の女性らが多く訪れる。「自分の意思とは関係なしに戦争に巻き込まれた人たちに、青春時代を思い出してもらえれば」と武社長。
映画で「ものづくりの精神描く」
映画監督の末次成人氏(48)は知人に誘われてミュージアムのオープン式典に出席。武社長から「日本は当時、アジアで唯一飛行機を飛ばした国で、この飛燕は日本のものづくりの礎、戦時中の技術が新幹線など戦後のあらゆる工業製品につながっている」との話を聞き、日本のものづくりの素晴らしさを再認識し、意気投合した。
シンガポールやベトナムで広告制作会社に勤務していた経験がある末次氏は「至る所で日本企業の広告看板を目にした。東南アジアで尊敬されている日本のものづくりの存在感の正体に興味を抱いた」という。帰国後は戦争証言を映像で保存する取り組みを手伝った。戦争を経験した世代が少なくなる中、「平和の尊さを問いかける映画を撮りたい」との思いも強くなった。
武社長との出会いで、その思いが結実した。
末次氏は現在、「日本のものづくり」をテーマにした映画「HIEN」を制作している。武社長や設計者の土井武夫氏ら飛燕にまつわる人たちにスポットを当てた内容で、「武社長の飛燕復元に込めた思い、飛燕の設計や製造に息づく先人たちのものづくりの精神を描きたい」と意気込む。映画は2年後の公開が予定されている。(和田基宏)