「君、人殺したことあるよね?」長時間の詰問、暴行、自殺未遂 泣き崩れる受刑者、冤罪の声もある栃木女児殺害事件を再追跡した(下)

送検のため栃木県警今市署を出る勝又拓哉容疑者(当時)=2014年6月

 「君、人殺したことあるよね?」。一時は迷宮入りがささやかれた“今市事件”こと栃木小1女児殺害事件。検事によるこの質問を皮切りに、計約3カ月間におよぶ殺人容疑での取り調べが始まった。対象は、警察がマークし、別事件で逮捕した男。男が捜査の様子をつづった「被疑者ノート」や公判証言などによると、取り調べは過酷を極めた。男の証言によると、取り調べ中に自殺未遂にも追い込まれたことも。後に有罪判決を下した裁判所さえ批判するほどだった。男は現在、獄中から冤罪を訴える。事件発生から20年、取り調べの実態を再検証した。(共同通信=武田惇志、片山歩)

吉田有希ちゃんの情報提供を呼び掛ける新しいポスターを張り出す警察官=2005年12月

▽食い違う証言

 女児殺害事件の発生からおよそ8年後の2014年1月29日。台湾出身の勝又拓哉受刑者は、偽ブランド品を販売したとして、商標法違反容疑で現行犯逮捕された。殺人事件に関する取り調べが始まったのは、2月18日の午前。場所は宇都宮地検だった。

 「君、人殺したことあるよね?」

 公判証言によると、担当の大友亮介検事は最初、勝又受刑者にこう質問を投げた。「どういう反応をするのかな。どうせ認めないだろう」。そう考えてのことだったという。

 すると勝又受刑者はがたがたと震え、目に見えて動揺した。さらなる追及にむせび泣き、殺害を認める供述調書に署名したという。

 しかし勝又受刑者自身は、法廷で異なる証言をしている。取り調べ当初「殺してません」と否定したが、その答えに大友検事は怒り出した。怒鳴られたり、書類で机をたたかれたりして、勝又受刑者は恐怖で縮み上がり、パニック状態に。さらに「どうでもいいからサインしろ」と強要され、自白調書にサインしたという。

 2人の証言は食い違っているが、このときのやりとりは録音・録画されておらず、真相は分からない。

控訴審初公判後に記者会見する勝又拓哉被告の弁護団=2017年10月

▽平手打ち

 その他も重要なシーンは録画されていない。例えば、2014年2月20日に栃木県警の松沼史剛刑事から「『殺してごめんなさい』を50回言わされた」と、勝又受刑者が公判で主張した場面もそうだ。

 3月19日の取り調べでは、松沼刑事から左ほほを平手打ちされ、椅子から転げ落ちて頭をぶつけて負傷し、治療を受けたと証言。これについても松沼刑事は「(勝又受刑者の)自傷行為だった」と公判で否定している。

 だが松沼刑事はその後、取り調べ担当から外されており、東京高裁はこう指摘した。

 「暴行が実際に行われたとの疑いは払拭されない」

 高裁判決によると、勝又受刑者が「今日、これ以上は無理」などと述べて取り調べを拒否しようとしても、捜査官は「質問を変えるなどして続行」。こうした過酷な取り調べに対し、判決は次のように認定した。

 「任意捜査として社会通念上相当と認められる限度を超え、違法だ」

栃木小1女児殺害事件で殺人罪に問われた勝又拓哉被告の控訴審判決で東京高裁に向かう弁護団=2018年8月

▽自殺未遂はあったのか

 さらに録音・録画された取り調べ映像には一部、衝撃的なシーンが含まれており、当時の裁判報道でも話題となった。

 2月25日午後。勝又受刑者はやつれきった様子で、取り調べ席に着いていた。大友検事は繰り返し供述を求め、言う。

 大友「本当に反省してんのか。被害者のこと思ってんのか」

 勝又「すいません。弁護士のアドバイスで黙秘権を使いたい」

 大友「弁護士に言われたからとかそういうことじゃないんだよ。君はどうなんだってことなんだよ」

 その後も大友検事の追及は続いた。

 「このずるい様子を被害者や遺族に見せてやりたいね」

 「被害者より自分のほうが重要か。すごいやつだな、お前」

 「お前、卑怯じゃない?」

 こうした追及が長時間続いていたところ、勝又受刑者は突然、立ち上がって叫んだ。

 「もう無理、もう無理」

 そのまま取調室の窓に直進して飛び降りようと自殺を図ったが、周囲の警官に抱き留められた。取り押さえらえた勝又受刑者は再度「もう無理!」と絶叫し、号泣したという。

「キミには黙秘の権利なんかない」と書かれた被疑者ノート

▽受刑者が記した「被疑者ノート」

 「なんで日本に冤罪が多いか分かる気がする。朝から晩まで半月で私は限界が来た。これ、無実の人でも自分がやったと認めてしまうだろうと思う」

 これは私たち取材班が今回入手した、勝又受刑者が勾留中に書き記していた「被疑者ノート」の一文だ。

 「被疑者ノート」は、逮捕された容疑者が、取り調べ時の捜査官の発言などを記録するための冊子である。記録内容は、容疑者と弁護人が、立会人のない状態でやりとりできる秘密交通権で保障される。今回のように録音・録画されていない取り調べがどのような様子だったのかを探るための、重要な手がかりでもある。

 ノートは2月24日から書き始められ、殺人罪で起訴される前日の6月23日まで、ほぼ毎日つづられていた。

 「キミには黙秘の権利なんかないんだよ」

 「キミ、本当最低だな」

 ノートには、捜査官からそう発言されたと書かれていた。

 さらに次のように、弁護人について発言されたとする記述もあった。

 「あなたの人生、弁護人に任せたままでいいのか」

 「どんなアドバイスをもらった?」

 「弁護人こなかったじゃん、そんなうそつきより私や検事の方がずーと拓哉を信じてるぞ」

 また、録画状態の取り調べと、非公開の取り調べとが異なる様子だったと指摘する記述もあった。

 「一番いやな検事調べだ……宇都宮へ……昨日の検事と違い、録音画されてるからか、全然怒鳴られなかった!!」

勝又受刑者が受けた取り調べ日数と合計時間のグラフ(関係者などへの取材に基づく)

▽捜査の矛盾とは

 さらに、私たちは前編の記事で、司法解剖に基づく初動捜査の前提として、次の2点があったことを指摘した。

(以下引用)

 ・遺体に性的暴行の痕跡がなかったこと

 ・遺体の状況から、他の場所で殺害された後に運ばれ、遺棄されたとみられること

(以上引用)

 それにもかかわらず、勝又受刑者の“自白”は「性的暴行をした」「遺体発見現場で殺害した」というものだった。この矛盾は取調官も気になっていたようで、ノートには以下のような記述がある。

 「いくつか質問をされ、殺害現場は本当に遺棄現場なのかとか、なぜレイプの話をこんなにすんなりと言えるのか」

 「ようわからないけど、検事は、被害者をレイプしたという話にはどうしても持っていきたくないようだ……」

 近畿大の辻本典央教授(刑事訴訟法)は、次のようにノートの証拠価値を評価する。

 「あくまで容疑者側の目線ですが、特定の日時の取り調べだけを問題にして記述するのではなく、ほぼ毎日にわたって書き継がれています。そのため、証拠としての価値は高いとみられます」

 辻本教授は捜査の問題点も指摘した。

 「弁護人とのやりとりを聞き出す手法は、過去の冤罪事件でも問題となった違法性の高い取り調べです。適正な捜査の在り方を改めて問うていると言えます」

遺体が発見された山林の斜面=2024年7月、茨城県常陸大宮市

▽受刑者との面会で

 無期懲役判決が確定した勝又受刑者。現在は、千葉刑務所で受刑中だ。今でも冤罪を訴えているというが、どんな心境で過ごしているのだろうか。2024年10月、私たちの面会に応じてくれ、取材することができた。

 面会室で待っていると、緑色の官服を着た勝又受刑者が現れた。丸刈りで、やせていた。

 口を開くと、たどたどしい日本語だった。夏は暑くて寝られないという。

 「7月に独房に移った。人間関係が面倒な雑居房を離れて、ほっとしてます」

 自白した当時について尋ねると、取調官からの追及に、話を合わせることしか考えられなかったと振り返る。

 「あのころは地獄だった。警察の留置場から拘置所に移って他の収容者と話して、ようやく元の自分に戻った感じ。頭を冷やし、主張をちゃんと伝えなきゃと思い直した」

 だが、そもそもなぜ自白したのか?改めてそう問うと、ポツリと言う。

 「‥‥‥自分が弱かったから」

 裁判では最高裁まで無罪を争ったが、無期懲役が確定した。

 「目の前が真っ暗になった。死のうと思うくらいの気持ちになった。でも(冤罪関係の)支援者に励ましていただいて、なんとか……」

逮捕前の勝又拓哉受刑者(家族提供)

▽泣き崩れた受刑者

 取材直前の9月、袴田巌さんに再審無罪判決が出たばかりだった。

 「自分は袴田さんのような死刑囚とは異なり、無期懲役。まだましだと思った。

 それでも今は、1日でも早く再審をして冤罪を晴らして、外に出たい。時間がかかるのは分かっているけど。まずは現状を受け入れて生活していくしかない。くよくよしないよう、事件のことを考えないようにして。それで絵を描いたり、勉強したりしています」

 取材では終始、落ち着いたやりとりが続いた。だが後半、「本当にやっていないんですか」と改めて尋ねると、空気が一変した。

 「やっていません」

 勝又受刑者はそう答えた後、しばらく宙を見つめ、泣き崩れた。

 今年7月、勝又受刑者の再審弁護団が正式に結成された。現在、再審請求の準備を進めている。

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