滋賀・守山で前方後方墳の「原型」2基出土 発展過程「つぶさに示す」 近江起源か

前方後方墳の原型となる前方後方形周溝墓が2基並んで出土した笠原南遺跡=滋賀県守山市
前方後方墳の原型とされる「前方後方形周溝墓」2基が滋賀県守山市の笠原南遺跡で出土し、県文化財保護協会が3日発表した。3世紀前半(弥生時代末期~古墳時代初頭)に2世代続いて造営された地域の首長墓とみられる。前方後円墳が大和(奈良県)で誕生したのに対し、前方後方墳は近江(滋賀県)を起源とみる説が有力で、専門家は「前方後方形周溝墓から前方後方墳に発展するプロセスをつぶさに示す極めて希少な発見だ」と話す。

前方後方形周溝墓は、弥生時代の一般的な墳形である方形周溝墓の周溝の一辺の中央に陸橋が設けられ、この陸橋部が大きくなることで成立したとされる。
発見された2基の周溝を含む全長は古い方が19メートル、新しい方が21・5メートル。2基を比べると、墓全体がひと回り大きくなるとともに陸橋部が発達し、その側面が周溝に取り込まれていく発展過程が如実に分かる。
奈良県立橿原考古学研究所共同研究員の森岡秀人さん(考古学)によると、陸橋部は祭儀用の通路として荘厳、長大化し、3世紀後半に前方後方墳として定型化する。そうした発展過程や時期は前方後円墳と共通する点が多いという。

ただ、前方後円墳が大和で定型化し、箸墓古墳(奈良県桜井市)に代表される大王墓になるのに対し、前方後方墳は高尾山古墳(静岡県沼津市)や弘法山古墳(長野県松本市)などで定型化していく。
笠原南遺跡がある琵琶湖東南の野洲川流域には前方後方形周溝墓が集中。同協会は今回の調査成果について、東日本を中心に発達する前方後方墳の起源が近江にあったことをより鮮明にしたとする。
森岡さんは「前方後方墳の被葬者は、江戸時代で例えると徳川幕府に対する外様大名のようなイメージ。古墳出現期の近江がヤマト王権をどう支えたのかを知る手がかりになる」と強調した。
調査は産業用地の開発に伴い、昨年11月から約3ヘクタールの広範囲で実施。周溝墓群の祭儀棟と推察される3世紀前半の棟持柱建物跡なども出土した。(川西健士郎)
現地説明会を5日午後2時に開催。問い合わせは同協会(077・548・9780)。