今も不可解さ残る「下山事件」 捜査資料が眠る東京・足立区郷土博物館 追憶碑には写真も

下山定則の遺体が発見された地点の近くに設置されている「下山国鉄総裁追憶碑」=東京都足立区(内田優作撮影)
昭和24年7月、当時の国鉄総裁が突然、姿を消し、線路上で変死しているのが見つかった「下山事件」。70年以上が経った今も、その経緯の不可解さから耳目を集める怪事件だ。子供たちの声でにぎわう現場周辺から今も残る痕跡を探すと、捜査資料が地元の郷土博物館に眠っていた。
周辺は住宅街に
事件が起きたのは現在の東京都足立区五反野。24年7月6日未明、国鉄常磐線と東武線の線路が交差する付近を走行中の国鉄運転士が遺体の一部を発見した。
死亡したのは下山定則=当時(47)。鉄道官僚出身で同年から国鉄総裁を務めていた。5日朝に大田区の自宅を出た後、日本橋や丸の内の百貨店や銀行などを行き来し、午前9時半ごろ、日本橋三越へ入ったのを最後に行方が分からなくなっていた。
現在の発見現場周辺に当時の田園地帯の面影はない。最寄りの東武線五反野駅から北千住まで2駅、都心へ数十分というアクセスのよさから子育て世帯も多く、真新しい建売住宅も並ぶ。子供たちでにぎわう公園を前にして線路も高架化され、すっかり様変わりしている。

近くで唯一、事件の記憶をとどめるのが、常磐線の高架脇に設けられた「下山国鉄総裁追憶碑」だ。誰が手入れしているのか、碑の周りに草はなく、碑に「R7」と記された下山の顔写真が貼られていた。
偶然、資料が…
足立区の区立郷土博物館(同区大谷田)には、事件の捜査資料が収蔵されている。
ガリ版刷り資料6点は捜査会議用資料や下山の妻、運転手の供述調書、実験報告書などだ。
資料には、皮下出血や所持品の未発見といった他殺説の傍証と、靴の裏に付着した草の色素、近くの旅館から見つかった本人のものとみられる毛髪などの自殺説の傍証、分刻みで追った失踪当日の下山の動きなどが記されている。

足立区立郷土博物館が収蔵する下山事件の捜査資料(同館提供)
入手の経緯は偶然に近い。学芸員の多田文夫さんによると、以前から同館には「事件の資料がないか」などの問い合わせが年に数件程度舞い込んでいたという。問い合わせを受ける多田さんも「私の専門は近世の新田開発。下山事件の資料を調べるなど考えたこともなかった」と困惑。平成16年、来館者向け図書として、「下山白書」と称される捜査報告書を掲載した雑誌『改造』などを購入したところ、ともに段ボールに収められていたのが一連の資料だった。しめて約5万円。「おそらく、セットだったのでしょう。出元はわかりません」(多田さん)。現物は経年劣化して触っただけでも崩れそうな状態で、展示はしていない。

足立区立郷土博物館が収蔵する下山事件の現場見取り図(同館提供)
多くの人が熱く
自殺か、他殺か―。世論が沸騰する中で行われた警視庁の捜査は昭和24年末に事実上終了し、39年には殺人事件としての時効を迎えた。警視庁が編纂(へんさん)した『警視庁史』(53年)は捜査当局として下山の死を自殺と認定したとの見地で記述されている。
この事件は多くの人を迷宮へ誘う。事件を受けて当時の増田甲子七官房長官が共産党を念頭にした治安対策に言及すれば、左派は占領軍による謀略を主張。戦後を代表する重大事件として記憶された。近年ではミステリー小説の題材になるなどして、「政治闘争の材料」として扱われた時代を知らぬ人々にも関心が広がる。
「事件のことを調べに来館する方の熱気はすごい。ずっとお話をする方もいて、教わってばかりです」とする多田さんは、ぽつりと口にした。「そんなに人を熱くさせる下山事件ってなんなのだろう」(内田優作)