先生を育てる放課後の「井戸端会議」、追い立てられる感覚の中で立ち止まる機会に 常に「超えてくる」子どもを理解する、教員の仕事は豊かだ【私がここにいる理由 教員働き方改革の現場から】

休み時間に子どもと話す石垣雅也。休み時間や給食の時間も子どもを知る機会になるという
放課後、小学校の職員室の一角に5年生の担任3人が集まり出す。「あの子の表情、周りの友達の助けがあって和らいだよなあ」。その日にクラスであった出来事を、児童の名前と様子を挙げて振り返る30分間。滋賀県の公立小学校教諭だった石垣雅也(いしがき・まさや)(51)は、子どもを理解するための「井戸端会議」のようなこの時間を大切にしてきた。(共同通信=小島孝之、敬称略)
▽「理論や経験を超えてくる」仕事の楽しさと厳しさ

教員は教科指導以外にも、会計や行事の準備など学校運営に関する事務作業が一人一人に割り振られる。放課後はそれらに追われ、切迫した場合でない限り、子どもの話を脇に追いやらざるを得ない構造がある。
「前に前に、先へ先へ追い立てられていくような時間感覚」と石垣。一度立ち止まる機会がなければ、大事なものを見落としてしまう気がする。井戸端会議は、各自が業務を終わらせ、翌日の授業準備にめどを付けた後に始まることが多い。
子どもが見ている世界を理解することが、教員の専門性だ―。石垣はそう信じてきた。「問題行動」に見えることの背景に、本音が潜んでいる。きつい言葉で同級生を傷つけた児童は、繰り返してしまう自分を責めていた。大人を挑発し、授業を「妨害」する子が、ふとした拍子に「僕は怖がりやねん」とこぼしたこともあった。
子どもの姿は、これまでに本で学んだ理論や経験を超えてくる。「どこまで行っても、自分は何も分かっていなかった」と気付かされることに、仕事の楽しさと厳しさがある。
▽「最後は一人」だからこそ、同僚と支え合う

給食時間に子どもと話す石垣雅也(画像の一部を加工しています)
井戸端会議は、同じように考える同僚と一緒に、思いをはき出す場だ。子どもとの関係がぎくしゃくした若手には「3時間目に何かあった?」と話を振る。子ども間で交流サイト(SNS)のトラブルがあった時は授業づくりを一緒に考え、普段は目立たない児童が授業で活躍した時はみんなで喜んだ。
石垣は休日も毎週のように学校に出た。集中して翌週の授業の準備などをするためだ。そうでもしないと「時間の貯金」をつくることができないからだが、そこでも何かをきっかけに、先生同士の話し合いが自然に始まった。
「担任である以上、究極的には最後は一人」と石垣は語る。ただ互いに助け合う「同僚性」の土台がなければ、重圧につぶされてしまうと思う。
石垣は人の深さと向き合う教員の面白さを学生に伝えたいと、春から北海道教育大学釧路校の講師に転じた。未来の先生を育てることには大きなやりがいがある。ただ、あの豊かな世界にはもう戻れないのだという寂しさも感じている。
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▽「対話」の重要性認識も、難しい現実

教職員支援機構が開催した探究型研修初日の会場=2024年7月31日、茨城県つくば市
「より良い学校」づくりのために、先生同士の「対話」は重要だ。そのことは文部科学省も認識している。文科省は教員研修の全国拠点「独立行政法人教職員支援機構」(茨城県つくば市)と連携し、「探究型研修」と呼ばれる新しい研修を推進する。講師が知識を教え込む従来型の座学ではなく、参加者の教員同士が時間をかけて対話し、自分たちの学校の改善策を考える形だ。
昨年夏、教職員支援機構で3日間かけて実施された探究型研修を取材した。印象的だったのは、1日目にはすぐに実践できるノウハウを求めていた教員が、別の学校の教員や同僚と教育観を語り合う中で、答えを急がず自他の価値観で揺れることの大切さを実感していく姿だ。一方で、話を聞いたほぼ全ての教員からは、対話の必要性を認識しつつも、「忙しくて、普段の学校内ではそういった時間が持てない」との声が漏れた。
先生たちから「追い立てられるような時間感覚」から解放することが、学校での対話の活性化につながるはずだ。そのためにも、文部科学省などの行政には、先生が受け持っている授業のこま数や、業務の負担を減らすための政策が求められている。
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連載【私がここにいる理由 教員働き方改革現場から】
◎子どもが発する小さなSOS-気付くため重ねる、保護者との夜の電話
◎晴之との毎日は面倒くさくて大変だ。でもみんな思っている。「ほっとかれへん」