12歳の少年が見た昭和15年 紀元二千六百年の受験事情 エリート軍人を目指す僕 プレイバック「昭和100年」

東京・市ケ谷にあった陸軍士官学校

<当時の出来事や世相を「12歳の子供」の目線で振り返ります。ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。>

「星の生徒」はトップ中のトップ

3歳年上の兄は「陸幼」に合格した秀才だ。正式名称は陸軍幼年学校。制帽の星のマークから「星の生徒」とも呼ばれる。東京帝国大学、海軍兵学校と並んで日本最難関とされる陸軍士官学校にそのまま進み、20歳そこそこで将校になれるのだ。僕もまずは来年の中学受験が優先だが、中学に入ったら兄に続いて陸幼を受けるつもりだ。

日独伊3国の軍事同盟を結んだヒトラー(左)とムッソリーニ

尋常小学校の同級生で中学受験者は2割ぐらい。僕が目指すのは、その中でも上位校だが、これは何とかなる。問題は、さらにその中のトップ層しか入れない陸幼だ。中学2年修了後に受験資格が得られるが、倍率は20倍にもなり、ここ数年、村で受かったのは、うちの兄くらいだ。

銀行に勤める父は「軍人になるのが一番いい」が口癖で、僕たち兄弟に小さい頃から期待をかけてきた。3年前の昭和12年に支那事変が始まり、軍人は戦地に赴く機会がますます増えているが、父はあまり心配していない。内輪もめのような状態の支那が日本と戦い続けるのは無理があるし、戦争さえなければ上級軍人ほど生涯安泰な職業はないからだという。

前人未到の69連勝を果たした横綱双葉山。土俵入りは絵に描いたようなとさえ言われた

日独伊軍事同盟が締結

父は明治33年生まれ。西洋で言えば19世紀最後の年だが、生まれる前の日清戦争、子供の時の日露戦争、社会に出た頃の世界大戦のいずれも日本は勝利した。陸軍も海軍も、軍人の力がどんどん強くなった時代を生きてきた。

今も大陸では日本が戦っているし、内地でも資源や食糧の不足で以前のようなぜいたくはできないが、これまでの戦争と同じで海の向こうの話という気もする。このまま支那が落ち着いたら、二度と争いが起こらないよう、軍人は戦争を事前に防ぐ役割に徹すればよくなるのかもしれない。

ただ、昨年7月の国民徴用令で技術者らが会社ごと徴用されたり、今年10月の大政翼賛会の発足のように国民全体で戦争を支えるようになってきたのは、日本の危機はより深刻ということだろうか。

すでに欧州で戦線を拡大中のヒトラー総統のドイツやムソリーニ統帥のイタリアと9月に同盟を結んだのも、その流れだと思うが、向こうの争いに巻き込まれそうであまり良い選択ではない気もする。

双葉山、前人未到の69連勝

一方で昭和11年から昨年1月場所まで前人未到の69連勝を達成した横綱双葉山の大相撲は今も盛り上がっていて、国民はラジオで声援を送っている。昨年秋には国産初の飛行機ニッポン号が無事世界一周を達成し、米国や欧州からも拍手喝采を浴びたそうだ。

今年6月には隅田川の築地と月島を結ぶ勝鬨橋も完成して見物客であふれた。大型船も航行できるよう橋が開く可動式で、こちらも日本の技術だけで造られたという。

さらに今年は神武天皇が即位して2600年にあたる「紀元二千六百年記念行事」が相次いで行われ、各地の神社の催しがラジオでも中継された。旅行自粛の雰囲気を吹き飛ばすように伊勢神宮や橿原神宮に参拝に行く人も増えたという。

本当なら、この記念すべき年に東京で開かれるはずだったオリンピックは中止になったが、これほどのアジアの大国なのだから、いずれまた機会はあると思っている。

日清日露の成功体験

年末に兄が陸幼の寮から帰省してきた。陸幼の入試は、国語、作文、数学、地理、歴史、理科の6教科だが、同期のほとんどは数学は満点合格だったらしい。兄は勉強についていくのに必死だというが、ここでの成績はあまり関係なく、3年後には士官学校の予科に自動的に進める。

その上、陸幼出身者は予科から試験を受けて入学する学生よりも将来出世しやすく、特別な「学閥」のような存在なのだという。14歳の時の成績だけで軍での地位が決まってしまうのはヘンだと思ったが、兄がうれしそうに話すので黙っていた。

戦術や作戦などを学ぶ授業の話を聞いた時もあまり納得がいかなかった。参謀本部経験者らによる濃い中身を期待していたが、結局は日清、日露での成功体験ばかりが強調されているようだった。中には、「神風が吹いた」とされる鎌倉時代の元寇(げんこう)の話から「日本が負けるはずがない」と話す教官もいたそうだ。

国際情勢よ、待っていてほしい

確かに日本は連戦連勝だったし、建国2600年の間、他国に侵略されたこともない。それはもちろんすごいことだが、過去何千年も領土を取ったり取られたり、勝ったり負けたりしてきた諸外国と、この先、対等に渡り合えるのだろうか。あれほど強かった双葉山だって負けるときはあっさり負けるのだ。

11月に一連の二千六百年記念行事が終わると、国は「祝ひ 終つた さあ働かう!」の標語を掲げたが、何だかのんきだ。大陸の戦線にしても、このまま本当に終わるとは思えないし、米英だって日本のことを苦々しく思っているのは新聞を読めばわかる。

陸幼の受験まであと2年ちょっと。僕は昔から兄よりもさらに勉強ができたのだ。絶対に合格して、できるだけ複数の計画や作戦が立てられる軍人になりたい。最悪の結果も考えられる戦略家になって、米英とも対等に渡り合いたいと思う。僕が偉くなるまで、果たして国際情勢は待ってくれるだろうか。

※当時、男子の憧れの職業は軍人で、中でも陸軍士官学校は超エリートとされた。陸幼はその付属校のような存在で、さらに難関だったという。

※昭和12年7月の盧溝橋事件をきっかけにした支那事変は、両国が宣戦布告を行わなかったため「戦争」とは呼ばれなかった。盧溝橋も偶発的な戦闘によるもので、当初は政府や軍も全面戦争を望まない意見が強かったが、戦況は泥沼化。16年12月の真珠湾攻撃以降は米英との戦争が始まり、日本は二正面作戦を強いられていく。