「東京大空襲容認論」拒否した海老名香葉子さん 安倍政権の教育改革では親孝行と徳目訴え

東京都平和祈念館建設委員会で発言する海老名香葉子さん=平成10年5月25日、東京・西新宿の都庁(大西史朗撮影)

昨年12月24日に92歳で死去したエッセイストの海老名香葉子さんは、東京大空襲で両親ら家族6人を亡くした戦災孤児として、体験を語り継いできた。東京都平和祈念館の展示計画が「日本が悪かったから空襲を受けても仕方なかった」と受け取れる内容だと明らかになった際は、断固拒否した。また、第1次安倍晋三政権の教育再生会議の委員として親孝行や徳目の大切さを訴えた。

東京大空襲の犠牲者を慰霊する「時忘れじの集い」に参列した海老名香葉子さん=平成28年3月9日、東京・上野公園(森岡真一郎撮影)

平和祈念館の計画に疑義

安倍晋三首相(左端)らとともに教育再生会議に出席する海老名香葉子さん(右端)=平成19年2月22日、首相官邸(酒巻俊介撮影)

「『旧日本軍による中国への都市爆撃を紹介する』『当時の抗日運動やアジアの人々に犠牲を強いた面』『日本がアジアの人々に犠牲を強いた事件を紹介する』…とあります。こんなにアジア、アジアと出てこなくてもいいと思うんです」

平成10年4月、平和祈念館の展示計画を話し合う都の会議で海老名さんは、しっかりとした口調でそう語った。計画は、日本のアジア諸国への加害に触れ、東京が軍の中枢や軍需産業が集まる「軍事都市」だったと強調していた。空襲を容認しているととれる内容で、慰霊や追悼とかけ離れた計画だった。

筆者の取材にも「軍事都市じゃありませんよ。庶民が住んでいた下町です。木造住宅の密集地の周囲を爆弾で逃げられなくして、焼夷弾で焼き尽くしたんです。軍事施設ではなく、住んでいる人を狙ったんです。軍事都市だから攻撃されたなんて、絶対言ってはいけませんね」と怒りをにじませ、空襲の悲惨さに絞った展示と慰霊施設としての役割を求めていた。

海老名さんらの反対によって、平和祈念館の計画は翌年、凍結された。

戦争体験、家族観にも影響

戦争体験は海老名さんの家族観や教育観にも大きな影響を与えた。平成18年10月、安倍首相が出席した教育再生会議の初会合で、次のように発言した。

「恐らく、私がこの会の中で一番学歴のない者でございます。戦災孤児でございました。義務教育も受けておりません。今、一番大事なのは学校教育以前のもので、親孝行という言葉が死語にされつつあります。孝心は情の原点だと思います。孝行しながら育った子が親になれば、いい子を育てます」

1年余りの議論の中で、親を採点する制度をつくるよう提案したこともある。過激と受け止められたかもしれない。だが、空襲で家族を引き裂かれ、夫の初代林家三平さん亡き後に4人の子供を育て上げた経験が、家庭の教育力を重視させたのだろう。

道徳教育を巡って「小学校教育で、噓はつかない、親の恩、それから自分勝手なことはしない、人に迷惑をかけない…いいことをたくさん教えておりました。昔は修身と言いました。その修身がなくなってしまいました。徳目として絶対に幼いときから教えてほしい」と訴えた。

その思いは最終報告に反映され、後の中央教育審議会などでの議論を経て、道徳の教科化が実現した。

「産経抄読むのが楽しみ」

産経新聞の熱心な読者でもあった。読者組織「ウェーブ産経」(産経iD会員に統合)の幹事を務め、平成19年9月16日付紙面で「『産経の正論を読むべき』とある人に教えられて以後、愛読している。産経抄と朝の詩を読むのが楽しみ」と記している。

紙面に掲載された特攻隊員の遺書を涙しながら切り抜いたという海老名さんは、こう結んだ。

「平和の今日をありがたく思い、国を、家族を愛していきたいと改めて思う」 (渡辺浩)

  • 海老名香葉子さん死去 92歳 エッセイスト、初代林家三平さん妻 戦争体験を語り継ぐ