「会社ではなく運転士の問題」JR脱線事故 組織防衛に走った社長の前代未聞スキャンダル 企業体質は変わったか JR福知山線脱線事故20年㊥

事故調委員に対する情報漏洩問題で引責辞任した山崎正夫・JR西元社長(左)と現在の長谷川一明社長

「人はミスをするという前提に立ち、安全をマネジメントするのが現在では当然の考え方。ヒューマンエラーは『結果』であって『原因』ではない」。今月18日、JR福知山線脱線事故から20年となるのを前に、報道各社のインタビューに応じたJR西日本社長、長谷川一明(67)は事故後の企業体質の変化を問われ、こう強調した。続けて「私どもは当時、そういう考え方に立てていなかった」と率直に振り返った。

私鉄と熾烈な競争

それまで並行私鉄に大きく水を開けられていた福知山線の大幅な速達化(スピードアップ)を図ったのが、国鉄分割民営化後のJR西で、その強烈なリーダーシップから「天皇」とも呼ばれた井手正敬(まさたか)(90)だ。

平成元年、私鉄各線と競合する京阪神近郊区間の在来線を「アーバンネットワーク」と命名。以後度重なるダイヤ改正により16年10月には宝塚-大阪間を最速22分(快速)で結び、阪急の同30分(快速急行)を凌駕(りょうが)するまでになった。

だが速達化とセットであるべきの安全設備への投資は後回しにされた。曲線部で速度超過を防ぐ自動列車停止装置(ATS-P)の整備は脱線事故1カ月前の17年3月までに完了予定だったが、工事の遅れにより6月にずれ込み、事故発生時は始動していなかった。急激な速達化とのアンバランスは「安全軽視」と批判された。

報告書の記載再考を依頼

事故から4年半がたとうとしていた21年9月、JR西を巡る前代未聞の不祥事が明るみに出る。脱線事故の原因究明にあたった国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調)の委員に当時の社長、山崎正夫(81)らが情報漏洩(ろうえい)を働きかけ、調査報告書の記載の再考を依頼していたことが発覚した。

「この事故の原因は会社の問題ではなく個人(運転士)の問題にあると言いたかった。これが会社内の大多数の意見だった」。山崎は旧知の事故調委員に接触した動機をこう釈明した。冒頭の長谷川の発言と正反対の主張だった。

技術畑出身の山崎は脱線事故後に子会社から呼び戻され、安全管理の立て直しを一身に背負った。社長退任後も大きな影響力を持った井手体制からの決別を宣言したのも山崎だ。

孤軍奮闘で変革の先鞭(せんべん)をつけた山崎を評価する声は決して少なくない。だが、その山崎をして「組織防衛」に走らせた事故調を巡るスキャンダルは、当時の同社の組織風土が呼び寄せた必然の結果ともいえた。

「鉄道のことは自分たちが一番よく知っているという独善的な体質だった」。JR西を長年取材してきた元京都新聞論説委員で、甲南大非常勤講師(コミュニケーション論)の鈴木哲法(67)はこう指摘する。

「安全と経営相反するものではない」

その後のJR西は脱線事故の遺族も交えた「安全フォローアップ会議」を立ち上げ、事故の背景要因を抽出して対策を施す「リスクアセスメント」の手法を導入、ヒューマンエラーを「原因」とする従来の思考と決別した。

鉄道事業は沿線人口の減少に伴い、今後さらに厳しさを増すとみられる。もっとも長谷川は冒頭のインタビューで「安全と経営は相反するものではない」と力説した。いつその認識に至ったか問われると「山崎から学んだ」と答えた。(敬称略)