地獄だったという五島列島の現在は?戦前生まれでカトリック教徒の元漁師は語った…。 【東シナ海に浮かぶ長崎県五島列島・キリシタン迫害と共存の歴史(下)】

かつて潜伏キリシタンが住んでいた長崎市外海地区から見える夕陽と海=2023年11月、長崎市の「道の駅夕陽が丘そとめ」で撮影
禁教令下の約200年前。キリシタン取り締まりを担った長崎奉行所の目の届きにくい長崎の外海地区から、五島列島に安住の地を求めたキリシタンたちは、遙か海上に見える五島列島を目指して青い海を渡った。

五島では、先住の仏教徒がいた平地や港といった条件のいい土地には住めず、作物を育てにくい急斜面などを苦労して開墾した。明治初期、禁教令を理由に、住民によるキリシタンへの弾圧や略奪もあった。
「極楽だと聞いて五島に来てみたら、実際は地獄だった…」。こんな俗謡が伝わっている。
十字架の形にも見える新上五島町にカトリック教徒を訪ね、仏教徒による過去の迫害をどう思っているのか聞いてみた。(共同通信長崎支局長=下江祐成)
▽聡明な農民が残した迫害の記録

新上五島町のカトリック教徒で元漁師の尾上勇さん=2024年5月、新上五島町
人口1万7千人弱。「祈りの島」と呼ばれる新上五島町には、29もの教会が点在している。その最北部にある江袋集落に住む、元漁師・尾上勇(おのうえ・いさむ)さんは戦前の1930年生まれだ。

国内最古級の木造の江袋教会=2024年5月、新上五島町
江袋集落周辺はカトリック教徒がほとんどだという。けんかも相撲も負け知らずだったという屈強な尾上さん自身は、小作農の立場で貧しくはあったが、カトリック教徒が比較的少ない五島市の中心地・福江にいた若い頃も含めて、目に見える差別は受けなかった。
だが尾上さんは、「キリシタン農民の生活」という本に記載されている迫害の歴史を知ってほしいと語った。本の著者は、1924年に五島に生まれ長崎県経済部農務課などに務めた木場田直(こばた・すなお)さんだ。約200年前の江戸時代に、キリシタンの取り締まりが厳しかった大村藩から、五島に移民し、福江島の中央付近にある「山ン田」という山奥の土地を苦労して開拓したキリシタンの子孫だ。五島各地などで農業技術を指導した傍ら、五島に残る口承や先祖の日記を調べ、本にまとめた。

明治初期にキリシタンを閉じ込めた牢屋敷の跡=2024年9月、五島市

明治初期にキリシタンを閉じ込めた牢屋の跡=2024年9月、五島市
本には、木場田さんの祖父の兄・庄八が1870年に記した日記が引用されている。信仰を理由に同じ村民に殴られ、牛馬や財産を横領され、山中に逃げたという悲惨な記録が綴られている。役人だけでなく、村人が隣人であるキリシタンに暴力を振るった「郷責め」の記録だ。
庄八は、身分社会にいて仏教徒の農民から下に見られるキリシタンでありながらも、組頭に大抜擢されるほど聡明で文筆ができたため、被害者側の貴重な記録が残った。
▽「外道、国賊」と怒鳴って殴る教師
本には、太平洋戦争中の木場田さん自身の悔しい経験も綴られている。高等科時代、教師に「キリスト教を称して外道と言うのだ」「前に出ろ。この国賊が」と怒鳴られ殴られた。生徒も教師に習って「外道、外道」とあざけり、暴力を振るう。屈強な体操教師が英雄豪傑気どりで「外道、国賊、非国民」となじり「外道に気合をいれてやる」と容赦なく殴った。4、5日も頬が腫れ、熱と痛みで食事も十分に摂れなかったという。
当時は、基本的人権の尊重や信教の自由が当然となっている今とは時代が違い、黙って耐えるしかなかった。同級生の信徒8人のうち、弾圧に耐え卒業したのは2人だった。
▽墓場から「世のため、人のために…」

木場田さんの祖先が苦労して開墾した「山ン田」地区。繁敷ダムの建設で集落は解体し、集落跡地は湖底に眠っている=2024年9月、五島市
農業技術の専門家だった木場田さんの文章は、地に足の着いた実務家らしい表現で、過去の迫害を告発するようなトーンではない。木場田さんは、怒りや恨みを書き残したかったわけではないのが感じられる。
本の冒頭に「忘れ去られようとするキリシタン農民の生活と信仰を理解する一助ともなれば幸いである」と書かれた通り、記載の大半は、農民の普段の暮らしや野山の食べ物、着物、さまざまな農具の絵とその解説、信仰習俗、開墾史についてで、自身が受けた理不尽な暴力の記述はごくわずかだ。

ダム建設で取り壊され、山の上に移設された旧繁敷教会。数年前に閉堂した。2024年9月、五島市
戦中、福江島の食糧増産のためにダム建設計画が持ち上がり、木場田さんの先祖が苦難の末、開拓した山ン田集落は、繁敷ダムの底に沈むことになった。教会は取り壊され、集落は解体し、信徒たちは長崎本土や関西や関東、遠くはブラジルなど各地に散り散りとなった。
木場田さんに話が聞ける可能性もあると思い、本に記された長崎県諫早市の木場田さんの住所を訪ねたが、既に空き家のような状態だった。近所の人は、木場田さんは何年も前に亡くなったと話した。
それ以上の消息は分からず、本のあとがきには「幾多の苦難を乗り越えてきた祖先の血がこのダムに蓄えられ、富江町の産業発展に寄与することになったことは、キリストの精神に沿った行為である」「先祖は墓場から『世のため、人のために己を捨てよ』と呼びかけている」と書かれていた。
五島に生き死んでいった多くのキリシタンたちの生きざまが垣間見えた気がした。

新上五島町最北部の江袋集落。仏教徒が住まなかった急斜面の狭い土地を開墾した=2024年5月
▽信徒「誇りと感謝を」「戦後の五島は日本一の楽園」
木場田さんより6歳年下の尾上さんも、約150年前ごろの出来事として、近くの集落から「郷責め」を受けたという先祖の話を聞いている。尾上さん自身も、仏教徒の集落に住む地主に頭を下げて土地を耕させてもらっていた立場の小作農で、収穫の約半分を小作料として地主に納めていた。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)による農地改革で小作農から解放され平等になったが、30年ほど前までは意識の上で差別のようなものを感じていたという。

エメラルドのようにきれいな新上五島町の海=2024年5月、桐教会の近く
尾上さんに、仏教徒による過去の迫害について見解を尋ねた。
尾上さんは「恨むとかではなく、迫害や貧困、小作農に耐えて今に至るまで信仰を守ったことを誇りに思っている。先祖たちはよく頑張ったと思う」と答えた。
ウクライナや中東、米中両国の覇権争いなど今、世界で起きている宗教や民族、政治体制の違いを口実にした戦争や対立についてどう思うか聞いた。

教会建築の父・鉄川与助が施工した五島市の堂崎教会。教会内にはキリシタン資料館がある=2024年9月
尾上さんはしばらく黙った後、こう話した。
「人間の幸せは健康と平和であることだと思う。ここでは、お金があるわけじゃないけど、海と山と畑と田んぼがある。魚を釣って野菜を育てて、人にあげて、また人から頂く。人を恨むのではなく、感謝することが人間の本望だと思う」
「神に感謝している。太平洋戦争中は、この地からも戦争に行き戦死した。戦後の日本は平和だ。日本の中でも五島が一番平和で幸せ。日本一の楽園は、五島だと思う」