鉄道博物館の先にも「歴史」があった 新幹線に沿うニューシャトル

 【汐留鉄道倶楽部】埼玉新都市交通伊奈線、愛称は「ニューシャトル」。大方の鉄道ファンにとっては「大宮から一駅先に、鉄道博物館の最寄り駅があること以外はよく知らない路線」といったところだろうか。昨年12月、17年ぶりに鉄道博物館を訪れた際に初めて乗車した(17年前は大宮から歩いた)。

鉄道博物館の屋上から。新幹線との並走シーンを撮りたかったが、1時間粘ったくらいでは無理だった

 ニューシャトルは、さいたま市の大宮駅から伊奈町の内宿駅までの12・7キロを東北・上越・北陸新幹線の高架軌道の張り出し部分をゴムタイヤで走行する。車両基地のある丸山までは、大宮を出て新幹線を挟んで左側が下り、右側が上りの複線で、丸山から先は左側のみの単線。住宅地を見下ろす車窓は変化に乏しいが、タイミングが合えば爆走する新幹線とすれ違う。乗車した日は好天で富士山がよく見えた。

 開業は1983年12月。同様の「新交通システム」では、以前に当コラムで取り上げた「ユーカリが丘線」(千葉)より1年遅いが、「ゆりかもめ」(東京)より12年早い。ただ当時の新聞の見出しは「見返り線も暫定開業」。いったいどういうことか?

コカ・コーラの瓶の絵に、たばこ・雑貨の文字。どことなく「昭和」を感じさせる内宿駅

 そもそもニューシャトルは、新幹線の分岐点にあって町内が三分される伊奈町への見返りとして建設が決まった。しかし終点の内宿(当時の報道では小針)と、一つ手前の羽貫の間で用地買収が難航、羽貫までの11・6キロでスタートした。乗車前の下調べで、そんな「歴史」の痕跡が残っている場所があることが分かり、さっそく現地に足を運んだ。

 先頭車両から前を注視していると、羽貫を出てすぐに妙な囲いをくぐり抜けた。一瞬のことで知らなければ気づかないかもしれない。内宿で下車し、高架橋に沿って歩いて5、6分戻ると明らかに周囲と雰囲気の違う場所に出くわした。

羽貫―内宿の高架橋上に設置されたシェルター。1両が8メートルの車両2・5両分だったので、長さは約20メートル。このアングルでは小屋が小枝に覆われて見えない

 そこは先ほどの「シェルター」の真下。羽貫へ通じる道路も、フェンスに囲われたその一角だけ通り抜けができない。そこには高架すれすれに、板張りの四角い小屋のようなものが、不安定そうな足場に乗っかっていた。宙に浮いている感じがまるで鳥の巣箱のようだ。

 共同通信の配信記事によると、1990年2月14日、埼玉県がニューシャトルの未開通区間にある地権者の「2階建てプレハブ建物」などを撤去する作業に着手した。前年の12月に同県の収用委員会が、地権者に損失補償をする条件で「列車の高架が通過する土地の永続的な空中使用」を認める裁決をしたのに対し、地権者が拒否したため。地権者は作業を妨害するなど激しく抵抗し、3日後に現行犯逮捕された。別の全国紙の記事では、即日釈放された地権者は再び小屋を建てて反対運動を続けたが、強制排除を認めた裁判所の仮処分決定を受け、3月1日に「小屋ごと大型クレーン車でつり上げられて」排除されたという。

シェルター下の小屋。ウィキペディアには「反対運動に介入した活動家と建築した団結小屋」という内容の記述があるが、当時の新聞記事からは確認できなかった

 「採算性」などを問題にして延伸に反対したとされる地権者に対し、随分と荒っぽいことをしたものだが、同年8月にニューシャトルは全線開通。シェルターは「空中権」の取得を証明するために作られたのは間違いない。細かい網目には、列車への妨害を防ぐ意図も感じられる。一方で、撤去されたはずの「小屋」が今でも存在するのは、地権者が新たに小屋を建てても構わず、所有権の及ばない場所から「空中」に向かって工事を進めたということか。

 35年以上も保存、いや放置されてきた歴史の痕跡。フェンスの周りを歩いていると、文字が書かれたボードが見え隠れしていた。角度を変えながら読むと「ニューシャトル 通過・空中権強制収用 断固反対」。断固反対という文字が太く赤い字で強調されていて生々しかった。

加茂宮―鉄道博物館の上り線で。ビルと新幹線の高架橋が接近しており、ニューシャトルの軌道が高架橋の下に潜り込んでいる

 ☆共同通信・藤戸浩一 鉄道博物館に行ったのは、1975年12月14日に北海道の室蘭本線で国鉄最後のSL旅客列車をけん引した「C57135」に再会するため。その前日、岩見沢第1機関区構内で別のSLの写真を撮っていた時に、翌日の運転に備えて室蘭へ回送されるC57135を遠目に見た。なぜさよなら列車の当日に行かなかったかというと、人が多そうだったから。50年たった今でも後悔している。