ノーベル賞受賞に最も近い日本人の一人、岡武史名誉教授の百折不撓人生

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岡武史博士の94年
3月の最終週に、久しぶりに帰国された天体物理学者の岡武史先生を囲む会が上智大学で開かれました。
岡武史先生の専門である「天体分光学」と私の専門は遠く隔たっていますが、私も末席に連なって参加し、ご挨拶してきました。
ウィキペディアで岡武史先生の項目を見ると、「銀河天文学、天体分光学、天体物理学の分野を専門とする天文学者である。天体化学の先駆者、地球外の三水素陽イオン (H3+) の発見者として知られる。シカゴ大学エンリコ・フェルミ研究所、天文学・天文物理学・化学科のR. A. Milliken Distinguished Service名誉教授」とあります。
実は岡武史先生は、いつノーベル賞をもらってもおかしくない方です。
先生のカナダ時代の指導者・上司であるゲルハルト・ヘルツベルクも、かつての同僚ハロルド・クロトーやロバート・カールも、さらには岡武史先生がシカゴ大学時代に指導したムンジ・バウェンディ(マサチューセッツ工科大学教授)も、ノーベル化学賞を受けています。
岡武史先生だけ、まだ受賞されていません。
理由は簡単で、クロトーやバウェンディは「役に立つ物質」に直結する仕事をしているからです。クロトー、カールと、天文学者であり化学者でもあったリチャード・スモーリーの3氏は「フラーレン」を発見してカーボン・ナノテクノロジーの材料科学に貢献し、バウェンディは量子ドットの安定した合成法を確立してノーベル賞の対象となりました。
これに対して岡武史先生は、そのような先端材料科学を生み出す大元となる分光技術を、宇宙空間に存在する分子やイオンの検出を通じて確立し、さらに天体観測を通じて宇宙の分子進化がどのように実現したかを実証する学問分野をほとんど独力で確立されました。
学問としての情報幾何学を創設し大成させた甘利俊一東京大学名誉教授より、機械学習の実用化に寄与したジェフリー・ヒントン(トロント大学名誉教授)に物理学賞を出してしまうあたりに、ノーベル財団の実利への傾斜、学術的な本質的脆弱さがあると私はみています。
では、岡武史先生はどのようにして、そのような偉大な業績を挙げられたのでしょう?
そこには「教科書に書いてあっても」違和感を感じた問題を見過ごさず、自分自身の頭で考え、根拠を掴み、確信を持ったら、実行完遂するまで信念を貫く「百折不撓」があったからだと思います。

岡武史先生(2026年3月27日、上智大学の講演時に筆者撮影)
大学新入生へ、教科書を信用するな!
岡武史先生が、専門の分光学で最初の大きな業績を挙げられたのは、大学院1年次で専門の教科書に記されたミスに気付いたことがきっかけでした。
1955年、大学院1年生のとき、岡武史先生たち東大理学部化学科「森野研」の院生たちは「マイクロ波分光学」の教科書を読んで勉強していたそうです。
そのときマイクロ波を当てた際に分子の回転がどう変わるか、その「選択律」の記述が「変だな」と、当時23歳の岡青年は気が付いたそうです。
読売新聞のインタビューでは次のように話されています。
「研究室の先輩方には『長年仮定されてきたこと。間違いないはずだ』と言われましたが、僕は数学的な観点から疑問を抱き、その後、分子の振動や回転を具体的に勉強して自分が正しいと確信しました」
23歳の岡青年はどうして、教科書に書かれた仮定が怪しいと数学的な観点から違和感を持たれたのでしょう?
そこには「戦時体制教育」の影と光が深くかかわっていると思います。
岡武史先生は1932年、東京市本郷区で生まれました。父親は東大工学部応用化学科で電気化学の助教授だった岡俊平博士。
1936年、父親の転勤で中国、遼東半島の突端にある旅順に引っ越します。日露戦争の逸話で有名な「203高地」があるのが旅順です。幼い岡武史先生は4歳から17歳までをここで過ごします。
やがて太平洋戦争が始まり、敗戦となりソ連兵がやって来て、岡一家は遼東半島の中心地「大連」に転居を余儀なくされます。
敗戦の1945年、中学1年生だった岡少年は、住み慣れた旅順から荒れた都会の大連に移ります。しかし、学校も何もない。そんな戦後混乱の渦中にあった大連で、岡少年は独りで「数学」と出会います。
読売新聞オンライン「[時代の証言者]天文と化学を結ぶ 岡武史<9>数学者がアイドル」には次のような岡武史先生のコメントが載っています。
「旅順工科大学で父の教え子だった柏原健二さんという方の家へ移りました。このお宅で、藤森良蔵・良夫親子の『学び方、考え方と解き方』という数学書に出会います」
「(中略)藤森親子のシリーズはたぶん大学レベルですが、これを読んだ時はもう、三角関数や微分、順列組み合わせの話がすっと分かった。残りの巻は古本屋で買い足し、最後の複素関数論まで読み切りました」
調べてみるとこの「学び方、考え方と解き方」シリーズは「高等小学校」卒業程度の準備で、微分積分、確率、微分方程式から複素関数論まで、高等数学がすぐに理解できるよう準備された、教程としてみればすばらしい内容の教材でした。

筆者撮影
中学1年次、戦後の混乱で学校も何もない中、避難先で手にしたのがたまたまこの「中学生でも読める高等数学書」だった。
岡少年はそれが面白くて仕方がなく、13歳でのめりこんで複素関数論までマスターしてしまった・・・。そのような背景が、岡少年の破天荒な人生行路を決定づけた可能性があると思います。
でもどうして「高等小学校」なのか?
それは、小学校卒業後「陸軍幼年学校」に進んだ13~15歳の少年たちでも流体力学の一分野である空気力学をマスターしてパイロットになれるように、高度な教育が(半ば民間主導で)準備されていたからでした。
戦時教育と戦後の平和利用
分光学で大活躍する量子力学での「回転」は「球面調和関数」などの複素指数関数が活躍する分野です。そうした数理に経験があると勘が働きます。
13歳で複素関数と仲良しになった岡少年はその後、内地への引き上げから高校大学の大変な時期を経て、10年後の23歳の時に、「マイクロ波分光学」の選択律の頭ごなしの記述に、複素解析の常識を背景として強い違和感を持たれたものと思います。
奮起した岡青年は、実際に計算し、「四重極型」や「八重極型」などの多彩な遷移の世界を開拓される原点となった。
そしてこれを同心円状に拡大するようにして、「H3+」の分子天文学に至る壮大な仕事の環が続いていった。
(編集部注:H3+とは、3個の原子が正三角形状に並んだ宇宙の化学の根源とも言われる重要な分子イオンで、赤外線分光解析などを通してこのイオンを観測し、宇宙の物理的・化学的状態が調べられている)
岡武史先生が親しまれた「藤森良蔵・良夫親子の『学び方、考え方と解き方』」を実際に見てみると、戦後日本の教育が、いかに骨抜きにされたかがよく分かります。
皆さん、中学で「図形問題」を習われたと思います。
「幾何」とも呼びますが、この「平面幾何」を「複素平面」上で展開することで、回転などが容易に取り扱えるようになります。
岡武史先生が出会った教科書たちは、戦前、戦中の「高等小学校卒業」程度、今の中学の途中あたりの子供でも、順に読み進めて行けば、自然に身に付き、実戦の場でパイロットや軍人が進んだ理工学を応用できるよう、入念に工夫されたものでした。

筆者撮影
同時に、戦後の日本でこのような優れた教程が一切教えられなくなった理由もはっきりと分かると思います。
実際、同書の随所で、以下のような記載が目に飛び込んできました。
「大東亜戦争完遂」「東亜新秩序建設」に応える「複素関数論の名著!」

筆者撮影
こんな教育されていたら、連合軍としてはたまったものではないでしょう。複素積分を理解したエリートであるはずのパイロットが、特攻機で米軍艦に向かって突っ込んでくるのです。
米国人の常識では計り知れなかったと思います。いったん出陣すると自爆特攻のような「理解しがたい突撃」を辞さないことに驚愕したことは、文系側では團藤重光先生、理系側では私の父の同級生たち(例えば化学の故・高木四郎先生)など、様々な方から伺いました。
そして、広島長崎の原爆投下後、無条件降伏で日本を占領したGHQが日本の理数教育水準を調べてみると、これに突き当たった。
そうした影響もあって、戦後日本の教育がずたずたになった結果が1947年以降の教育基本法・学校教育法と組みになった「学習指導要領」ではないでしょうか。
戦後の教科書が「骨抜き」になったというのは、大正末年の生まれで英語教師だった私の母から日夜聞かされて育ちましたが、岡武史先生のケースはそれにしても瞠目せざるを得ません。
おかしなことに自然と違和感を持てる人材を
戦時教育で中学1年次にして高度な数学をマスターした岡武史先生が、10年後の大学院1年生で既存の分光学の誤りに気づき、実際に専門に転機をもたらし、半世紀後まで一貫してそれを育まれて天体分光学という新分野を創始。
そのおかげで、現在の量子ドットなどの材料科学も恩恵を受けているわけです。
翻って日本の教育、特に数学や理科の教程が戦後、どのようにお寒い内容に変質したか。今回はそれには触れませんが、読者にお伝えしたいのは、「教科書」を鵜呑みにしてはいけないということです。
そもそも教科書というのは過去の一時点での常識が書いてあり、それを上書きしていくのがイノベーションであり学術の刷新です。
自分の頭で考える若い人を育てることが、AI以降、また特に世界が混乱し始めたイラン戦争以降の時代、人材育成に必須不可欠であることを強調したいと思います。
ネットが日々、量産するゴミ情報を迷わず消去、遮断し、おかしなことに自然と「違和」を感じられる人材が、2030年代以降、いまよりももっと必要とされる時代になるのですから。
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