教員4人が「葬式ごっこ」に加担…それでも「いじめはなかった」と繰り返した教師たちの、エゲツない保身の実態

池上 彰氏 Photo:JIJI

文部科学省は1985年からいじめの調査を行なっているが、そのデータを鵜呑みにはできない。いじめへの関心が低い学校ほど、事件に気づかず「いじめはない」と回答するからだ。いじめ調査の問題点と、隠蔽体質の教育現場に池上彰が切り込む。※本稿は、ジャーナリストの池上 彰『法で裁けない正義の行方』(主婦の友社)の一部を抜粋・編集したものです。

いじめの認知件数は

2024年に過去最多を記録

 いじめ防止対策推進法が施行されたにもかかわらず、2024年度に小・中・高校、特別支援学校などを対象に行われた文部科学省の調査では、いじめの認知件数は過去最多の76万9022件でした。そのうちの約8割が小学校でのいじめとなっています(文部科学省「令和6年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」より)。

同書より転載

 この調査で、学校で一番多いいじめは、「冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことを言われる」で、小学校で行われたいじめの57.5%、中学校で行われたいじめの63.3%を占めることがわかっています。

同書より転載

 さらに別の調査によると、小学校4年生から中学校3年生までの6年間における「仲間はずれ・無視・陰口」といった、暴力を伴わないいじめを常習的に行っている割合(加害経験率)は約36%で、被害経験率は約45%でした。また「ひどくぶつかる・叩く・蹴る」など、暴力を伴ういじめを常習的に行っている割合は7%で、被害経験率は13%でした(国立教育政策研究所生徒指導・進路指導研究センター「いじめ追跡調査2016-2018 いじめQ&A」2021年7月)。

教員も葬式ごっこに加担した

中野富士見中学いじめ自殺事件

 学校におけるいじめは、1980年代前半からマスコミ報道が増えてきて、85年には国会でも取り上げられるようになっていました。

 それが社会問題として広く世の中に注目されるきっかけとなったのは、86年に東京で起きた「中野富士見中学いじめ自殺事件」でした。中学2年生の男子生徒が、同級生たちからの度重なる暴力や言葉によるいじめを苦に、自殺した事件です。私がNHK社会部の記者として文部省(現・文部科学省)を担当していた頃のことで、強く心に残っています。

 この事件で世間を驚かせたのが「葬式ごっこ」といういじめでした。男子生徒が死んだという設定で、同じクラスのほぼ全員の生徒たちが色紙に寄せ書きをし、なんとそこに、中学校の教員4人も寄せ書きをしていたのです。被害者である男子生徒は、「このままじゃ、『生きジゴク』になっちゃうよ」という遺書を残し、父親の実家近くの盛岡市で、首を吊って自殺をしました。

 被害者である男子生徒にしてみれば、いじめから助けてほしい先生までもがいじめに加担したということで、絶望してしまったのでしょう。

 男子生徒が自殺した後、教員らはマスメディアからの取材や裁判の場において、「いじめはなかった」という主張を繰り返し、保身を図りました。このような実態がマスメディアで大きく報道され、世間の関心を集めます。この事件の裁判では、「学校という場で起きたいじめを教師が止めなかった場合、違法となる」と認定されました。

 文部省は、85年にいじめの「緊急調査」を行い、以後86年からは毎年、学校からのいじめ発生件数の報告に関する調査を行っています。しかし、85年度は7カ月間で15万5000件だったいじめが、86年度は1年間で5万3000件、87年度は3万5000件と、急速に収束したような数値となっていました。

同書より転載

 いじめが国会や報道で話題になっていた時期は発生件数が増えていて、報道などが沈静化すると、なぜかいじめの発生件数も減ってしまったというわけです。

発生件数が減ったからといって

いじめが少なくなったわけではない

 この調査では、いじめへの関心が低い、対策をきちんとしていないというところほど、いじめに気付けず「いじめはない」と回答し、実際に起きているいじめが見過ごされてしまったと思われます。

 むしろ、いじめ対策をきちんとしていて、いじめに気付くことができたところほど「いじめはある」と回答できるのです。特にこの頃は、いじめに対する教育現場の意識にまだまだ温度差があり、それがこうした調査結果に表れていると読み取るべきでしょう。

 なお2006年に、いじめの「発生件数」は「認知件数」と呼ぶように改められました。「いじめはそもそも第三者の目には見えにくく、すべてを発見することは不可能だから、教員が認知した件数は発生件数の一部に過ぎない」という理由からです。そして積極的に認知しようと教育現場が取り組んだ結果、現在は約77万件のいじめが認知されているというわけです。

 毎年調査結果が公表されるたびに、「いじめの認知件数が多い地域」は酷い地域だ、と誤解を招くジレンマが起きていますが、むしろ「いじめ対策をしてくれているからこそいじめを発見できるんだ、いい地域だ」と捉えるべきなのです。

 そして逆に認知件数が少ない場合は、「ああ良かった」と捉えるのではなく、「教員がいじめを見逃したり、見過ごしたりしているのではないか?」と考えるべきでしょう。

 また現在では、認知件数の多寡にかかわらず解消率を上げよう、という考え方に変わっています。

役人体質の教育委員会が

いじめの事実を隠蔽する

 学校や教育委員会が、いじめが起きたときに隠蔽しようとするのは、なぜでしょうか。

 結局隠蔽しようとする人たちは“役人”で、自己の保身に走ろうとするからです。

 学校現場で子どもと接している先生の中には、子どもたちを愛していて、子どものためにと考えて行動する人たちがたくさんいます。しかし教育委員会となると、突然“役人”になるのです。教育委員会の職員は、その役所の中の人事異動でたまたま教育委員会に来ただけの公務員が多く、「今問題が起きると自分の出世が止まってしまう。大過なく過ごすことができればそれでいい」と考えてしまいがちです。

 教育委員会の職員を、ずっと教育に携わる専門職として扱い、教育委員会の中で子どもたちのために尽くして働くことで出世ができたり誇りを持てたりするような仕組みを作ったりするだけでも、違ってくるのではないかと思います。

 これは学校長も同様でしょう。校長職は、その後出世して教育委員会に入るタイプや、あるいは出世した結果、定年退職直前に地域の名門校の校長になるタイプがあります。名門校の校長になると「ついにここまで来た」という達成感もあるでしょうし、その後の再就職先にも恵まれたりするわけです。

 そのため、いじめなどの問題が自分の学校で起きてしまうと「ばれないように隠蔽しよう」という発想が頭をもたげがちなのです。

教師の出世欲が

目を曇らせてしまう

『 法で裁けない正義の行方 』(池上 彰、主婦の友社)

 いじめを見つけたら、先生や校長、教育委員会の人が出世する、くらいの仕組みがあればいいでしょうか。しかしそうなれば、生徒間でいじめだという認識がなかったのに「これはいじめだ、いじめだ」と騒いでいじめをでっちあげる先生が出てこないとも限らないので、やはり難しいでしょう。

 ちなみに以前の学校には、校長、副校長、そして教諭しかいませんでした。しかし一部の地方公共団体では、「主幹教諭」などの役職を置いているところがありました。07年に改正された学校教育法により、自治体ごとに任意で、「主幹教諭」や「指導教諭」といった役職が設置できるようになりました。

 東京都を例にとると、03年度から「主幹教諭」が導入され、09年度から「主任教諭」が設けられています。主任教諭が設けられる前は、学校内の先生たちの85%が教諭でしたが、23年度時点では、主任教諭が37.4%、教諭が45.9%と、教員(全体)のうちの4割の人が主任教諭になりました。

同書より転載

 主幹教諭や主任教諭になると、出世するわけですから、給料も上がります。すると「頑張って出世したい」と先生同士の競争が出てきます。

 教諭として全員同等の立場で、子どもたちのことだけを考えていればよかった以前と比べて、出世競争にも意識やエネルギーが割かれるというのは、良くない状況だと私は思います。教諭の中での階級は作らず、先生の給料は一律にもっと引き上げるべきでしょう。