習近平主席に捨てられ、急死した李克強前首相が『人民日報』で復権のナゾ

『人民日報』に起きた「異変」

中国は、共産党の事実上の一党独裁国家であり、共産党政権の「イイタイコト」は、主に中国共産党中央委員会機関紙の『人民日報』を通して展開していく。そのため、世界中の「中国ウォッチャー」たちは日々、目を皿のようにして、『人民日報』を熟読している。

『人民日報』は、新中国建国前の1948年6月創刊。それ以降、長年にわたってそうした習慣は、基本的に変わっていない。変わったのは読者の方で、いまどき『人民日報』を愛読している中国人など、希少動物に等しい。

そのため、「人民の新聞」という意味の『人民日報』は、名称からして形骸化している。もっとも、この10年ほどは習近平総書記に関する報道が中心なので、「習近平日報」と揶揄(やゆ)されてもいるが。

『人民日報』に起きた「異変」, ファーウェイ創業者も1面に登場, 「ハチの一刺し」がXで拡散, 68歳で上海のプールにて急死, 李克強前首相を称える長文記事, 「共青団のホープ」として飛躍, 次期トップ争いで敗北, 「共産党の集団指導を堅持した」, 「異変」が起きた二つの要因

李克強前首相とその生涯を称えた『人民日報』

そんな『人民日報』に最近、「異変」が起こっている。今月3日付紙面の6面に、突如として故・李克強前首相に関する長文の記事が掲載されたのだ。タイトルは、「党と人民の事業に終生奮闘――李克強同志の生誕70周年を記念する」。

全体は、前文と5項目に分かれている。まず前文は、以下の通りである。

「2025年7月3日は、李克強同志の生誕70周年である。李克強同志は、中国共産党の優秀な党員であり、思慮深く忠誠心ある共産主義の戦士であり、傑出した無産階級の革命家・政治家であり、共産党と国家の卓越した指導者である。

李克強同志の共産主義に対する崇高な理想は、確固として揺るがず、共産党と人民に対して無限の忠誠を持ち、共産党と国家の事業の貢献に生涯精進し、多大な貢献を果たした」

このように、李克強前首相の存在とその功績を、大きく持ち上げているのだ。

ファーウェイ創業者も1面に登場

前首相の功績を持ち上げることが、なぜ「異変」なのか? それを、「もう一つの異変」と絡めて述べたい。

先月10日付の1面に、これまで決して出ることがなかった一民営企業のトップ(ファーウェイの創業者・任正非CEO)のインタビューが掲載された。この「異変」については、先月のこのコラムでお伝えした通りだ。

「開放を加速せよ!」――ファーウェイ任正非CEOが33年前の鄧小平に代わって「南巡講話」

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6月10日付『人民日報』と任正非ファーウェイCEO

2013年3月に正式に自らの政権を発足させた習近平主席は、これまで長く明らかに、民営企業を「軽視」してきた。逆に「重視」してきたのは国有企業で、民営企業は国有企業という大きな傘の下に入って、その下請け、サポート役をすればよいという意識だった。

こうした考え方を巡って、長く李克強首相(首相在位は2013年3月~2023年3月)と確執があった。李首相は、「小さな政府」「国有企業の市場化と一視同仁(民営企業との平等)」「民営企業中心の経済発展」を志向していた。「習近平総書記=共産党の息のかかった国有企業の庇護者」、「李克強首相=市場を向いている民営企業の支援者」というイメージだった。

現実は、習近平総書記が李克強首相を、完全に押さえ込んでいた。中国の政治用語で言うところの「南高北低」である。「南」は、北京の最高幹部たちの職住地がある「中南海」の南側に建つ共産党中央弁公庁(習近平総書記のオフィス)、「北」は北側に建つ国務院弁公庁を指す。

そのため、社会主義を標榜する中国は、相変わらず国有企業を中心に回っていた。そして中国経済は、2013年に習近平政権が発足して以降、ずっと右肩下がりで低迷し続けた。

「ハチの一刺し」がXで拡散

そんな中、李克強首相は退任時に、乾坤一擲のパフォーマンスを見せた。いわば「ハチの一刺し」である。

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2023年3月11日、李克強前首相は習近平主席と目も合わせずに人民大会堂を去った

2023年3月5日、李克強首相は、10回目にして最後となった全国人民代表大会の政府活動報告のスピーチを終えると、2期10年の首相の役割を終えた。

その翌日昼、国務院弁公庁前広場に、約800人の職員を集めて、「別れの挨拶」を行った。その時のわずか44秒の映像が、「X」で世界に拡散したのだ。

広場中央でマイクの前に立った李前首相は、周囲をぐるりと囲んだ職員たちに向かって、手振りを交えながら、熱っぽく述べた。

「人々はいつも言う。人は行いをなし、天はそれを見ていると。この蒼天には眼がついているのだ(周囲がどっと笑い、李前首相ももらい笑いする)。

国務院職員の皆さんたちは、何年にもわたって、苦労をしながら地道にしっかりと、特別な貢献をしてくれた。あなたたちは褒章されてしかるべきだ。

おっ、ちょっと見たまえ。この風だよ(周囲が再びどっと笑い、李前首相も笑う)。

早くも風が吹き始めたぞ!(三たび周囲がどっと笑い、李前首相は拍手して挨拶を終えた)」

私はこの映像を見て、李克強前首相の「習近平への怨み」はここまで深かったのかと、再認識した。「お前(習近平主席)がこの世で蛮行を行っても、天は必ず見ていて罰を下すからな」と警告しているようなものだからだ。

68歳で上海のプールにて急死

さらにそれから5日後の3月11日、全国人民代表大会が開かれていた人民大会堂で、李強党常務委員(党内序列2位)が、新首相に選出された。習近平主席が、隣席の李克強前首相に握手を求め、二人は壇上で握手した。会場を埋めた2947人の全国人民代表大会代表者たちは、大きな拍手を送った。

ところが、当の李克強前首相は、習近平主席のことを「ガン無視」したのである。習主席と一度も目線を合わせることはなく、正面の代表者たちの方を向いたままだった。その姿はまるで、「自分は習近平ではなく国民を見ているのだ」と主張しているかのようだった。

その李克強前首相は、退任してわずか7ヵ月あまり経った2023年10月27日、訪問先の上海のホテルのプールで、水泳中に心臓発作を起こし、急死してしまった。享年68。

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李克強前首相の葬儀での習近平主席と程虹夫人

この時も、「中国ウォッチャー」として見逃せないことが二つあった。一つは、その日のCCTV(中国中央広播電視総台)のトップニュースが、李前首相の急死ではなかったことだ。李前首相の死去は、特に隠すこともなく、新華社通信が早々に発表していたにもかかわらずだ。

この日、習近平主席は、何事もなかったかのように、「中南海」で党中央政治局会議(トップ24が全員集合する会議)を招集。「中華民族の共同体意識を高め、新時代の党の民族活動をハイレベルに発展させるための第9回集団学習会」を開催した。テレビニュースはその「意義深い会議」の模様を延々と伝え、李克強前首相の死去は意図的に、「価値」を下げたのである。

もう一つは、11月2日に革命烈士が眠る北京西郊の八宝山で葬儀が行われた際、さすがにCCTVも、幹部全員が列席した葬儀の模様を中継した。習近平主席は最前列で遺体にお辞儀をし、寡婦となった程虹夫人に歩み寄って、何か声をかけた。

すると程夫人が、厳しい表情で習主席とは言葉も交わさず、後ろの参列者たちの方を見たのである。その後、続く他の参列者たちとは、普通に会話を交わしていた。

李克強前首相を称える長文記事

こうしたことから、中国国内と世界で、「李克強暗殺説」が飛び交った。だが私は、いまでも自然死だったと思っている。現役の「抵抗勢力」ならまだしも、すでに引退して、一切の権力を手放した幹部を粛清する理由はないからだ。

ただ、その後「李克強前首相」に触れることは、タブーのようになった。国務院(中央官庁)は、一字違いの名前の李強首相が引き継いでおり、こちらは習主席の「忠臣」だけに、習主席との確執もなかった。

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2022年5月、共青団創立100周年式典での習近平主席と李克強首相(右隣)

そんな中で、今月3日、降って沸いたように『人民日報』に、李克強前首相に関する長文の記事が掲載されたのだ。タイトルは前述のように、「党と人民の事業に終生奮闘――李克強同志の生誕70周年を記念する」。

これも前述のように、前文で李前首相の「功績」を、大きく持ち上げた。続く本文は5項目に分かれているので、順に見ていこう。

第一は「共青団活動を推進尽力し、共産党と国家の活動の大局に服務した」。その生誕から青年時代を追っている。

<李克強同志は、安徽省定遠の人で、1955年7月3日、安徽省の(省都)合肥に生まれた。1962年9月から1974年3月まで、合肥市の南門小学、第八中学で学び、1973年12月に中国共産主義青年団(共青団=共産党の青年組織)に加入した。

李克強同志は青少年時代から、共産党と祖国、人民を愛し、刻苦奮闘して進歩を求めた。1974年3月から安徽省鳳陽県大廟公社東陵大隊(農村の人民公社)に入り、1976年5月に中国共産党に加入。1976年11月から1978年3月まで、大隊の党支部書記を務めた。

1978年3月から1982年2月まで、北京大学法学部で学び、学生会長も務めた。1982年2月から、北京大学共青団委員会書記、共青団中央常務委員などを務め、1993年3月から共青団中央書記処第一書記兼中国青年政治学院長、第8期全国人民代表大会常務委員会委員(選別された国会議員)を務めた。(以下略)>

「共青団のホープ」として飛躍

たびたび出てくる「共青団」は、14歳から28歳までのエリート青年が入る共産党の青年組織で、昨年末時点で7531万8000人の団員と、439万7000ヵ所の支部組織を持っている。

中国は伝統的に、有力幹部の子弟と、「科挙」(官吏登用試験)に合格した秀才という二つの異なるグループが、皇帝を支えた。現在で言えば、前者が習近平主席と代表とする「太子党」(習主席の父親は習仲勲元副首相)であり、後者が李克強前首相を代表とする「共青団」なのである。

そのため、習主席はあからさまに、共青団を「習近平の共青団」に組み替えようとした。その過程で、共青団の権威を貶めた。2022年の第19回党大会で、「共青団のホープ」と言われた李前首相の弟分・胡春華前副首相を「失脚」させたのは、象徴的な事例だった。

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2005年、遼寧省委書記時代の李克強氏は「若きホープ」だった

『人民日報』に戻り、第二は「中原の発展と東北の旧工業基地の振興の推進に尽力」。李前首相の地方勤務時代の「評価」だ。

<1998年6月から、李克強同志は河南省委副書記、省長代理、省長、省委書記(省トップ)、省人民代表大会常務委員会主任を歴任し、その間に黄河の防水指揮部総指揮を兼任した。李同志はわが国の経済発展を東方から西方へと段階的に鋭敏に推進し、世界的な産業をわが国の沿海部から内陸部に転移、伸長させた。(中略)

2004年12月から、李克強同志は遼寧省委書記と省人民代表大会主任を歴任した。李同志は東北振興と沿岸部の開放という二つの機会をうまく利用し、国有企業改革の進化に着手し、「五点一線」(大連長興経済技術開発区・営口沿岸産業基地・遼西錦州湾沿海経済区・丹東臨港産業園区・大連花園経済区の一体化)の沿岸経済ベルトを構築し、臨港工業と沿海経済を大いに発展させた。(以下略)>

李克強前首相の地方勤務は、内陸部の河南省と沿岸部の遼寧省で、「兄貴分」の胡錦濤副主席、後に主席がしっかりフォローしていたため、おおむね順風満帆と言えた。

次期トップ争いで敗北

第三は首相への準備期間だ。筆頭副首相にはなったものの、習近平国家副主席が共産党序列6位で、李筆頭副首相が序列7位。同世代(習氏の方が2歳上)のライバルである「太子党」の習近平氏に、「ポスト胡錦濤」の座を巡る争いで、決定的な差をつけられてしまった。

<2007年10月、李克強同志は第17回中国共産党大会で中央政治局委員、常務委員に当選した。2008年3月、李克強同志は国務院副総理(筆頭副首相)、党組副書記となり、国務院常務委員会の活動の責任を負った。発展改革、財政、国土資源、環境保護、建設、衛生方面の活動を担当した。その間、国務院三峡ダム工事建設委員会主任、国務院南水北調工事建設委員会主任、国務院医薬衛生体制改革深化指導小グループ長、国務院食品安全委員会主任などを兼任した。

2008年に国際金融危機(リーマンショック)が発生した後は、共産党中央として一連の重大な決定を発出し、差配した。李克強同志は共産党中央の決定と差配をしっかりと貫徹し、積極財政政策と適度に緩和した通貨政策を積極的に実行した。内需の拡大をもって成長の持続を根本的な道のりとし、最適化された構造の基礎の上に、投資を比較的急速に増やし、大きな消費の需要と民生の改善という有機的結合を拡大した。積極的に対応し、共に一時的な困難を克服し、経済の安定した比較的快速の発展を促進した。(以下略)>

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2013年3月、習近平主席・李克強首相の新政権が始動した

李克強氏は、2012年11月の第19回共産党大会で序列2位の常務委員となり、翌2013年3月に首相に就任した。続く第四は、首相時代である。この項は非常に長文だが簡約する。

<2012年11月、李克強同志は第18回共産党大会で中央政治局委員、常務委員に当選した。2013年3月の全国人民代表大会で、国務院総理(首相)となり、同月から国務院の党組書記となった。(中略)

対外開放の基本的な国策を堅持し、上海などの省や市に自由貿易試験区を設立し、「一帯一路」建設をしっかり推進し、開放型の経済レベルを顕著に引き上げた。(中略)国民が満足する法治政府、イノベーション政府、清廉政府、及びサービス型政府の建設に努力した。

2017年10月、李克強同志は第19回共産党大会で再度、中央政治局委員、常務委員に当選。2018年3月の全国人民代表大会で再度、国務院総理及び国務院党組書記に任命された。イノベーションを駆動した発展戦略を深く実施し、産業構造の最適化アップを推進し、イノベーションと緊密に結びついた実体経済の発展レベルを引き上げた。デジタル経済と実体経済の深い融合を促進し、新たな効能を不断に大きく育て上げて発展させ、外部の圧力や抑制に有効的に対応した。(中略)

李克強同志は、政府の職能転換や行政体制改革を持続的に推進し、法による行政をしっかり推進し、行政の機能効率を引き上げた。政府の公的発信力や執行能力を増強し、市場化、法治化、国際化の営業ビジネス環境を打ち立てるよう着手した。(中略)また科学技術体制改革を積極的に推進深化させ、科学研究項目と経費の管理制度を改革し、科学研究組織と科学研究スタッフにさらに大きな自主権を付与した。市場化機構を通した企業のイノベーションを奨励し、科学技術のイノベーションが牽引する役割を有効に増強した。

李克強同氏は、対外的な開放政策を決然と貫徹し、さらに積極的で主動的な開放戦略を実行した。さらに大きな範囲、広い領域、深い次元での対外開放を実施し、国際的なハイレベルの経済貿易規則に主動的に向き合い、ハイレベルの自由貿易試験区の建設に努力した。貿易と投資の自由化と利便化を促進し、互利共勝の国際経済貿易協力関係を深化させ、ハイレベルな開放でもってさらなる力強い改革と発展を促した。(以下略)>

「共産党の集団指導を堅持した」

こうした内容は、「李克強首相はいいことをしたものだ」と回想するのと同時に、当然ながら、「李克強首相亡き後の習近平政権は一体何をやっているのだ」という批判を内包している。

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深圳のテンセント本社前でIT企業家たちに囲まれる李克強首相

最後の第五は、「共産党員としての政治の本色と高尚な道徳的情緒を終始保持した」。李前首相の生涯の総括である。

<李克強同志の一生は、革命の一生、奮闘の一生、光輝な一生、そして全身全霊で人民に服務した一生であり、共産主義の事業に献身した一生だった。(中略)

李克強同志は民主集中制の原則を堅持し、共産党の集団指導を堅持し、民衆と親密に関わり、異なる意見にもよく耳を傾け、各方面で積極的に調整能力を発揮した。各クラスの政府及び公務員は科学的・民主的・法治的な政策決定を堅持し、各方面の意見を批判的なものも含めて広範に聞くようにと言っていた。(中略)

李克強同志は光明磊落、仕事熱心、そして苦労をいとわない人だった。人民の公僕として職責を履行し、徳のある清廉な政治を行ったのだ。(以下略)>

「異変」が起きた二つの要因

「共産党の集団指導」などという記述は、いまの「習近平一強体制」への強烈なアンチテーゼである。このように、全体を通して巧妙な「習近平批判」を示唆する内容になっているのだ。

そして、このような「記事」が、「習近平日報」と揶揄される『人民日報』に掲載されたことが「異変」なのである。

なぜ「異変」が起きているのか? 考えられることは2点しかない。

一つは、何らかの理由(報じられている健康問題など)で、習近平主席の権力が低下してきていること。もう一つは、「団派」を中心とした「反習近平的様相を呈しているグループ」が復権してきていることだ。その背景には、長期低迷が続く中国経済に対する14億中国人の「苛立ち」がある。

先々週のこのコラムでお伝えした、習近平主席より10歳若い胡春華氏の復権も、その流れである。

習近平が3年前に貶めた男――胡春華がむくむくと復権中!

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「習近平が恐れた男」胡春華前副首相も復権を果たしつつある

今後の注目点は、7月末に予定される党中央政治局会議、そして8月上旬の「北戴河会議」である。

特に、「北戴河会議」は、存命中の長老(引退した元幹部)も勢揃いするので、習近平主席への「吊し上げの場」になることは間違いない。習主席はこの頃、国内外の重要行事への「欠席」が目立つが、もしも「北戴河会議」も欠席したら、それはそれで「事件」である。

中国の政界から目が離せない夏になってきた――。

今週の新刊図書

中華料理と日本人

岩間一弘著

中公新書

1060円+税

私は著者(慶応大学文学部教授)とは一面識もないが、前作の『中華料理の世界史』は面白く読んだ。かつ昨年『進撃のガチ中華』(講談社刊)を上梓したので、「中華料理」≒「中国文化の真髄」であることも理解している。本書ではまず、東京で中華料理が流行したのは、関東大震災後の焼け野原が発端だったという。100年後の新型コロナウイルス後のガチ中華と同じではないか! そして、肉まん、ジンギスカン鍋、餃子、ウーロン茶、シュウマイ、ラーメン、麻婆豆腐……と、「定着の由来史」が続く。知っていること1割、知らなかったこと9割で、目から鱗の連続。お行儀悪いが、それらを頬張りながら読み耽りたい一冊だ。