イスラム教の教えに反する思想は全て”悪”…無実の「スパイ容疑」で逮捕された女性に対するイラン政府の「奇妙な要求」
悪臭と恐怖に満ちたイランのエヴィーン刑務所。イランの首都テヘラン北部に位置し、主に政治犯・思想犯が収容される。そこで繰り返されるのは、看守による鞭打ち、性的虐待、そして囚人の昼夜の感覚を奪う「白い拷問」。囚人の中には、思想犯・政治犯として不実の罪で逮捕された女性たちも多い。
13回の逮捕と5回の有罪判決にも屈せずに「自由」を目指し闘い続け、獄中でノーベル平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディによって明かされる、その非人道的な所業の実態とは…。
全世界で出版されている禁断のノンフィクション『白い拷問』(翻訳:星 薫子)より、一部抜粋・再編集してお届けする。
『白い拷問』連載第6回
『「恐怖が血管を駆け巡る」…「国家治安を乱す陰謀を唱えた」罪で起訴されたイラン人女性が告白する「トラウマになった音」』より続く。
独房にひとり
2日に1回、外気に触れる日があった。中庭を2分だけ、コートとヒジャブ、そしてスリッパ姿で歩くことを許されていた。中庭は寒々としていて、高い壁に囲まれ、天井には鉄格子があり、花や木は1本もない。
シャワーは1日おきだった。トイレに行く回数は許される上限が決まっていた。もしそれ以上の回数、合図してトイレに行きたいと訴えると、看守に脅された。看守は囚人とは言葉を交わさないように、挨拶さえしないように徹底していた。囚人が人間的なやり取りをすべて奪い去られ、独房に閉じ込められていることは、ごく当たり前なのだという様子だった。
ある晩寝ているとき、記憶と寸分違わぬ、キアナの可愛い唇が頬に触れたのを感じた。温かさも感覚も、あまりにリアルだった。キアナが私をのぞきこんでいる。生々しくて、いまでも夢だったとは思っていない。キアナは確かに、独房の私の隣にいた。両手を広げて娘を抱き寄せようとすると、その手が空を掻いた。はっと目を開け、娘を逃すまいと腕を伸ばした。すると私は独房にひとりだった。そこにキアナはいなかった。その晩はひどく泣き続けた。あの日の涙を一生忘れることはない。

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また別の日、オレンジを与えられた。私は1日に1房ずつ大事に食べて、なるべく長持ちさせた。皮は取っておいて地球の形のオブジェにした。キアナという言葉には、魂と自然の本質、という意味がある。そしてこのオレンジこそ私の命の核だった。私はその周りを歩き、まだ術後の回復途中にあるキアナのために祈った。尋問の最中、アリとキアナに会いたいとたびたび訴えたが、尋問官にはまるで響いていないようだった。
「マスターが来た」
ある日、エレベーターに乗せられ、2階下に連れて行かれた。尋問官が「マスターが来た」と言う。私はビデオカメラとプロジェクターのある部屋に入れられ、虚を衝かれた。背の高い中年男性がスーツ姿で立っていた。もし外で会っても尋問官とは決して分からないであろう人物だったが、「マスター」だということは伝わってきた。表情が氷のように冷たく、微動だにしない。
私が、子どもがまだ幼く自分は母親なのだと訴えると、彼は「ガザで苦しんでいるのも母親ではないかね?」と言ったのだ。この言葉は彼がどういう人物なのか表していたので、この人は話が通じないということがよく分かった。
彼はバザルガン(メフディ・バザルガン、1979年イラン革命後の初代首相。アメリカ大使館人質事件に抗議して就任の年に辞任)やサハビ(エザトラ・サハビ、イラン人政治家、ジャーナリスト、そして反体制を掲げるイラン愛国宗教運動の指導者)のような人物や知識層による運動はすべて不信心で非イスラム的だと、まくしたてた。
私が部屋から出たときには全身のエネルギーをすっかり奪われていて、歩けないかと思ったほどだった。そして、尋問官のなかには囚人の気力を奪い去り、心理的に追い詰める訓練を受けた者がいる、と聞いたことを思い出していた。

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尋問官は私の人権擁護者センター、国家平和評議会、投票保護委員会での活動、あるいは未成年の死刑に対する反対運動には触れなかった。本当はこれらの活動こそが「国家の安全を脅かす運動」であったはずなのに。
尋問では、私が「反体制的なプロパガンダをした」点については疑念を挟む余地がなかった。尋問初日の夜から、彼らは根拠のない仮説を並べ立て、最後までその調子だった。その仮説とは、人権擁護者センターがミズ・エバディ(イラン初の女性裁判官、イラン初の人権機関「人権擁護者センター」の設立者。2003年ノーベル平和賞を受賞)を通じて西側諸国の諜報機関によって設立され、私たちも西側のスパイだというものだった。それを裏付ける書面などの証拠は一切ない。
奇妙な要求
彼らの要求は奇妙だった。事前調査の類いは全くなかった。ある日、尋問の最中に、人権擁護者センターの解体を書面で宣言するようにと言われ、私は拒否した。すると彼らは別の要求を出してきた。私に人権擁護者センターの副代表を辞任しろと言うのだ。段取りまで決めていた。
「ソルタニとセイフザデ、それにダドカー(アブドラファタ・ソルタニ、モハマド・セイフザデ、セイド・モハンマディ、アリ・ダドカーは人権擁護者センターの共同設立者)を来させる」と尋問官は言う。「彼らの前で、お前は人権擁護者センターの副代表ではなくなった、と言えば良いだけだ」。私はもちろんこれにも従わなかった。

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また別の日には、私たち(人権擁護者センター)がミズ・エバディに協力することをやめたと、公的に宣言するよう迫られた。その年の少し前、シュラワルディで尋問されたときも、ミズ・エバディとの共闘をやめろとしつこく責められていた。もし彼らに協力すれば、諜報治安省は多大な便宜を図るそうだ。私たちにオフィス設備を与え、海外渡航の許可を出す、また外国人とともに人権についてのセミナーやミーティングに参加したり、そういう会を主催したりすることも許されるようになる、と言われた。私は突っぱねた。
翻訳:星 薫子
『途切れることのない尋問官からの罵倒の嵐…イランの刑務所で行われている「非人道的な取調べ」の実態』へ続く。