雅子さまと美智子さま、二人のプリンセスを育てた名門・雙葉学園の教えとは?

雅子さまと美智子さま、二人のプリンセスを育てた名門・雙葉学園の教えとは?

マクロン大統領、ブリジット夫人と会談された天皇皇后両陛下。写真/宮内庁提供

2019年6月27日、皇室ではフランスのマクロン大統領夫妻をお迎えして昼食会が開かれました。その日の雅子さまは、ライトブルーのスーツに身を包み、夏の暑さを感じさせない涼しげな装い。さらに目を引いたのは、天皇陛下のネクタイが雅子さまのスーツとお揃いの色だったことです。お二人そろってのライトブルーが映え、とても爽やかな印象でした。

お揃いコーデといえば、かつて美智子さまも、上皇陛下とお揃いの色遣いのファッションをよく楽しまれていらっしゃいました。

「雅子さまと美智子さまのお揃い」は、ファッションの他にも! 実はお二人とも、雙葉学園をご卒業されているのです。あまり知られていないこのご縁について、今日は少しお話いたしましょう。

 

2歳から8歳までを海外で過ごした雅子さま

外交官である父の本省勤務に伴って、2年10カ月のニューヨーク生活を終えて帰国した雅子さん一家。モスクワ時代と合わせると、6年近い海外生活でした。

「三つ子の魂百まで」といいますが、2歳から8歳という、雅子さんの人格形成にとってもっとも重要な時期に雅子さんは海外生活をしていたのです。

雅子さま5歳。双子の妹たちとニューヨーク郊外をドライブ。写真/宮内庁提供

その間、家庭では純日本式の生活をし、昼間はいわゆる日本人学校ではなく、その土地の公立学校に通って現地の子どもたちと対等に過ごしていました。そのことが、その後の雅子さんの人生観や考え方に大きな影響をもたらしたのでしょう。

東京に帰ってきた雅子さん一家は、新宿区にある外務省官舎に住むようになります。雅子さんは区立富久小学校2年に編入しました。

母の優美子さんは、いずれ日本での生活に慣れてきたら、雅子さんを田園調布雙(ふた)葉(ば)学園に編入させたいと考えていました。田園調布雙葉学園は、母の優美子さんの出身校でもあったのです。

田園調布雙葉学園入学を目指す

そのころ、友人の一人から、

「雅子ちゃんは、インターナショナルな学校に入学させた方がいい」

と言われたときに、優美子さんはこう答えています。

「まず日本人でなくてはいけないと思うの。日本の歴史や文化を理解したうえで国際的なことが身につくならいいけれど、根なし草のような中途半端な日本人ができあがったら困ります。だから、雙葉にお願いしたいのよ」

雅子さま7歳。双子の妹たちとブランコに。軽井沢のホテルにて。写真/宮内庁提供

とはいえ、名門私立学校の編入試験は非常に難しいもの。そこで、優美子さんはつてを頼って、編入試験を受けるために和田育子先生のレッスンに通わせることにしました。

和田先生は、戦前から終戦の年の秋までの7年半、東京・四谷の雙葉付属幼稚園に勤務していました。その後、自分の子育てがひと段落してから、雙葉学園への入学を希望する子どもたちの指導を行っていたのです。

 

和田先生は、かつて幼いころの美智子さまも教えたことがありました。美智子さまは幼稚園から小学校までを雙葉学園で学ばれました。幼稚園で美智子さまを教えていたのが、和田先生です。

和田先生は、美智子さまの幼いころの様子をこう語ってくれました。

「美智子さまは協調性があって、お友だちと仲よく遊んでいらっしゃいました。お髪がくるくるカールしたお子さまで、幼稚園でございますから特別な授業はございませんでしたが、折り紙、お絵描き、なんでも上手になさいました」

なんと、戦後の二人のプリンセスが和田先生のもとから誕生したのです。和田先生ご自身も、雅子さんが皇太子妃に決定したというニュースに接したとき、不思議なご縁に感慨深かったといいます。

美智子さまも教えた先生から個人レッスンを受ける

昭和46年(1971年)に、和田先生は小和田雅子さんと出会うことになります。

「私のところは、田園調布雙葉を受ける人は少なかったのですが、お母さまの優美子さんがどこからか私のことをお聞きになって、『ぜひ娘を教えてほしい』と頼んでこられたのです」

こうして、丸顔でおかっぱの女の子が週1回、母親に連れられて、和田先生のところに勉強に来るようになりました。8畳の和室で、和田先生と机を挟んだマンツーマンの個人レッスンです。

目上の人を尊重する、感謝の気持ちを持つ、人の気持ちになって考える、人のために何かをする……そんなことが学びの基本でした。

あるとき、学校の社会科の時間に、乗り物で働く人たちについての授業がありました。そこで和田先生は、雅子さんを連れて東京駅に見学に行ったのです。駅員の仕事、運転手の発車の合図、新幹線から小荷物室、寝台車に乗り込んでベッドを見せたりもしています。

「あまりおしゃべりしない無口なお嬢ちゃまでした。でも、人の話はよくお聞きになって、申し上げることはどんどん積極的になさっていました。アメリカから帰国されたばかりだというのに、書き順も含めて漢字がしっかり書けるので、『ご家庭できちんと勉強させているなぁ』という印象を持ちました」

と和田先生はおっしゃいます。

やがて、ほぼ一年近い個人レッスンが実を結び、昭和47年(1972年)4月、8歳の雅子さんは田園調布雙葉小学校に編入することになりました。

では、雅子さんが通った田園調布雙葉学園とは、どのような校風なのでしょうか。

 

名門私立雙葉学園の校風とは

中学1年の夏、家族で白馬岳に登山。写真/宮内庁提供

雙葉学園は、現在でも屈指のお嬢さま校として知られています。カトリック系サン・モール修道会のミッション・スクールで、現在では「幼きイエスの会」の系列に入っています。東京・四谷にある雙葉学園が本家にあたり、田園調布雙葉、横浜雙葉、静岡雙葉、福岡雙葉も系列です。

雅子さまが通った田園調布雙葉学園は、昭和16年(1941年)に小学校、昭和27年(1952年)までに幼稚園、中学校、高校が設立され、現在の形に至っています。

「徳においては純真に、義務においては堅実に」

が、全国の雙葉系列校共通の校訓です。

かつて、雙葉学園のシスターは、今より厳格で、服装も顔のほかはどこも出さないカトリックの典型的な修道女スタイルでした。

学校の勉強を指導するシスターをマザーと呼び、給食を作るシスターをスールと呼ぶなど、フランスのパリに修道会の本部がある学校ならではの西欧の修道院教育の影響が色濃く出ているのが特徴でした。

当然、英語のほかに正課としてフランス語の授業があり、課外授業のフランス語は、日本語を全く話さないフランス人教師が時間をかけて、

「砂に水がしみこむように自然に」

教える教育だったといいます。

生活指導もきめ細かく、「寄り道禁止」「髪の毛は肩についたら三つ編みにする」「お言葉遣いを丁寧に」などと注意されました。

たとえば、縄跳びをしているときでも、「入れて」ではなく「お入れになって」と言い、「ごきげんよう」「おそれいります」「ごめんあそばせ」などと、ごく自然に丁寧な言葉遣いや物腰を身につけさせる教育です。

田園調布雙葉時代の友人たちと銀座のレストランで。写真/宮内庁提供(土川純代撮影)

小さなころに受けた教育は、将来に大きく影響します。ご家庭での母・優美子さんのきちんとしたしつけと、雙葉学園の校風に育まれて、雅子さまと美智子さまという二人のすてきなプリンセスが誕生したのでしょう。

                

この記事は2019年9月19日に配信した人気記事を再編して掲載しています。

本文、キャプションは過去の資料をあたり、

敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、

その当時のものを使用しています。

写真/渡邉みどり(クレジットのないもの)

構成/高木香織、片岡千晶(編集部)