安青錦に一目ぼれして「うちにおいで」 師匠・安治川親方 寝ても覚めても「相撲熱」の師弟がつかんだ賜杯
<大関・安青錦 誕生へ>前編
ウクライナ出身の新大関安青錦が誕生する。小さな体でしぶとく攻め、番付を駆け上がる姿は、見る人に衝撃を与えてきた。2回に分けて、わずか21歳で看板力士の座を射止めた道のりと師弟の関係を振り返り、大関として歩み出すこれからを展望する。(大相撲取材班)
◆「初めは断るつもりで会った」けれど
運命的な出会いから始まった。2022年8月、兵庫県内の報徳学園高校。その日、同校相撲部の福田耕治元監督と知り合いだった安治川親方(元関脇安美錦)が訪れる予定になっていた。ウクライナから来日し、同校で稽古を積んでいたダニーロ・ヤブグシシンにとって、入門への道筋になる可能性があった。

安治川親方(右)に水を付けてもらう安青錦=23日夜、福岡県久留米市(田中久雄撮影)
ただ、「初めは断るつもりで会った」と振り返るように安治川親方は後ろ向き。当時部屋を興そうとしていた時期で、新弟子は10代の力士だけ。外国出身力士は言葉も文化も違う。まずは、今いる弟子を育てることが必要だと感じていたからだった。
実際に会うと心境は一変した。稽古場での立ち振る舞いは真剣そのもの。相撲を理解しようとする真面目な性格にもひかれた。「相撲を大事にしてやってくれるのではないかと思った。青い目に吸い込まれて『うちにおいで』と言っちゃっていた」。師匠の一目ぼれで青年の入門が決まった。ロシアによる母国への戦禍を逃れて来日し、4カ月がたったころだった。
◆「常に相撲のことを考えて生活していて、それが彼の良さ」
同年12月、研修生として入門。寝食をともにすると、何事も前向きに捉える考え方に師匠は感心させられた。自身も右膝の大けがに苦しみながら40歳まで土俵に上がった苦労人。愚直な姿勢は共感するものがあった。

杯を手に笑顔を見せる安青錦(前列中央)と安治川親方(同右)=23日夜、福岡県久留米市(田中久雄撮影)
安治川親方は「責任感を持ってもらいたい」と自身の現役時代のしこ名から2文字と、ウクライナの国旗の色から「青」を取り、弟子に「安青錦」と名付けた。2023年秋場所で初土俵を踏み、二人三脚の歩みが始まると才能は開花。序ノ口、序二段で優勝を果たし、番付を駆け上がった。
安青錦が常々口にするのは「師匠に言われたことをやってきたおかげ」という言葉。師匠は安青錦を「普通の力士だよ」と評しながら、「(教えられたことを)自分のものにしようと、一生懸命やっている。常に相撲のことを考えて生活していて、それが彼の良さ」とたたえる。
◆「優勝して一番報告したい人だった。恩返しができてうれしかった」
今年7月、名古屋場所中の宿舎。午前3時ごろに互いに翌日の相撲を考えて寝付けず、たまたまトイレで会った。そこで始まったのが深夜の相撲談議。師匠から「まだ考えているのか?」と話しかけ、うなずく弟子と作戦会議をした。食事の時間でも同じことが起こる。酒を飲むと、決まって相撲の話に行き着く。安青錦はその瞬間が「一番好き」だと笑う。優勝争いが佳境を迎えた九州場所14日目の夜も食事に行き、師匠から「大丈夫」と背中を押された。ともに相撲熱が高く、同じように悩み続ける。2人の関係性は、安青錦が異国の地で衝撃を与える原動力となった。

初優勝を果たした九州場所の千秋楽から一夜明け、記者の質問に答える安青錦=24日午前、福岡県久留米市(田中久雄撮影)
あれから約3年。師匠の現役時代の最高位をあっという間に抜き去った。24日に福岡県久留米市内であった優勝一夜明け会見。安青錦は「優勝して一番報告したい人だった。一つの恩返しができてうれしかった」と師匠への思いを口にした。出会うべくして出会った師弟。目指す場所はまだ先にある。(丸山耀平)
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