ベテラン記者コラム 大相撲の横綱大の里、新大関安青錦の快進撃と、消え去る昭和の諦観

11月の九州場所で優勝し、場所後の大関伝達式で口上を述べる安青錦。左は安治川親方。右はおかみさん

「終わりよければ、すべてよし」。今年の大相撲は慶事に始まり、そして締まった。一年納めの11月の九州場所後にウクライナ出身の安青錦(21)が大関へ昇進。この1年間で2横綱1大関が誕生し、来年1月の初場所(11日初日、両国国技館)では勢力図が変化して新年を迎える。

1月の初場所後には豊昇龍(26)、5月の夏場所後には大の里(25)が第75代横綱となった。大の里は9月の秋場所で昇進後初制覇。年間3度の優勝、年間最多勝にも初めて輝いた。初土俵から所要13場所での昇進は昭和以降最速で初土俵から負け越した経験がない。

安青錦も初土俵から所要14場所で大関に昇進。年6場所制が定着した昭和33年以降では琴欧州(しこ名は当時)の19場所を上回る最速記録(付け出しを除く)となった。日大在学時に「学生横綱」のタイトルなどを獲得し、東前頭5枚目だった九州場所で大の里から初の金星を挙げ9勝6敗で技能賞を獲得した義ノ富士も初場所で自己最高位が確実。安青錦も義ノ富士も初土俵から負け越しを知らない。

9月の秋場所で横綱昇進後初優勝を飾った大の里

昭和のころには、豊富な稽古量に裏打ちされた心技体の深化から「相撲と将棋はプロとアマチュアの差が最も大きい」といわれた諦観があった。だが、相撲界では死語になりつつある。初土俵からわずか2年半足らずの安青錦に屈した対戦相手が「体幹が強い」「体勢が低い」「頭を上げない」と脱帽する様子をみていると、昭和は遠くなりにけりと実感する。

プロの力士ならば、手ごわい相手には少なからず対策は立てるだろう。パソコンやインターネット、AIの出現により分析のやりようも大きく進化したはずだが、それを支える直観力や感情的な執着心はどうだろう。

昭和14年1月の春場所4日目。足かけ3年勝ち続けた横綱双葉山が敗れた。連勝を69で止めたのは出羽海部屋に所属する平幕安芸ノ海(のちの横綱)。初顔合わせの大横綱を左外掛けで倒した。同部屋の兄弟子、早大卒の学士力士で名参謀といわれた関脇笠置山を中心に出羽海一門を挙げて、立浪一門の打倒双葉山を掲げて対策を練り上げた左からの「外掛け」だった。

69連勝を記録した横綱・双葉山。左は太刀持・名寄岩、右は露払い・羽黒山

その布石は、双葉山が横綱になって2場所目となる本場所後の花相撲にあったともいわれている。66連勝中だった昭和13年夏場所後、双葉山は「横綱五人掛かり」を披露した。

五人掛かりは一人の横綱に番付下位の5人の力士が挑み、横綱の強さを象徴的に表す趣向。対戦する一人目の力士がかかって負かされると、次の力士が飛びついていく。双葉山はこのとき、出羽海一門の春日野部屋に所属し、2人目として掛かった幕内鹿嶌洋によもやの外掛けで倒されている。双葉山が打った右下手投げを左外掛けで防いだ瞬間、横綱が崩れ落ちたのだ。花相撲とはいえ、衝撃的な場面だったと伝わっている。

出羽海部屋にはこんな力士もいた。元小結九州山は、本場所以外の準場所で双葉山と対戦した3度の取組でいずれも右脚を狙い、足を取りにいって2度白星を挙げている。176センチ、88キロ。準場所であっても強者の弱点を探す、小兵の執念がうかがえる。

笠置山は昭和13年の雑誌「改造」(6月号)に「横綱双葉山論」を寄せた。そこでは、右四つの双葉山は本来ならば先に左足を引くことで体勢を保つべきところを、右足を引く癖を見抜く。押され、寄られるとまた右足を下げる。花相撲で双葉山に勝った鹿嶌洋の外掛けと直観的に結びつき、安芸ノ海の左外掛けにたどりつく。

シェークスピアの戯曲「終わりよければすべてよし」はダークコメディー(暗い喜劇)、問題作と称され、公演回数が少ない作品で知られる。のちのシェークスピア研究などでは「終わり-」には、「本当にそれでよかったのか」と観覧者に問いかけているという指摘も多く、よくよく考えさせられる。(奥村展也)