東京は「厚化粧の軟弱地盤」「世界的にも災害リスクの高い立地」…専門家が警告「家族を見殺しにする消費者マインド」
2026年3月。2011年に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から15年が経過した。あの日生まれた子供が義務教育を終えるほどの、長い歳月が流れたことになる。
東北地方の被災地の復興は進み、災害ハザードマップの整備や公開も飛躍的に進歩した。私たちの手元のスマートフォンにはあらゆる情報が飛び交い、世界中のニュースを瞬時に入手できるようになった。
しかし、この国の「防災」の本質は本当に進化したのだろうか。 ハードウェアや情報はアップデートされたかもしれない。だが、私たちの心には「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という、日本人特有の、そして致命的な楽観主義が再び蔓延していないだろうか。
著者は地盤災害の専門家として、3.11以降も数々の被災地を歩き、災害現場で何が起きていたのかをつぶさに見続けてきた。その経験から痛感するのは、「住まい選びは災害時の命に関わる」という冷厳な事実だ。
これから家を買おうとしている人、そして今の家に住み続けるすべての人へ、忖度なしの「3つの警告」を贈りたい。これは決して脅しではない。あなたと、あなたの家族が生き残るための、実践的な処方箋である。
第一の警告:不動産選びは「命の選択」である──「きれいな街」の厚化粧の下に潜むリスク
まず、住宅購入を検討している人、あるいは現在の住まいに住み続けたい人に問いたい。あなたは、その土地の「素顔」を知っているだろうか。
特に、私が最大の懸念を抱いているのが「東京圏」である。 東日本大震災の際、東北地方は甚大な被害を受けたが、東京周辺は最大震度5強程度にとどまった。帰宅困難者が溢れ、液状化現象も見られたが、多くの建物が倒壊するような事態には至らなかった。この経験が、多くの人に「東京はなんだかんだ言っても安全だ」という誤った安心感を植え付けてしまった。
歴史を振り返ってほしい。関東大震災(地震名:大正関東地震・1923年)から100年以上、首都圏で大規模な被害をもたらす直下型地震は発生していない。その空白の100年間に、海は埋め立てられ、山は切り崩され、かつて水田だった湿地帯は美しい街並みへと変貌した。
しかし、地盤・災害リスクを専門とする目線で見れば、それは「厚化粧」に過ぎない場合が多々ある。 世界的にも災害リスクの高い立地である東京圏に、経済と人口が著しく集中している現状がある。

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3.11やその後の大地震において、甚大な被害が発生したのは、揺れが増幅されやすい軟弱地盤や、液状化リスクの高い埋立地、旧河道(かつて川や沼だった場所)や谷を埋めた造成地である。東日本大震災の事例では、「谷埋め盛土」地盤に建つ宅地の被害は、自然の地盤と比べて数十倍に上ったという報告もある。
15年前の東日本大震災や、10年前の熊本地震、また一昨年の能登半島地震などを「他所の出来事」として捉え、「東京なら大丈夫、日本の中心だから」という根拠なき正常性バイアスに浸ることこそが、最大のリスクだ。
これから家を買うなら、駅からの距離やキッチンのグレードを見る前に、必ず「ハザードマップ」と「古地図」を見てほしい。国土地理院のサイトで土地がどのような成り立ちの地形か、どのような災害が想定されるか確認することが重要になってくる。
そして、地震に対しては住まいの耐震性を確保することだ。耐震性がなければ、いくら備蓄やグッズがあろうと、それを使う間もなく家屋倒壊に巻き込まれてしまう。小手先のテクニックで対応できるものではない。
「100年に一度」のリスクを他人事と考えてはいけない。その「一度」が明日来るかもしれないのが、今の日本列島なのだ。不動産選びを、家族の命を賭けたギャンブルにしてはならない。
第二の警告:行政に命を預けない──「国がなんとかしてくれる」という甘えを捨てる
次に伝えたいのは、行政機能への過度な期待、いわゆる「公助への甘え」を捨てることだ。 「国土強靭化」の名の下に防災整備は進んできた。しかし、それらが機能するのはあくまで「想定内」あるいは「局所的」な災害に限られる。
2年前、令和6年能登半島地震を思い出してほしい。半島という地理的条件があったにせよ、道路は寸断され、集落は孤立し、自衛隊の到着にも時間を要した。8か月後の「奥能登豪雨」では、地震で傷んだ山野が崩れ、大地震と豪雨災害が重ねて起こる、複合災害の恐ろしさをまざまざと見せつけた。
首都直下地震や南海トラフ地震が起きた時、その被害規模は能登の比ではない。支援拠点となる都市そのものが被災するのだ。家屋の倒壊や津波被害は著しく、道路は瓦礫で封鎖され、大渋滞が起きるという可能性がある。そんな状況で、救急車や給水車がすぐに来るはずがない。地震で堤防や護岸が損傷したところに、記録的な豪雨が襲う事も絵空事ではないのだ。

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都市部の避難所収容能力は絶望的に不足している。東京圏の多くで収容率は居住人口の2割未満、23区内でも食料備蓄も数日分しかない自治体が少なくない(2024年9月1日・東京新聞)。それにもかかわらず、「税金を払っているのだから助けて当然」「避難所に行けばなんとかなる」と考えている人があまりにも多いと感じる。
昨年(2025年)12月の青森県東方沖地震の際、高市首相が「自らの命は自らが守る原則」を呼びかけたところ、SNSでは「なんのために税金を納めているんだ」などという批判が相次いだ。この「消費者マインド」こそが、災害時には命取りになる。
どれほど政府や自治体、また自衛隊などが尽力しても、同時多発的な大災害に発生直後に、すべての国民の命を即座に救うことは物理的に不可能なのだ。
思考停止は、あなたと家族を見殺しにする
さらに言えば、避難所は快適なホテルではない。プライバシーはなく、トイレはすぐに汚物まみれになり、感染症や性犯罪のリスクすらある過酷な環境だ。「避難所に行けば助かる」のではなく、「避難所に行かなくて済む」ようにすることが、最強の防災である。
筆者は繰り返し発信しているが、自宅が無事なら、住み慣れた自宅で籠城する「在宅避難」を目指すべきだ。 そのためには「自助」の備えが不可欠だ。水と食料は最低1週間分。そして最も重要なのが「トイレの備え」だ。人間は食事を抜くことはできても、排泄は我慢できない。マンションであっても、配管が損傷すればトイレは使えなくなる。凝固剤と処理袋を、家族の人数×1週間分備蓄しているだろうか?

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「国がなんとかしてくれる」という思考停止は、あなたと家族を見殺しにする。まずは何としても自分の命を自分で守る。行政の手が届くのは、あなたが生き延びた、その後のことだ。
他方、国や自治体では公助として、事前の防災対策の一層の強化をお願いしたい。家や資産は修復、再建できても、失われた人命は帰ってこない。国民が豊かになることも、家の建て替えや備蓄推進などにつながり、自助を促進することになる。
【後編を読む】震災時、「スマホ」での「善意の拡散」が招く被災地の悲劇…「情報災害」の致命的な落とし穴