「また俺は負けるんか…」高市旋風が吹き荒れた衆院選で、大阪だけは自民党に立ちはだかる分厚い壁があった 維新に唯一勝った首相の弟分が語る「三度会わんと有権者は票を入れてくれへん」

有権者と握手する自民党の谷川とむ氏=1月31日、大阪府熊取町

 ホテルの大広間に集まった約100人の支援者の前で、必死に涙をこらえている男性がいた。2月8日の衆院選投開票日。テレビの開票速報が更新されるたび、ある思いがよぎっていた。「また俺は負けるんか」―。名前は谷川とむ。49歳。自民党公認の候補者として、大阪19区で日本維新の会の伊東信久と激戦を繰り広げた。

 2024年の前回衆院選で、維新は大阪の全19小選挙区の議席を独占。谷川は約4800票差の接戦で伊東に敗れ、比例復活もできず落選していた。

 高市早苗首相誕生で「旋風」が吹いた今回も、本拠地大阪で維新が築いた岩盤は堅固だった。代表の吉村洋文は衰えぬ人気を見せつけた。19のうち18選挙区で維新が議席を守った中、谷川は自民党候補で唯一、選挙区を制した。わずか713票差の勝利だった。

 維新の猛追を振り切った谷川の選挙をひもとくと、「ねぇさん」と慕う首相の人気にすがっただけではない、徹底した地元活動、通称「どぶ板選挙」の実態が浮かんできた。連立政権を組みながら選挙では激突するというこれまでにない形は、現場に少なからぬ混乱ももたらしていた。(敬称略。共同通信=鎌田理沙、阿部倫人、工藤優人、清水航己、岡田篤弘)

交差点を通る車に手を振る谷川氏=1月29日、大阪府泉佐野市

▽有権者が票を入れる「法則」

 衆議院大阪19区は関西空港のある泉佐野市などを含み、最南端に位置する。谷川がここで初めて立候補したのは2012年。2024年の前回選まで5回続けて出馬し、比例代表での復活当選が3回、落選が2回。選挙区で勝ったことはなかった。

 旧安倍派に所属した谷川は前回、派閥裏金事件に直面。党本部の判断で比例代表の重複立候補が認められず、選挙区で敗れて「浪人」となった。ただ、逆風下の選挙だったにもかかわらず、得票数は2021年よりも伸ばしていた。谷川はその要因について、今回の公示後にこう分析していた。「毎日活動していた。やれることは全部やっていた」

 実践しているのはかつての首相、田中角栄が語っていたとされる選挙の「極意」だ。「歩いた家の数、握った手の数しか票は出ない」。かつて政治家は、家の前に張り巡らされた側溝(どぶ)をふさぐ板を渡って支持を訴えてきた。これが「どぶ板選挙」の由来となった。田中の教えは、前首相の石破茂も好んで引用する。

 谷川は選挙のない期間に自転車で選挙区を巡り、要望や悩みを抱えた有権者を訪ねて回った。鉄道の駅という駅の前であいさつに立った。

2時間立ち続けて、会った人数が10人に満たない駅もあった。それでもこんな言葉をかけられたのを覚えている。「この駅前にいる政治家は初めてですよ」

 谷川は、胸に刻んでいる「法則」を明かした。「僕は三度会わんと有権者は票を入れてくれへんと思ってる。一度目はミニ集会で時間を共有して、二度目は駅立ちとかであいさつする。三度目にまた会ったときに、目が合って握手させてもらう。それくらいせなあかん」

有権者と言葉を交わす谷川氏=1月27日、大阪府泉佐野市

▽欠けていたピース

 2024年の落選後、谷川は選挙区内の貝塚市で、ある男性に頭を下げていた。少年補導員をはじめ福祉関係のボランティア活動に長年携わり、地元で顔の広い人物だった。目的は貝塚市での後援会結成。もう一度国会議員になりたい、と訴えた。

 男性が参院選への出馬を勧めると、谷川はきっぱり答えた。

 「ここ19区のために仕事がしたいんです。そのためには小選挙区で勝たないといけないと思っています」

 男性は取り仕切りを引き受け、後援会はわずか10人で発足した。それでも評判が評判を呼び、応援の輪は徐々に広がった。

 谷川は前回競り負けた要因を、後援会の組織率にあると考えていた。政党支部から独立した組織となる個人後援会を十分に広げられていなかった、と振り返る。 「弱いところで最後、踏ん張れなかった。この1年3カ月、組織票は減ったかもしらんけど、そのほかが必ず増えている」

 「どぶ板」に欠けていたピースが埋まった。それでも維新は脅威だった。「活動した分しか、票は乗らん。みんな大阪をなめてんねん」

候補者の応援で、選挙カーに乗り込んだ日本維新の会の吉村代表=2月1日、大阪府泉佐野市

▽戦う相手は「いつも吉村さん」

 維新代表の吉村は選挙戦終盤、党がてこ入れを図る「重点区」を連日訪れ、選挙カーで声を枯らした。19区もその一つ。吉村が手を振れば、通行人は笑顔で「維新に入れるで!」と応じた。

 谷川は過去の選挙で経験してきた終盤の追い上げについて、童話「ウサギとカメ」になぞらえる。「こっちはずーっとこつこつ取り組んでいるのに、向こうは最後に『維新』という車に乗ってピューッと行ってしまう」。選挙戦の相手は維新の候補ではなく、「いつも吉村さん」だとも漏らした。

 親交のある首相の高市は前回、選挙戦最終日に応援に入ってくれた。維新の追い込みに対抗する上で、陣営関係者は今回も期待していると明かした。「最後は来てほしい」。首相は衆院選期間中、岡山県から京都府へと新幹線で移動する日があったものの、大阪は「素通り」した。連立政権を組む維新への配慮と受け止められていた。

 結局、首相本人から谷川への「応援」は必勝祈願のお守りと、木原稔官房長官から託された伝言だけだった。

 「歯を食いしばって、何が何でも勝ってきてくれ」

衆院選公示日の出陣式であいさつする谷川氏=1月27日、大阪府泉佐野市

▽大阪だけは別世界

 全国的には自民党が圧勝した今回の衆院選で、大阪だけは違った。選挙区勝利への手応えを感じていた候補は少なくなかったが、ふたを開けるとほぼ維新一色だった。

 敗れた一人、7区の渡嘉敷奈緒美は戸惑いを隠さなかった。「開票速報を見ていても、大阪だけ別の世界にいるようだった。大阪の人が何を望んでいるのか、正直分からない」

 隣の8区、高麗啓一郎も選挙期間中に本音をこぼしていた。「これまでどれだけ二日酔いの日も毎日駅に立ち続けてきたが、やっぱり維新という看板は大きい。大阪は何でこんなにきついのか」

 涙をこらえて開票速報を見守っていた谷川は大阪でただ一人、維新の厚い壁を破った。後援会をつくった貝塚市の得票こそ伊東に及ばなかったものの、選挙区全体でわずかに上回った。6回目にして初めての選挙区勝利だった。

 一夜明けも早朝から駅頭に立った後、選挙戦を振り返った。「追い上げが今回もすさまじかった。めちゃくちゃ感触いいと思ってたが、これだけ徹底的に活動してこの票差だからね」

その一方で、後援会が機能した手応えも感じていた。引き続きの「どぶ板」徹底を宣言した。「次回も後援会をどんどん大きくしていく戦略で行く」

街頭演説で政策を訴える、日本維新の会の阿部圭史氏=2月7日、神戸市兵庫区

▽ようやく選択肢を提示できる

 衆院選結果を示す地図では、19ある大阪の小選挙区は維新の「維」でほぼ埋め尽くされた。谷川とむの19区に唯一「自」が表示された。

 維新が勢力圏を広げる隣の兵庫県は、正反対の結果となった。「自」が席巻する中、12ある選挙区で「維」のランプが一つだけ点灯した。2回目の当選を果たした阿部圭史の立った、兵庫2区だ。

 維新代表の吉村は連立政権入りの段階から公言していた。「自民党と選挙協力はしない」。候補者が競合する選挙区で一方が候補者を立て、一方が下ろす、という調整は一切しないはずだった。ここ兵庫ではそれが崩れた。

 2区は公明党が候補者を擁立してきた選挙区の一つだ。自民は連立政権を組んできた約30年間、候補者を立てずに公明候補の応援に回ってきた。中道改革連合結成によって、2区の自民関係者の間では独自候補擁立の機運が高まった。「支持者にようやく選択肢を提示できる」

 維新の阿部は当時、2区で既に活動を始めていた。これにかかわらず自民も候補を立てるべきだとして、地方議員2人が名乗りを上げた。自民党は国政選挙の公認候補について、地方組織の意見を踏まえて党本部が決める仕組みだ。

 地方組織に当たる兵庫県連では候補を一本化できず、2人を並べて党本部に上申した。県連の選挙対策を担う幹部は議席奪還への期待を隠さなかった。「この機会をしっかり生かして、一丸となって勝ちたい」

記者会見で立候補の意向を表明する坊恭寿氏(中央)=1月12日、神戸市中央区

▽「2区を売られた」

 ところが、期待は裏切られた。

 数日後、自民党本部は兵庫2区で公認候補を擁立しないと決めた。当時、選挙対策委員長だった古屋圭司は記者団にこう説明した。「維新からの強い要請があった」

 維新が擁立する阿部は共同代表・藤田文武の信頼が厚かった。とはいえ、維新は本拠地大阪に隣接する兵庫で徐々に勢力圏を広げ、国政選挙のたびに自民と激しく争っていた。公明が同様に撤退した8区でも、維新が元職の擁立を決めたのと前後して、自民は参院議員青山繁晴の擁立を決めた。

 2区で公認申請したうちの一人、神戸市議6期目の坊恭寿はなおも食い下がった。衆議院が解散された1月23日の午後、市議団を連れて党本部に直談判。選対委員会幹部との面談後、記者団を前に語気を強めた。「『2区を売られた』という認識の人が増えている」

 兵庫県内には、この時点で維新が候補者を立てないと決めている選挙区があった。兵庫県連内部では、これとの見返りで2区を維新に譲ったのではないか、との見方が出ていた。

 党本部に乗り込んだ数時間後、坊に連絡が入った。「党の決定は覆らない」

衆議院兵庫2区の立候補者のポスターが張られた掲示板

▽「自民党公認」がない戦い

 坊は結局、無所属での立候補を強行した。兵庫県連が推薦したとはいえ、党の選挙カーは使えず、党幹部による応援演説も見込めなかった。

 2月8日の投開票日、報道機関各社は午後8時の投票終了と同時に阿部の当選確実を速報した。共同通信の出口調査では、自民党を支持すると答えた人の半数が坊ではなく阿部に投票したと答えた。自民党兵庫県連の関係者は事前に懸念を明かしていた。「『自民党公認』と『無所属』では、有権者の印象も大きく変わる。公認がないというのは思っている以上に大きい」

日本維新の会の吉村洋文代表(左)らと駅頭に立つ斎藤アレックス氏(中央)=1月30日、大津市

▽一変した構図

 滋賀県の県庁所在地・大津市を中心とする滋賀1区では、日本維新の会政調会長として衆院選に臨んだ斎藤アレックスが、一変した選挙の構図に翻弄された。

 大津市は京都、大阪、神戸のいずれにもアクセスしやすく、マンションが次々に建って子育て世帯が増えている。特定の政党を支持しない「無党派層」が比較的多いとされる。加えて工場も多いため労働組合の力が伝統的に強く、野党系の候補が勝つことも少なくない。

 前回衆院選では維新から立候補した斎藤が自民党の大岡敏孝に競り勝っていた。初当選時は国民民主党所属だった斎藤に旧民主党系が対抗馬を擁立せず、労組を束ねる連合滋賀が実質的に支援していた影響も大きかった。国民や立憲民主党は候補者を擁立せず、実質的な一騎打ち構図だった。

 その構図は今回、大きく変わった。斎藤は昨年夏の時点で、連合滋賀の幹部からこう告げられていた。「次はもう支援できない。1区に国民か立民から候補を立てるぞ」。維新の幹部である政調会長に就いたことで、滋賀県内の野党関係者からは「完全にたもとを分かった」との声が出ていた。

 ここに維新の連立与党入り、という要素が加わる。自民大岡との再戦を与党同士で迎えることになった上に、野党からは国民民主が労組出身の県議河井昭成を擁立。苦戦は必至だった。

復活当選後、支援者らに感謝の言葉を述べる日本維新の会の斎藤アレックス氏=2月9日、大津市

▽野党の方が戦いやすかった

 斎藤の訴えそのものにも戸惑いがにじんだ。繰り返したのはこんなフレーズだった。「与党が2人いて分かりにくく、戸惑う有権者の方もおられるかもしれません。ですが私は『下駄の雪』になるつもりはありません。維新が政権のアクセル役にならなければ、自民党の古い政治のままになってしまいます」

 それでも、戦況は厳しいままだった。頼みの無党派層は「高市旋風」で自民党に流れ、野党を推す組合票は河井に流れた。選挙区では大岡に3万票近く水をあけられての2位。河井との票を足せば大岡を上回る結果だった。維新が近畿ブロックの比例代表で8議席を得ており、7番目に滑り込んでかろうじて復活当選は果たした。

 斎藤自身は選挙区での敗北を受けてこう吐露した。「自民との区別が難しかった」。維新滋賀県総支部の幹部の分析はこうだ。「与党対決は有権者には分かりにくかった。選挙区調整したら支援者は離れていく。野党の方が戦いやすかったかもしれない」

 与党同士の戦いづらさを嘆く声は、自民党側にもあった。大阪12区に立候補した北川晋平だ。相手は維新共同代表の藤田文武。先方は公示の日、首相の高市と共に東京・秋葉原で第一声に臨んでいた。代表の吉村と3人が手をつなぎ、声援に応える姿が決定的だった、とこぼした。「あそこで支援者の意気も消沈してしまった。この扱いなら、選挙区調整で公認されない方がまだ良かった」