何度も考えた引退、踏みとどまって初の日本代表 「生まれ変わってもこの道を」30歳のハードラー、中島ひとみ

練習する陸上女子100メートル障害の中島ひとみ=8月、大津市皇子山陸上競技場

 陸上女子100メートル障害の中島ひとみ(長谷川体育施設)にとって、13日に開幕する世界選手権東京大会が30歳で初めて経験する日本代表レースとなる。2010年に全国中学校体育大会(全中)を制してから15年。何度も引退を考えながら踏みとどまり、勝ちたい気持ちに「ふたをしていた」時期も乗り越えた。「ぞっこん」とほれ込んだハードルとともに進んできた道は、飛躍に欠かせないエピソードでつながっていた。(聞き手 共同通信・山本駿)

日本選手権の女子100メートル障害予選で力走する中島ひとみ=7月、東京・国立競技場

 全中覇者として兵庫・夙川学院高(現夙川高)入り。全国高校総体(インターハイ)にも1年生から出場したが、3年時はストレス性の胃腸炎に見舞われ、その舞台にも立てなかった。

 「こんなに頑張っても報われないことがあるんだなというのを、初めて真正面から受けた。心が空っぽになった。日本選手権は何歳でも出られるけど、インターハイはその時だけで、本当に大事な大会。すごくしんどかった記憶がある」

 「高校で陸上はやめようと思った。もう続けられないかなと思って、1週間ぐらい家にこもって何もしない時間もあった。大学の先生から声をかけていただかなかったら、もう陸上はやっていなかったかもしれない」 

 園田女大(現園田学園大)を経て、長谷川体育施設へ。自己記録は少しずつ縮めていたが、主要タイトルとは無縁だった。

 「負けることにさえ何とも思わなくなって、勝ちたいという気持ちがなかなか芽生えなかった」

 「2020年の新型コロナウイルス禍になる前には、オーバートレーニング症候群にもなった。電車に乗ったら急に息切れしたり、競技場に行ったら体温が下がって体がしびれたり。いくつか病院に行って、初めてその病気のことを知った」 「その時に、所属先の監督には『もう来年で最後にしようと思います』と言いに行った。そう話しに行くぐらいやめようと思ったのは、初めてのことだった」 

 迎えた翌年の日本選手権。予選で右脚付け根付近の剝離骨折などをして、痛みを抱えながら走った準決勝は5着。決勝には届かなかった。

 「めちゃくちゃ泣いたし、落ち込んだ。でも、リベンジしたいと、気持ちが燃えていることに気づいた。まだ自分にもそんな気持ちがあったんだと。自分はまだ腐っていなかった。そこでけがをしていなかったら、そのままやめていたかもしれない。神様からも『このまま終わったら駄目』と言われている気がした」

 「自分の中でふたをしていたけど、やっぱり奥底には勝ちたい気持ちがあった。そういう自分に出会いたいという思いがどこかにはずっとあって、競技を続けるエネルギーになっていたと思う」

取材に応じる陸上女子100メートル障害の中島ひとみ=8月、大津市皇子山陸上競技場

 1年後の2022年の日本選手権は初めて決勝に進んで4位。翌2023年には、男子400メートル障害で2019年世界選手権代表の豊田将樹(富士通)と結婚した。

 「彼は私にずっと『絶対に日本記録を出せるポテンシャルがある』と言ってくれていた。アスリートとして期待を持ってくれているのがすごくうれしかった。周りの人からはそう思われなくても、一番身近な人がそう思ってくれるのは、妻としてではなく、アスリートとして本当に幸せなこと。そう思ってくれているからにはそうなりたいと頑張る力になった」

 「一緒に住むようになって、彼はめっちゃ陸上が好きでいつも動画を見ていた。私も見たいなと思うようになって、(東京五輪金メダルの)ジャスミン・カマチョクイン選手(プエルトリコ)の動画を見ていたら気付いたことがあった」

 「私は元々、すれすれにハードルを跳ぼうとしていた。でも私の体は(先にハードルを越える)リード脚の右膝が真っすぐ伸びない。すれすれに跳ぼうとするとつま先が上がって、着地してからうまくスピードに乗れない体勢になっていた。ずっとどうしたらいいかなと思っていたが、海外選手は体とハードルとの間に思ったより空間があった。自分も跳ぶ前に膝を胸の近くに引きつけて、少し上方向に跳ぶことで、自分の持ち味のバネとスピードにうまくつなげられるかもしれないと思った」

 「それが昨年6月の布勢スプリントの前で、気づいた次の日から練習した。12秒台を出すためには、何かを変えないといけないと思っていたし、新しいことに挑戦することはすごく大事だと思って、迷いはなかった。前の跳び方が十何年も染み付いていたので、なかなか自分のものにできなかったが、それが少しずつはまっていった」

織田記念国際の女子100メートル障害で優勝し、喜ぶ中島ひとみ(右)=4月、ホットスタッフフィールド広島

 昨秋に初めて12秒台に突入し、今季は4月の織田記念国際で優勝。その後もタイムを日本歴代2位の12秒71にまで縮め、世界選手権の参加標準記録(12秒73)を突破。初の代表入りをたぐり寄せた。

 「織田で勝った後に『いきなり出てきたね』と周りから言われて、嫌な感じで捉えるわけではなく、自分自身本当に消えていたんだなと思った。(競技生活の中で)結果だけを見たら全然走れていない時期もあったが、すごく大事な時間だったと思えている。その時間があったからこそ、今、私はここに立てている」

 「何度生まれ変わっても、私はまたこの競技人生を選ぶと思います。自分と向き合わなかった時期はなかったし、自分が選んできた道をもう一度たどりたいと思う。それぐらい今までの決断に自信を持ちたいし、背中を押してくれた人たちのためにも、選んできた道を信じて世界陸上に臨みたい」

 「続けたからといって絶対に実るわけではないと思うけど、続けていく中で自分と向き合うことが大切。結果が全てと思っていた時期もあったが、そうではない楽しみ方、考え方もある。そういう道も大事だと自分が走ることで伝えられたら、アスリートの役目としてもより幸せだなと思っている」

ポーズを取る陸上女子100メートル障害の中島ひとみ=8月、大津市皇子山陸上競技場