軍国主義の熱狂が生まれた構造とは? 戦時中に地域で支えた人物に光を当てると…#戦争の記憶

出征兵士の見送り=1938年

 第2次大戦が終わってから今年で80年。戦時中の日本では軍事、政治、経済、文化といったさまざまな分野の力を結集した「総力戦」が展開された。国家総動員法の下、国民は全面的な協力を求められた。人々は嫌々それに従っていたのだろうか。必ずしもそうではなく、民衆が進んで戦争を支えようとしていた側面があったように私には思える。そんな軍国主義の「熱狂」が生み出された構造とは? 地域で積極的に協力したある人物に着目して考えてみる。(共同通信編集委員・福島聡)

高橋峯次郎(北上平和記念展示館の展示より)

▽7000通の郵便

 岩手県南部の旧藤根村(現北上市)に生まれた高橋峯次郎(1883~1967年)は、地元で小学校教員を務めた。熱のこもった指導で児童に慕われるとともに、故郷を深く愛し地域活動にも積極的に関わった。日露戦争(1904~05年)で召集されて戦場を経験。元兵士の集まりである在郷軍人会の分会長にもなった。

 彼は1937年に始まった日中戦争で出征して戦地にいる教え子たちに、故郷の状況を知らせる手作りの通信「眞友」を送り続けた。戦地からは、その返信として計約7000通にも上る大量の軍事郵便が高橋に届いた。

 軍事郵便とは戦時中に戦地にいる兵士らに無料で支給されたはがきで、家族などとのやりとりに使われた。

 北上市にある北上平和記念展示館に通信と軍事郵便が展示されている。通信で高橋は村の行事の様子や、村民が出征したり戦地で死亡したりといった藤根の近況を伝えている。

 一方、軍事郵便には高橋への感謝の思いが記される。さらに「(地元の)田畑のことが頭から離れません」「神社のお祭りの一日が楽しく思い出されます」と、遠く離れた地から故郷を思う兵士たちの心情もつづられている。

手作りの通信「眞友」(北上平和記念展示館の展示より)

▽草の根のファシズム

 高橋は地元に陸軍飛行場が建設される際、周囲が驚くほど、その支援に走り回り「兵隊ばか」と呼ばれたという。歴史学者の吉見義明氏は著書「草の根のファシズム」で、彼のような存在をファシズムの「媒介者」と名付けた。地元のために尽くし、その地で生きる人々と濃密な感情でつながる人物が国家と地域の橋渡し役となり、軍国主義体制を支えたと指摘している。

 1938年に施行された国家総動員法によって政府は、経済や国民生活のさまざまな分野で議会の議決を経なくても統制できるようになった。戦争に力を注ぐ経済体制ができあがった。加えて1940年には内閣情報局を設置。報道機関や表現活動への検閲を強化して、言論・表現は大幅な制約を受けるようになった。戦争遂行のための思想面での締め付けだ。

 ただ、軍国主義はそうした国家総動員体制や言論統制を通じ、上から押さえつけることだけによって機能したのではないと私は考えている。吉見氏が指摘するように「草の根」からの動きも重要だった。

 人々の郷土愛や、地域の同胞を大切に思う気持ちをエネルギーにして勢いを増し、上からの統制と相まって軍国主義は膨張していったのだ。その歯車がいったん回り始めると、疑問を投げかけたり、批判したりすることが許されない雰囲気が醸成される。

高橋峯次郎宛てに届いた軍事郵便(北上平和記念展示館の展示より。画像の一部を加工しています

▽染まるのは私やあなた

 映画やテレビドラマで戦争が取り上げられるとき、主人公自身は軍国主義をさほど熱心に支持しているわけでなく、消極的に加担する、という形で描かれることが多いと私は感じている。一方で脇役が軍国主義を厚く信奉し、主人公はそれとはやや距離を置く、といったストーリーが目立つように思う。

 感情移入の対象である主人公があまりに軍国主義に傾倒してしまうと、戦争の結末を知っている観客・視聴者は居心地の悪さに似た思いを抱くのではないだろうか。制作者は無意識のうちにか、それを避けているのかもしれない。

 だが史実を見ると、それでは本質を捉えていないのではないかとの疑問が湧いてくる。国家主義や軍国主義に染まって熱狂するのは「他の誰か」ではなく「私」や「あなた」だ。そうして多くの庶民が下支えしたからこそ勢いが加わったのだ。

 その上、高橋のように地域で影響力を持つ人や、今で言うインフルエンサー、すなわち発信力、発言力のある人らも旗振り役になって、猛烈な吸引力で人々を引き込んでいった。だからこそ国家主義や軍国主義は危険なのだ。

半藤一利氏

 昭和史、近代史を巡り数多くの著作を残した作家の半藤一利氏(1930~2021年)は、日中戦争開戦後にナショナリズムを燃え上がらせ、中国への敵対心を強めた国民についてこう記している。「決して一部の軍や、官僚や、資本家や、右翼たちによって無理やり引っぱられていった、という受け身のものではなかった」

▽現代に引き寄せて考える

 「昔話」だろうか。人間の行動原理は100年や200年、いや仮に1000年単位で見たとしても、基本的にそう大きく変わっているわけではない。熱狂が生み出され、それが拡散していくプロセスも変わらないのではないだろうか。

 交流サイト(SNS)によって誰もが発信できるようになり、それが時に政治や社会を大きく動かすさまを、私たちはこの国の内外ですでに目撃している。民衆レベルから熱狂が生まれ、それが爆発的に広がる可能性は、かつてよりも高まっているように私には思える。

 東アジアの安全保障環境の悪化がしきりに叫ばれ、「台湾有事」のリスクも語られる中、現代を生きるわれわれに引き寄せながら、80年前の戦争について考えることが欠かせないと考えている。

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 福島聡(ふくしま・さとし)1990年入社。共著書に「30代記者たちが出会った戦争〜激戦地を歩く」(岩波ジュニア新書)。戦後70年の2015年、元日本兵の証言を聞き取り、海外の戦跡を訪ねてまとめた連載記事をデスクとして担当、書籍化した。