ウインカーネリアンと「岡田繁幸」の”血統ヒストリー”…総帥が誰よりも早く見通していた「未来図」【三浦皇成・G1初制覇】

スプリンターズステークスに勝利し、三浦皇成騎手とともにG1初制覇を成し遂げたウインカーネリアン。8歳馬にしてビッグタイトルを勝ち取った同馬の血には、2021年に亡くなった“マイネル軍団”岡田繁幸総帥の執念が刻み込まれていた――。『相馬眼が見た夢 岡田繁幸がサンデーサイレンスに刃向かった日々』(10月8日発売)の著者・河村清明氏が綴る。  

武豊が三浦皇成にかけた言葉

先行両馬による直線での攻防は、長く、激しく続いた。9月28日日曜日の中山競馬場、第59回スプリンターズステークス(GⅠ、芝1200メートル)だ。

抜かせてなるものか……と、逃げたジューンブレアの鞍上・武豊は右ムチを何発も入れた。一方の、大外枠から2番手につけたウインカーネリアンも、ジューンブレアのすぐ外から先頭を伺った。

このチャンスは絶対にのがせない……。鞍上の三浦皇成はムチを使わず、手綱だけで馬を追い続けた。後続から伸びようとする馬の姿はなく、中山名物の急坂を迎えたあたりで、勝敗のゆくえはこの2頭に絞られていた。

せめぎ合いは、坂の上でもなお続いた。

誰もが息をのんで見つめたゴールの瞬間、高くあげた左手を振り下ろし、渾身のガッツポーズを決めたのは三浦だった。ウインカーネリアンはジューンブレアをアタマ差交わして、先頭でゴールに飛び込んでいた。

「おめでとう、長かったな」

ゴール後のことだ。馬上の武からかかった声に、三浦は涙をこぼしそうになったという。

三浦にとってこの1戦は、実に127度目となる中央GⅠ挑戦だった。デビューした2008年に91勝をあげ、それまで武豊が保有していた新人最多勝記録(69勝)を更新するなど頭角を現したが、なぜなのか、中央のGⅠ制覇には手が届かないままだった。早いもので、その騎手生活は18年目を迎えていた。

「差せっ!」

私は馬券を買っていなかったが、直線で声が出た。三浦がデビューした08年に限らず、翌09年、英国ニューマーケットのサー・マーク・プレスコット厩舎で修行を始めた際も、私は現地を訪ね、取材を重ねた。そんな経緯があるだけに、もちろん三浦を応援していた。

2023年にBCマイルに挑戦したときのウインカーネリアンと三浦皇成 photo by gettyimages

ただ、声援した理由はほかにもあった。

社長、やりましたよ。まさに「社長が残した血統」じゃないですか。

話しかけた相手は、その評伝『相馬眼が見た夢』を私がまとめたばかりの故・岡田繁幸さんだった。

父・スクリーンヒーローの格安だった種付け料

ウインカーネリアンは父にスクリーンヒーローを、母の父にマイネルラヴを持つ。

スクリーンヒーローは08年のジャパンカップ覇者であるものの、種牡馬入りした当初、さほどの期待を集めていなかった。受胎条件30万円、出生条件50万円という初年度の種付け料に生産界の評価が透けて見える。

父・スクリーンヒーローも人気薄の9番人気でG1(ジャパンカップ)を制した photo by gettyimages

だが、初年度産駒からモーリス(GⅠ6勝)、ゴールドアクター(有馬記念など重賞4勝)が出て、一躍人気種牡馬の仲間入りを果たした。その能力を繁幸さんも高く評価すればこそ、幾多のスクリーンヒーロー産駒を自ら生産していった。その中には、ウインマリリン(香港ヴァーズなど重賞4勝)、マイネルグリット(小倉2歳ステークス)、ウインカーネリアン(このスプリンターズステークスを含めて重賞3勝)、ウイングレイテスト(スワンステークス)らの重賞勝ち馬が含まれている。

ただ、繁幸さんのスクリーンヒーローへの着目は、生産界が騒ぎ始めるより、実は半年以上早かった。

モーリスの快進撃が始まったのは15年なかばのことだ。春シーズンの終盤、初重賞となるダービー卿チャレンジトロフィーを制して、続く安田記念を連勝した。

またゴールドアクターも、同じ15年の終盤に、こちらも初重賞となるアルゼンチン共和国杯を制して、有馬記念を連勝した。

スクリーンヒーロー人気に火がついたこの前後、「我が意を得たり」の表情を繁幸さんは浮かべていた。14年の秋から冬にかけて、すでにこう話していたからだ。

「スクリーンヒーローは凄い種牡馬だね。大物(産駒)をたくさん出しますよ」

気づくきっかけになった馬がいる。ウインオスカー(13年、新冠・中本牧場生産)である。

その父はもちろんスクリーンヒーロー、母はエイシンサンディだ。14年の秋、同馬が坂路調教を始めると、豪快な動きに繁幸さんは目を細めた。スクリーンヒーローの名を盛んに口にし始めたのがこの頃だった。

岡田繫幸氏

同時に、種牡馬シンジケートの本株(1株につき年1頭の配合権利を得られる)を集め始めた。当時のそんな動きがあればこそ、繁幸さん率いるビッグレッドファームやコスモヴューファームでは、その後多数のスクリーンヒーロー産駒を生産できた。ウインカーネリアンの誕生も一連の流れの中にある。

余談を挟めば、14年に生まれたウインオスカーの全弟をトラストという。重賞には手が届かなかったものの、中央で6勝したウインオスカーのみならず、繁幸さんは弟のトラストも手に入れて、鍛えていった。

「コスモバルクを超える地方の星に!」

そこまで期待すればこそ、地方の川崎競馬で敢えてデビューさせたのだ。トラストへの思いや同馬の動向は『相馬眼が見た夢』に詳しい。

毎年元旦にマイネルラブの墓参りをしていた

ウインカーネリアンの「母の父」、マイネルラヴに目を移せば、いわずと知れたスプリンターズステークス(98年)の覇者だ。繁幸さんはこの馬を米国キーンランドのセールで発掘した。

デビュー前のマイネルラヴや制覇したスプリンターズステークス当日についても『相馬眼が見た夢』に詳しいため、ここには記さない。引退後、種牡馬となったマイネルラヴへの期待を繁幸さんはこう話した。

「ご存知のとおり、僕はヘイルトゥリーズン(サンデーサイレンスの祖父)系が持つ筋肉の質に惚れ込んでいますけど、ラヴのお父さんのシーキングザゴールドも強い筋肉を持つ1頭なんですよ。ラヴはきっと、父の筋力を子供たちに伝えて、スピードある産駒をバンバン出します」

その見立ては現実となった。

マイネルラヴは初年度から重賞馬のマイネルハーティー(ニュージーランドトロフィー)、コスモフォーチュン(北九州記念)、コスモヴァレンチ(小倉2歳ステークス)を送り出し、種牡馬として人気を博した。自身の血統構成にヘイルトゥリーズンの血を持たないため、サンデーサイレンス系の繁殖牝馬に配合しやすい利点もあった。

だが12年6月、17歳を迎えたラヴは放牧地での骨折により、予後不良の診断を受けた。種牡馬としてまだ数年頑張れただけに、突然の死に関係者は言葉を失った。

繁幸さんはビッグレッドファーム明和に瀟洒な墓を作り、感謝を捧げた。毎年、仕事始めを迎える元旦には墓参を欠かさなかった。

ビッグレッドファームに眠るマイネルラブ

マイネルラブの墓の横には同じ年に死んだ種牡馬・イブンベイ(ビッグレッドファームで余生を過ごしていた)の墓がある

スクリーンヒーローとマイネルラヴ、両馬の血を汲むウインカーネリアンは、果たしてこの先、種牡馬になるのだろうか。

現時点でははっきりしない。

それでも、ビッグレッドファーム明和での種牡馬入りがもし決まったならば、私は岡田繁幸さんとマイネルラヴ、ふたつの墓に急ぐことになる。

ウインカーネリアンがスプリンターズステークスを制したあと、クラブ代表を務める三男の義広さんは、こんなふうに話した。

「母コスモクリスタル、父スクリーンヒーローの馬で勝てたというのは父からの譲り物という感じがします」

墓前でそっと手を合わせながら、岡田繁幸にゆかりある血の広がりを、私も報告しなければならない。