「昭和の大横綱」も見舞いに、リハビリを支え励ましてくれた家族と仲間・弟子……元大関琴風の「演歌と土俵」
元大関琴風の中山浩一さん(68)(元尾車親方、津市出身)は、 頸髄(けいずい) 損傷で首から下の感覚がまひしながら、覚悟のリハビリで自力歩行ができるまでに回復した。主治医も「奇跡だ」と驚く努力の結果だが、中山さんは「家族や友人、弟子の支えと励ましがなければ、今の自分はなかった」と感謝する。(三木修司)
「弟子たちの元へ帰れ」

3場所連続優勝の横綱大鵬(1961年九州場所)

賜杯を抱く前頭筆頭の金剛(1975年名古屋場所)
2012年4月、東京の慶応病院――。「琴風が入院した」。院内のそんなうわさを聞きつけた角界の重鎮が見舞いにきた。「おーい、早う若い衆(弟子)のところへ帰ってやらんか」。車いすに乗った元横綱の大鵬さん(13年1月19日、72歳で死去)だった。療養のため同じ病院に入院していた。
大鵬親方も部屋を持って6年目の1977年、36歳の時に脳 梗塞(こうそく) で倒れた。リハビリは「人目をはばかることなく、病院の廊下を 這(は) いずり回って病気と闘っていた」という壮絶なものだった。左半身まひが残ったものの、2年後には一人で歩けるまで回復した。
弟子のところへ……。これは大鵬親方が何より励みにしていた言葉だった。「夢と希望を持ってやってきた弟子たちの元へ帰れ」。尾車親方に贈る言葉としては何よりの妙薬だった。
相撲界の元気印、元関脇金剛の二所ノ関親方(2014年8月12日、65歳で死去)も「しょっちゅう来てくれた」。看護師に体を拭いてもらっている時もお構いなしだった。「寝たきりの俺にね、『おお琴風、元気か!』って、でっかい声でやって来るんだ。面会謝絶の札を掛けたいぐらいだったよ」と笑う。
泣きながら叱ってくれた若嶋津
千葉のリハビリ専門病院に移ってからは、元大関若嶋津の松ヶ根親方(本名・日高六男=68歳)が、「親方、体、動くようになったか」と毎日のように見舞った。当時、日本相撲協会の理事(巡業部長)でもあった尾車親方が「この体で理事は無理だ。退任しようと思うんだ」と弱気な言葉を吐くと、審判部副部長だった松ヶ根親方は「何を言ってるんだ。一緒に相撲協会を良くしようって約束したじゃないか」とぐっと手を握り、「そんなこと、今は考えるな」と泣きながら叱ってくれた。
現役時代は大関4人が土俵を盛り上げた。しのぎを削った仲だからこそ、現役を引退した後は家族ぐるみの付き合いが続いた。しかし、北天佑の二十山親方は45歳だった06年6月23日に亡くなり、朝潮の高砂親方も67歳だった23年11月2日にこの世を去った。
「何が食べたいの」「卵かけごはん」

元大関琴風の母、中山美和子さん
津市在住の母、美和子さん(95)にも世話をかけた。約半年間、妻の史枝さん(67)と交代で病院に泊まり込んでくれた。当時、親方は55歳で、史枝さんは54歳。母は82歳だった。
院内のコンビニで買ったすしを食べて思わず「うまい」と言ったら、「こんなのうまいって言わない」と泣かれてしまった。「あんた、何が食べたいのか」って聞かれて、「卵かけごはん……。熱々のご飯で」と答えた。子どもの頃からの大好物だった。翌日、母は病院に内緒でお釜を持ち込み、ご飯を炊いて昔の通りに作ってくれた。
耳を掃除してもらい、車いすを押してもらった。背中に母の息遣いを感じながら、「何という親不孝、俺は何をやってるんだ」と情けない気持ちもあった。だが、同時に「何としても立って歩かなきゃ」という思いも強くした。
「見えない力が背中を押してくれた」
退院したのを機に母は津市に帰った。帰り際、史枝さんに言った。
「中学生のあの子を14歳で手放して(相撲部屋に入門させて)から、ずっと離れて暮らしてきた。こんなに長い時間、浩一と一緒に過ごすことができてうれしい、私は幸せだった。あとは頼んだよ」
史枝さんは今、しみじみと思う。「もし、弟子がいなかったら、ここまで頑張れたかどうか……。『車いすもある。パパ、便利なものを使って暮らそうね。生きる死ぬのケガじゃないんだから』と優しく接したかもしれない。でも、覚悟を決めたからこそ、見えない力が親方の背中を押し、立ち上がらせてくれた」
琴風豪規

中山浩一さん
ことかぜ・こうき 1957年、津市栄町生まれ。71年4月、大関時代の琴桜の元に弟子入りし、同年7月、佐渡ヶ嶽部屋から初土俵。幕内優勝2度。引退後は、豪風(押尾川親方)、嘉風(中村親方)ら関取12人を育てた。相撲協会の事業部長など歴任。現NHK専属解説者。