レースクイーンが失業、42歳で初の就職活動に挑戦。50社落選の逆境を乗り越えてたどり着いた“自分の場所”とは
モータースポーツのレース会場を華やかに盛り上げるレースクイーン。だが、2020年のコロナ禍ではイベントが全て中止になり、彼女たちの仕事が一切なくなってしまった時期もあった。
誰もが予想しなかった出来事を機に、新たな働き口を探し始めたレースクイーンも少なくない。現在は工業製品の試作を支援する会社「南デザイン」に勤める小田陽子さんもそのひとりだ。

レースクイーンを経て、現在は試作会社の南デザイン株式会社で広報を務める小田陽子さん(43歳)※写真はレースクイーン時代
コンパニオン一筋だった小田さんは、コロナ禍をきっかけに「正社員になろう」と一念発起。しかし、就職活動では50社以上の落選……。逆境をどう乗り越え、今の仕事にたどり着いたのか。レースクイーン時代のエピソードや現在の仕事について、本人に語ってもらった。
◆“陰キャ”だった高校時代。趣味のコスプレが自分を変えた

イベントコンパニオンとして働いていた小田さん
小田さんは学校でいじめを受けたことがきっかけで、高校1年生の途中から不登校になり、家に引きこもる日々を過ごしていたという。「その頃は人と関わること自体が怖くて完全に“陰キャ”だった」と振り返るように、レースクイーンという華やかな仕事からは、真逆の性格だったのだ。
転機になったのは、高校を卒業してから。もともと好きだった漫画やアニメのコスプレを始め、衣装も自分で作ってイベントに参加するようになった。そこから、「自分ではないキャラクターになりきる」という体験に楽しみを覚え、少しずつ人前に出ることが快感になってきたそうだ。
「当時はちょうど就職氷河期で、高校を卒業した後、地元・大阪のスポーツクラブで契約社員としてフロント業務をしていました。その仕事と並行して、趣味でコスプレ活動を続けていたんです。
そんなある日、トヨタのイベントに行く機会があり、そこで初めてイベントコンパニオンという職業に出会いました。ステージ上で華やかな衣装を身にまとい、お客さまに笑顔で対応されている姿が本当に印象的で。その方がいるだけで、会場の雰囲気が明るくなるような“存在感”がありました。まさに、『人の笑顔で空気が変わる』というのを目の当たりにし、心から感動したのを覚えています」(小田さん、以下同)
◆事務所に登録から2ヶ月でレースクイーンデビューを果たす

鈴鹿サーキットでレースクイーンを務めた時の写真
「私もこんな風に、人を笑顔にできる仕事がしたい」
そう思った小田さんは、イベントコンパニオンの女性に「私もこの仕事をしてみたいんです。どうすればなれますか」と率直に尋ねたという。そこで、イベントコンパニオンの所属事務所があることを知り、事務所へ採用面接を受けに行ったところ、晴れて合格することができたそうだ。
「事務所のマネージャーさんからは、『イベントコンパニオンといってもキャンペーンガールや展示会などさまざまな現場があり、その中で最上位のランクにあたるのがレースクイーンだ』と教えてもらいました。その話を聞いたときに、どうせやるなら一番上を目指したいと思い、そこで初めてレースクイーンになるという目標を持つようになったんです」
ただ、事務所に登録したからといって、すぐに仕事がもらえるわけではない。案件ごとに募集があり、書類選考やオーディションなど、自分でチャンスを掴まなければならないわけだ。
小田さんは幸いにも早々とタバコメーカーのキャンペーンガールに合格することができ、週5でスケジュールが埋まるくらい定期的な仕事にありつけたという。さらに、その仕事を始めて2ヶ月後に、鈴鹿で新規オープンするサーキット場でレースクイーン募集の案件が舞い込んでくる。
自腹を切って鈴鹿へオーディションを受けにいったところ、見事合格を果たし、事務所に登録してから2ヶ月後にレースクイーンになる目標を達成。その肩書きを武器に、イベントコンパニオンやキャンペーンガール、展示会、セミナーなど色々な仕事が決まるようになったとか。
◆厳しい縦社会が教えてくれた「礼節」と「プロ意識」
そんなレースクイーン時代に学んだことは、今の仕事にも活かされていると小田さんは言う。
「事務所に登録した際、最初に受けた研修で教えられたのが、『たとえ1日でも業界に先に入った人は“先輩”として敬うこと』というものでした。年齢に関係なく、先輩には常に敬意をもって接する。その姿勢を徹底的に叩き込まれたんです。
とても厳しい縦社会でしたが、その教えは今でも自分の中で生きています。どんな相手であっても、立場や年齢に関係なく礼を尽くすということは、今も大切にしていますね」
また、事務所ではマナー講師によるビジネスマナー研修や、ウォーキング、ポージングのレッスンなど、さまざまなトレーニングを受けたそうで、「そうした経験を通して、自然と美しい立ち居振る舞いや、相手に失礼のない所作が身についた」と小田さんは話す。
「今ではどんな場面でも落ち着いて堂々と対応できるようになりましたし、VIPの方を前にしても物怖じしないのは、当時の経験から学んだ“プロ意識”のおかげだと思っています」
◆上京してからは3ヶ月先までスケジュールが一杯に
順調にレースクイーンやコンパニオンを続けてきた小田さんだったが、2014年頃には大阪のイベント案件が減ってきたことで、平日のスケジュールが空くことが増えてきたという。
そのため、「このまま大阪で続けるか、それとも仕事が多い東京に行くか」の二択を迫られた。
悩んだ末に上京することを決意し、東京で活動を始めてみると、3ヶ月先までスケジュールが埋まる状態になったそうだ。
「報酬面でも東京は大阪に比べてかなり好条件で、感覚的には1.3〜1.5倍ほどギャラが高かったんですよ。それこそ多いときは、『水着手当』や『出張手当』なども加わって、月に30〜40万円ほどの収入を得られることもありました」
◆コロナで仕事が全てキャンセル。華やかな世界から一転、収入ゼロへ
国内最大のモーターショー「東京モーターショー(現 ジャパンモビリティショー)」にも上京してから6年連続で案件に参加し、コンパニオンをまとめるリーダーとして活躍していたそうだ。仕事は順調に進んでいたが、2020年に突然起こったコロナ禍で状況が一変。
仕事がすべてキャンセルとなり、収入がゼロになってしまったという。
「ほとんどの場合キャンセル料も支払われない状態だったので、これは本当に大変だと思いました。急いで一般の派遣会社に登録しましたが、コロナの影響で派遣の仕事自体もほとんどなく、たまに単発で企業の受付業務や日雇いの引っ越し作業などを行っていました。
貯金に関しては、大阪にいた頃から10年以上株式トレードを続けていて、コロナ関連株の値上がりで240万円の利益が出たことから助かった部分もありました。でも、働かないままでいることが落ち着かず、東京の家賃も高いため、最終的に一度地元の大阪に戻ることを決めました」
◆初めての就職活動で味わった現実。53社落選の末に訪れた“チャンス”

南デザイン入社時の写真
大阪に戻ったタイミングで、まずはWordやExcel、PowerPointなどの操作をパソコン講座で学び、大阪のプラスチック加工メーカーの受付で派遣社員として勤務。2〜3年働いたのちに退職し、イベント業界に戻ることも考えたそうだが、コロナの影響で平常時に比べて案件が少なかったことや、年齢のことも考慮して、職業訓練校でITを学ぶことにしたと小田さんは語る。
「職業訓練校ではWebサイトやスマホアプリの開発を半年間学び、卒業後は今までコンパニオンや単発の派遣という非正規の働き方だったため、“雇用の安定した正社員で働きたい”という気持ちが強かったんですよ。そこから、42歳で初めて本格的に就職活動を始めたんです」
今まで正社員の経験がなかったものの、もしかしたらどこかで採用してもらえるかもしれない。そんな淡い期待とは裏腹に、実際はほとんどが書類選考で面接にも進めず、合計で53社も落選する事態に……。
こうした厳しい状況のなか、以前プラスチックメーカーで受付をしていたときの役員から、「自分の会社で新しく広報部署を立ち上げるので、一般枠でもよければ選考を受けていい」という、思わぬ形で就職のチャンスが舞い込んできた。
「募集要項を見ると、Webサイトの刷新に対応できる知識と、展示会の経験が求められており、『まさに自分のスキルとぴったりだ!』と思って。そこから、応募して採用面接を受けたところ、内定をもらって2024年5月から今の南デザインという会社で働くことになりました」
◆青梅市の企業として地域の活性化に貢献していきたい

南デザインで仕事中の小田さん
入社当初は、自社の事業内容や工場の内部事情について知識がなく、「試作と量産の違い」や「自社独自の工法や誇れる技術」などを理解するために、現場に足を運んで一つひとつ教えてもらったという。
ひとり広報として働くなかで、もともと大阪を中心に開催されていた「製造業対抗ミニ四駆大会」が、今年2月に関東初の大会となる「製造業ミニ四駆関東大会 入間カップ」が行われることを知る。参加チームの募集があったので、「技術力のアピール」と「社名の認知度向上」につながると考え、会社に提案したところ出場することが決まった。

「製造業対抗ミニ四駆大会 ワールドカップin大阪・関西万博」に製作した南デザインチームのミニ四駆
「レース自体は優勝できませんでしたが、『デザイン賞』と『技術賞』の2つの賞を受賞することができ、さらには今年7月に関西・大阪万博で開催された製造業対抗ミニ四駆大会のワールドカップでは、当社が1位と2位を独占する“ワンツーフィニッシュ”を達成しました。
この結果を受けて、テレビ局の取材が入るなど対外的に注目される機会も増えたんです。大会出場をきっかけに、部署を超えたチームが結成され、社内の結束が高まったほか、自由にアイデアを出せる環境が、新技術への挑戦や社内活性化にもつながりました」
製造業対抗ミニ四駆大会に参加したことで、青梅市長への表敬訪問や青梅商工会議所と連携する機会が生まれ、「青梅市の活性化に貢献したいと考えるようになった」と語る小田さん。

社内イベントではステージの司会を担当している
さまざまな紆余曲折がありながらも、新たな就職先で自分の“役割”を見出した元レースクイーンの今後に期待したい。
<取材・文/古田島大介>
【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている